先週の土曜日に I 市の兄の家で法事があったので、出かけた。それで、先週の土曜のブログは必然的にお休みになった。
これは父と長兄とが相続いて亡くなってから、17回忌の法事だった。父は80歳を優に越えていたが、兄はちょうど60歳であった。
法事の後に兄弟姉妹と甥の家族の会食をしたが、その後の兄との会話がおもしろかった。次兄は私より2歳上の73歳だが、今年は74歳になる。それで自分の蔵書をあまり必要がないものをブックオフにタダで引き取ってもらったという。
ドストエフスキー全集と百科事典を引き取ってもらった。ブックオフの社員に来てもらって評価してもらったら、評価できないとのことだったので、タダでもって帰ってもらったという。
さらにマルクスの「資本論」を捨てるということだったので、もらって帰った。世界大思想家全集の内の4巻本である。多分もらって帰っても私も読まないだろう。だが、ゴミとして捨てられるのは忍びない。
本をゴミにするという話は亡くなった長兄も生前していたが、個人としてはそうするしかないだろう。が、何人かの蔵書家の本を集めて私的な図書館をつくるべきではないかというのが私の考えである。NPOかなにかの組織としてそういうことをする必要がある。
自治体の図書館でも本を所蔵する場所が少ないためにすぐに本や雑誌を廃棄処分にするということをする。このごろは大学の図書館もほとんど同じである。愛媛大学の図書館などでも2冊以上ある本は抜き出して古本屋に売り払ったりしている。私も古本屋経由でそういう廃棄本を数冊もっている。
まだ大学に在職中に要らない本は売ってくれないかと図書館の係りの人に言ったことがあったが、そういうのは大学内での癒着につながるから駄目というような話だったと思う。おかしな話だと思ったが、いちいち対応ができないというのが正直なところなのだろう。
個人の本をどうするのかはいつも問題だが、それを文化資産として考える人が出てきてもいい気がするのだが、どうにもならないのだろうか。
日本語の書でないものは外国の大学、ベトナムとかタイ等の東南アジアやアフリカの大学で本の少ないところへ送るという活動も行われているとは前に聞いたことがある。これはどこかの財団だか、国の補助金をもらって、されているという風に聞いた。もっともこのごろは日本ブームだから、日本語の本でもいいのかもしれない。
私のもっている本の冊数は3千冊には達しないのではないかと思うが、作家司馬遼太郎とか評論家大宅惣一の蔵書は数万冊または数十万冊で個人財団の図書館とか資料館として利用されているとか聞く。そういうところでないともう残っていない資料もあるとか。
そういえば、ミュンヘンの科学博物館は壮大なすばらしいものであるが、それでもはじめは設立者が乞食ミュラーとかいわれながら、科学技術の展示物を集めたとか。志が大切だと思う。