「もうあと何回の正月を迎えられるだろう?」とは私の言葉ではない。
昨夜テニスが終わって駐車場に向っていたとき、私より1歳年上のMさんが漏らした言葉である。
まさにその通りなのであるが、その言葉とは裏腹にあたかも無限に生きられるような日常感覚で生きているのが私の生活である。
もちろん、実際は無限に生きられることはないので、意識して自分にとって重要性の低いことはできるだけ排除して生きるようにしている。ごく最近でもあるテーマに係ってしまったことがあった。
このテーマを議論をしている、サイトには私が最悪の処置をとったという意見を述べられた方もあったが、そういうことに拘泥していては自分の生活のもっと大事だと思っていることへの努力目標を果たすことなどできない。若い人とは今後生きられる時間的な条件が違う。
それでもどれだけ努力をしてみても人間の人生なんて未完のものであろう。また、もし完成してしまったら、面白くもなんともない。常に未完に終わるから面白いのであろう。
一日に1回か2回私のブログを閲覧した履歴をチェックしている。検索で引っかかったかどうかは知らないが、私の書いたブログの記事をその閲覧リストから辿ってもう一度読み直している。
物理的な話題とか数学の話題とかは普通はあまり閲覧をされないが、それでもときどき集中豪雨的に閲覧をしてくださる方がいる。
閲覧をされてコメントを下さる方はさすがにほとんどいないが集中豪雨的に集中して読んでくださったということは、その方になんらかの印象を与えたということであろうか。
そういえば、徳島科学史研究会を主宰されている、西條先生から十分に材料はたまったと思うので何か本にしたらどうですかと勧められたことがあったが、そのときはまだ時期尚早であるように思われた。そろそろ時期が来ているだろうか。
このブログには式や図を載せられないのが話題の言及の仕方に制限を与えている。