マイケル・サンデルのHarvard大学の白熱教室が評判になったので、その擬似番組がNHKでされている。ところがサンデルの白熱教室になかなか負けず劣らずの講義らしいのだがあまり見たことがなかった。
先週の土曜の深夜にその一つを見た。これは日本と欧米の考え方の違いを考える講義だった。
途中で見たので、十分理解ができなかったが、4回の講義の3回目だということがわかった。それと外国から来た留学生も聞いているという講義らしい。
「安全と安心」とは違うが、その違いを示すような例を学生に挙げさせるということをしていたが、的確な例は出てこなかった。先生は将来おこりそうなことをつぎのような例として挙げた。
それは生まれたときに体のどこかにICのチップを埋め込んで、その人がどこにいるかをGPSで常に監視するというシステムをつくる。そのときには犯罪はなくなるかもしれないが、それを安心と人は感じるだろうかと言われていた。
もっとも如何に監視されていても人は犯罪を犯すものだし、GPSでそんな莫大な費用をかけてやることが利益にあっているかはわからないから、これはあくまで仮想的な例であろう。
もっとも仮想的というと英語ではvirtuallyという語で表すだろうが、これは日本語に直すと実質的にと訳すのがいいらしいので、仮想的という日本語での感じと英語の意味とは隔たりがあるようである。
「もの」と「こと」とのどちらを重視するかというような議論もされていた。日本人は「こと」を重視するという傾向があるのにたいし、欧米人は「もの」を重視する傾向にあるとか。
「信用」と「信頼」との違いとかopinionを「もつこと」とその「善し悪し」のどちらを気にするかということも学生に聞いていた。
debatのルールも話されていたが、そのルールはよく了解ができなかった。これは説明が悪いのではなく私が了解できなかっただけである。Agree with disagreeとか言われていた。意見の違いを認めると言うことであるらしい。
だから、日本では論争をすると感情のしこりが残ったりするが、そういうことはないのだと言われていた。
普通の日本人としてはっとさせられるような事柄であった。皆様にはどうでしょうか。
(2011.10.26付記)
欧米の人の3つのモットーがあると、この講義で言われていた。
1) Be fair
2) Be patient
3) Be calm (do not be panic)
の3つである。ところでこのBe fairというのがよくわからなかった。アメリカにはスーパーマーケット等でエクスプレスゾーンというのがあって、3,4品を購入する人には多くの品を購入する人たちとは別の支払いカウンターがあり、すばやく買い物を済ませるということだった。
これをたとえば、一つのfairの例としていたように聞こえたが、日本ではこういう支払いカウンターは根付かないとのことであった。fairということに対する感覚の大きな違いがあるようである。
私個人はエクスプレスゾーンというのはいいアイディアだと思うが、やはり日本ではそういう考えは馴染まないらしい。fairという概念を私は「ある種の合理性だ」ととったのだが、違っているかもしれない。この考えをよく理解している人のコメントを待ちたい。