物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ハヤブサの展示

2011-10-14 12:02:26 | 科学・技術

松山市のコミセン(コミュニティセンター)でハヤブサのカプセルと持ち帰った砂粒を昨日から4日間展示しているのだと昨晩ドイツ語のクラスの後で、K夫人から聞いた。クラスのKさんとYさんとはコミセンでこの企画をプロモートしている人の一人である、的川泰宣さんの講演を聞いたという。

的川さんのサインの入ったネッカチーフをKさんは誇らしげに見せてくれた。もっとも講演を聞きに来ていた高校生はおとなしくはしていたそうだが、あまり関心がなさそうで日本の将来に一抹の不安を感じたらしい。

なお、ハヤブサの偉業を見ようとやって来た方々は年配の方が多かったという。ある程度の年の方には久しぶりの快挙でも若者には「それがどうした?」ということであろう。特に高校生くらいだと受験勉強に忙殺されているのであろうか。これが日本の現状であるから、しかたがあるまい。

このハヤブサの展示は全国を巡回するというので、これは国民の税金を使ったこのプロジェクトの成果を少しでも多くの方々の前に示し、かつまた次回以降のプロジェクトへの支持を集めることが目的となっているのであろう。こういうPRが科学研究にも必要な時代となっているのだ。

確かに、日本の国の経済事情は厳しく、それを国民に支持してもらうためにはこれくらいのハヤブサの展示をしなくては今後の支持を得ることは難しい。

電波望遠鏡のチリの高山への設置とかこれからの研究に向けて世界的な協力を得て、いろいろプロジェクトが進んでいる。

これはある意味で日々の生活にあくせくしている人にとってはそんなことにお金を支出しないで我々の生活を助けてくれたらいいのにと思う人も居られるであろう。

それはそれである意味では当然の反応だと思うが、やはり知的な好奇心満たすということは人間のもう一つの側面なのであろう。それも現在では国家の支援なくしてはそういう研究もできなくなっている。

「科学とは国家がお金を支出して、科学者の知的好奇心を満たすことだ」と科学の定義をしたのはイギリスの物理学者ブラケットだったが、そういう皮肉な定義が当てはまる時代が来ている。

さて、午後にはこのハヤブサの展示を見に行ってみようか。