物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

索引

2016-01-20 12:37:47 | 日記
索引というものは本の末尾にその本に出てくる言葉を集めてそれが何ページに出てくるかを示したある種の一覧表である。小説の場合にはこのような索引が必要とは考えないが、やはりいわゆる学習参考書とか大学程度のテクスト等なら、やはり索引はつけるべきであろう。

宇沢弘文さんの高校数学についての書『好きになる数学入門』(岩波書店)を見たら、この索引がついていないのはどうかと思う。いま新装版というのがでているので、これを1月に1冊づつ購入しているのだが、著者が索引をつけなかったとしても編集者が索引をつけるべきではなかったろうか。

私などは本を集めていくらか持ってはいるが、これを通読する時間などはない。だから、なにか知りたいと思ったときにその本の索引を探すというのが普通になっている。ところが本自身の内容はいいのだが、それに索引がついていない書が結構多い。この第6巻をまだ手に入れていないのでわからないが、第6巻に索引がついているのだろうか。

たとえばということで、もう一つ岩波書店の発行した書をあげれば、『ゲルファント先生の学校に行かずにわかる数学』全3巻にも索引がついていない。これは著者がつけていないのだろうが、訳者が索引をつけるべきではなかったろうか。

とはいうものの私自身が『数学散歩』という本を出したときに索引をつけていない。この書のから一部を抜粋した『物理数学散歩』を出したときにはだから索引をつけたがこの書は私の予想に反してほとんど売れなかった。

その中にこの本を出した出版社が倒産してしまった。『四元数の発見』の方は索引をつくったけれどもどうも不完全な索引であり、これはもっと完全な索引にすべきだったのかいまでもよくわからない。

だが、いつも索引を使ってそのときに関心のある事項のことを学んでいる私には索引が大事なものであることだけは十分にわかっているつもりである。


痛み

2016-01-20 12:17:41 | 日記
ガンにかかった人がその痛みに耐えかねているときに、その痛みを和らげるために終末期沈静の処置を施して意識のないままに亡くなることが昨日か一昨日のテレビでとりあげられていた。

しかし、この処置を施すことに家族とか医師にどうも他にやり方がなかったのかという心残りがあるのだという。終末期沈静ではなくて緩和ケアというのもあるそうだが、もしか眠らせてしまわないで痛みを緩和する方法があればその方がいいけれども痛みなどにはとても弱い私などはしかたがないのではと考えてしまった。

母がガンで亡くなったので、そのときに背中が痛いとかで一晩付き合ったこともあるが、痛いのは我慢づよい私の母などでも辛かったらしい。そういうことを考えると痛みをとるということは医療としての最低のすべきことであろう。

そういえば、物理学者のハイゼンベルクも晩年ガンにかかったが、痛み止め以外のガンの治療はしなかったと聞いた。彼が亡くなったのは1976年2月1日で奇しくもこの日に私はドイツに留学して到着した日であった。もっともハイゼンベルクが亡くなっていたのを知ったのは彼の死後1か月くらい後のことであった。

ある看護師が「ガンもあなたのものよ」とガン患者に言ったという話を最近どこかで読んだが、ガンは自分の宿主、この場合には人間、を死なせることによって自分自身の生命を終えるのだと思うとなんだかいとおしくなってくる。

そうはいってもガンの痛みにはまいってしまうだろうと自分では思う。

『「思想の科学」私史』

2016-01-20 11:49:50 | 日記
1月17日の毎日新聞に載っていたのだが、鶴見俊輔さんの『「思想の科学」私史』という本がでたらしい。京都のSUREという書店に本をおかない出版社から出た。

『思想の科学』を50年にわたって主宰していたために鶴見が多くの人との交流があったことから、彼の書くことはなかなか興味深いと思う。上記の本をまだ手に入れたわけではないが、すでにどこかで書かれたような話が多いのだとは思うが、ぜひこの書を手に入れたいと思っている。

私は武谷三男に関心を持って調べたりなどしているものであるが、その関係でも鶴見の書いたものは一級の証言である。