索引というものは本の末尾にその本に出てくる言葉を集めてそれが何ページに出てくるかを示したある種の一覧表である。小説の場合にはこのような索引が必要とは考えないが、やはりいわゆる学習参考書とか大学程度のテクスト等なら、やはり索引はつけるべきであろう。
宇沢弘文さんの高校数学についての書『好きになる数学入門』(岩波書店)を見たら、この索引がついていないのはどうかと思う。いま新装版というのがでているので、これを1月に1冊づつ購入しているのだが、著者が索引をつけなかったとしても編集者が索引をつけるべきではなかったろうか。
私などは本を集めていくらか持ってはいるが、これを通読する時間などはない。だから、なにか知りたいと思ったときにその本の索引を探すというのが普通になっている。ところが本自身の内容はいいのだが、それに索引がついていない書が結構多い。この第6巻をまだ手に入れていないのでわからないが、第6巻に索引がついているのだろうか。
たとえばということで、もう一つ岩波書店の発行した書をあげれば、『ゲルファント先生の学校に行かずにわかる数学』全3巻にも索引がついていない。これは著者がつけていないのだろうが、訳者が索引をつけるべきではなかったろうか。
とはいうものの私自身が『数学散歩』という本を出したときに索引をつけていない。この書のから一部を抜粋した『物理数学散歩』を出したときにはだから索引をつけたがこの書は私の予想に反してほとんど売れなかった。
その中にこの本を出した出版社が倒産してしまった。『四元数の発見』の方は索引をつくったけれどもどうも不完全な索引であり、これはもっと完全な索引にすべきだったのかいまでもよくわからない。
だが、いつも索引を使ってそのときに関心のある事項のことを学んでいる私には索引が大事なものであることだけは十分にわかっているつもりである。
宇沢弘文さんの高校数学についての書『好きになる数学入門』(岩波書店)を見たら、この索引がついていないのはどうかと思う。いま新装版というのがでているので、これを1月に1冊づつ購入しているのだが、著者が索引をつけなかったとしても編集者が索引をつけるべきではなかったろうか。
私などは本を集めていくらか持ってはいるが、これを通読する時間などはない。だから、なにか知りたいと思ったときにその本の索引を探すというのが普通になっている。ところが本自身の内容はいいのだが、それに索引がついていない書が結構多い。この第6巻をまだ手に入れていないのでわからないが、第6巻に索引がついているのだろうか。
たとえばということで、もう一つ岩波書店の発行した書をあげれば、『ゲルファント先生の学校に行かずにわかる数学』全3巻にも索引がついていない。これは著者がつけていないのだろうが、訳者が索引をつけるべきではなかったろうか。
とはいうものの私自身が『数学散歩』という本を出したときに索引をつけていない。この書のから一部を抜粋した『物理数学散歩』を出したときにはだから索引をつけたがこの書は私の予想に反してほとんど売れなかった。
その中にこの本を出した出版社が倒産してしまった。『四元数の発見』の方は索引をつくったけれどもどうも不完全な索引であり、これはもっと完全な索引にすべきだったのかいまでもよくわからない。
だが、いつも索引を使ってそのときに関心のある事項のことを学んでいる私には索引が大事なものであることだけは十分にわかっているつもりである。