星野技術論が破たんしたと述べている中村静治さんの『新版・技術論論争史』を夜寝る前に少しづつ読んでいる。その主張がどう星野技術論の主張と違っているのかということを読み解きたいのだが、それだけではなく技術論だけではなく、それの社会への働きかけというか社会実践が中村さんには乏しいのではないかという点に気がついた。
だから、理論上の問題もあろうが、それだけではことが収まらないのではないかということである。看護技術のことに関係していた川島みどりさんだったかは中村さんの勤めていた横国大に関係していたと思うが、彼女は武谷技術論の研究会を開いていた。そして中村さんの主張を知っていたとは思うが、あまりそれにはしたがわなかったと思う。
実践的な立場から理論を見るというのは一つのものの見方ではないかと思う。それを武谷なども実践をやはり心掛けていたと思うので、そこらあたりが議論を分ける分水嶺となるのではないかと思う。
広重の武谷三段階説批判でもそれが論理的に正しいのかどうかということもあるが、どうも実践的には弱いとうのがやはり見られるであろう。
だから、理論上の問題もあろうが、それだけではことが収まらないのではないかということである。看護技術のことに関係していた川島みどりさんだったかは中村さんの勤めていた横国大に関係していたと思うが、彼女は武谷技術論の研究会を開いていた。そして中村さんの主張を知っていたとは思うが、あまりそれにはしたがわなかったと思う。
実践的な立場から理論を見るというのは一つのものの見方ではないかと思う。それを武谷なども実践をやはり心掛けていたと思うので、そこらあたりが議論を分ける分水嶺となるのではないかと思う。
広重の武谷三段階説批判でもそれが論理的に正しいのかどうかということもあるが、どうも実践的には弱いとうのがやはり見られるであろう。