斎藤憲『ユークリッド『原論』とは何か』(岩波書店)を県立図書館で借りて来て、この書の最終章である「比例の定義と非共測量」を昨夜読んでみた。『原論』ではどのように比と比例を述べているかを知りたかったからだ。
ところが、これが読んでもまったくわからない。昔からこの『原論』の比と比例の箇所はわからなかったと見えて、ガリレイが不満を漏らしたとか、比例についてある提案したとかいうことはわかった。
現代に比と比例とをどう理解するかが、問題なのでユークリッドの時代の知識だけで比と比例を理解しなければならないということは教育的にはない。数学史ではその時代の知識だけでその時代の数学を理解しようとするのが、現在の傾向だというが、それは数学史の分野だけにしてほしい。
教育の分野では現在の知識を総動員してわかりやすくすることが大切である。しかし、「数学・物理通信」6-7に「比と比例式を考える」というエッセイを書いたのでこれを原論がどう取り扱っているかに関心があった。たまたま昨日、県立図書館に行ったので、そのときに数冊の数学の本を借りて帰ろうと思って書架を見ていたら、「『原論』とは何か」があったので、借りて帰った。
ところがまったくわからない。これは訳の問題なのか。それとももともとの原著が分かり難いのか。どうも原著が分かり難いものらしいが、さてはて?
ところが、これが読んでもまったくわからない。昔からこの『原論』の比と比例の箇所はわからなかったと見えて、ガリレイが不満を漏らしたとか、比例についてある提案したとかいうことはわかった。
現代に比と比例とをどう理解するかが、問題なのでユークリッドの時代の知識だけで比と比例を理解しなければならないということは教育的にはない。数学史ではその時代の知識だけでその時代の数学を理解しようとするのが、現在の傾向だというが、それは数学史の分野だけにしてほしい。
教育の分野では現在の知識を総動員してわかりやすくすることが大切である。しかし、「数学・物理通信」6-7に「比と比例式を考える」というエッセイを書いたのでこれを原論がどう取り扱っているかに関心があった。たまたま昨日、県立図書館に行ったので、そのときに数冊の数学の本を借りて帰ろうと思って書架を見ていたら、「『原論』とは何か」があったので、借りて帰った。
ところがまったくわからない。これは訳の問題なのか。それとももともとの原著が分かり難いのか。どうも原著が分かり難いものらしいが、さてはて?