は8月20日に高松であった、徳島科学史研究会での私の講演のテーマであるが、それに対応した論文の草稿を準備しはじめた。とはいっても本を読んで、それから私の注目する項目を書き出しているだけだが、そのためにここ数日は『思想を織る』(朝日新聞社)とか『聞かれるままに』(思想の科学社)を読んでいる。読むこと自身が楽しいけれども。
あくまで傍証にすぎないのだが、武谷の心の底に触れたいと思っている。特に『聞かれるままに』には「雇ってくれる人はなかった。大学や企業にはね」という聞き手への答えがある。
彼はそれだからどうだとそれ以上には敷衍していないが、そこに深い怒りとか悲しみが現れているというのが、私の感じである。そんなことを感じだしたのは「武谷三男の不幸な経歴」という節を「他人から見た武谷三男2」の論文に一節として入れようと思って本を読んでいるからであろうか。
ある人たちには、すでに武谷は攻撃されるべき権威として存在しているように思われていて、彼を非難、攻撃または貶めることで自分の書物を売るというような対象として見られているのだが、そうではなくて彼はあくまで大日本帝国の一人の被害者でもあったという観点がないと本当のところはわからない。
だから、彼の心の深層に迫ることがやはり重要となってくるのだと思うようになってきた。
あくまで傍証にすぎないのだが、武谷の心の底に触れたいと思っている。特に『聞かれるままに』には「雇ってくれる人はなかった。大学や企業にはね」という聞き手への答えがある。
彼はそれだからどうだとそれ以上には敷衍していないが、そこに深い怒りとか悲しみが現れているというのが、私の感じである。そんなことを感じだしたのは「武谷三男の不幸な経歴」という節を「他人から見た武谷三男2」の論文に一節として入れようと思って本を読んでいるからであろうか。
ある人たちには、すでに武谷は攻撃されるべき権威として存在しているように思われていて、彼を非難、攻撃または貶めることで自分の書物を売るというような対象として見られているのだが、そうではなくて彼はあくまで大日本帝国の一人の被害者でもあったという観点がないと本当のところはわからない。
だから、彼の心の深層に迫ることがやはり重要となってくるのだと思うようになってきた。