ちょっとおっくうになってきた。私は文章を書くのが好きな方だと思う。それだのに文章を書くのが億劫になってきたと感じている。
これはいま徳島科学史研究雑誌への投稿論文を書いているのだが、ほとんどできあがりである。それで何回も読みなおしをしていて少し嫌気がさしてきた。昨夜も寝る前に一度と今朝も朝食前に一度づつ見直しをした。そうするとやはり手直ししたいところが見つかる。
それで嫌気がさしてきたのだ。若いときにはパソコンのワープロ機能などなかったから、「素粒子論研究」になど論文を投稿するときなど7,8回清書しなければならなかったと思う。でもその頃は大学院時代で指導の先生が私の書いた長文の原稿を短く削ってくれたりした。
そういう人がそばにいなくなって、むしろ私自身が自分の文章や他人の文章を添削することが多くなってもう何十年にもなる。ブログの文章などは書きっぱなしであるから、一年後に言葉のたらないところを書き足したりしている。
ただ、印刷されて公表される文章はある程度何回も見直している。私の文章には繰り返しが多かったりするので、そのような重複を削除したり、短かな言葉を付け加えたりする。なにしろ何回も見直すので読むのが嫌になることもある。それでも嫌がらずに直しておかないと後で後悔する。ブログなら気のついたときに黙って直しておくことが可能だが、論文とかエッセイになるとそうはいかない。それで若いときのように7.8回も清書するということはなくなったが、それでもプリントするのは5.6回にも及ぶ。
これはいま徳島科学史研究雑誌への投稿論文を書いているのだが、ほとんどできあがりである。それで何回も読みなおしをしていて少し嫌気がさしてきた。昨夜も寝る前に一度と今朝も朝食前に一度づつ見直しをした。そうするとやはり手直ししたいところが見つかる。
それで嫌気がさしてきたのだ。若いときにはパソコンのワープロ機能などなかったから、「素粒子論研究」になど論文を投稿するときなど7,8回清書しなければならなかったと思う。でもその頃は大学院時代で指導の先生が私の書いた長文の原稿を短く削ってくれたりした。
そういう人がそばにいなくなって、むしろ私自身が自分の文章や他人の文章を添削することが多くなってもう何十年にもなる。ブログの文章などは書きっぱなしであるから、一年後に言葉のたらないところを書き足したりしている。
ただ、印刷されて公表される文章はある程度何回も見直している。私の文章には繰り返しが多かったりするので、そのような重複を削除したり、短かな言葉を付け加えたりする。なにしろ何回も見直すので読むのが嫌になることもある。それでも嫌がらずに直しておかないと後で後悔する。ブログなら気のついたときに黙って直しておくことが可能だが、論文とかエッセイになるとそうはいかない。それで若いときのように7.8回も清書するということはなくなったが、それでもプリントするのは5.6回にも及ぶ。