物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ノーベル賞の行方

2016-09-29 10:34:09 | 日記

今年もノーベル賞の発表の時期が近づいた。

インターネットでなぜ韓国はノーベル賞受賞者を出せないのかという解説記事を見た。韓国政府が少し焦って学会に圧力をかけているとか。

いずれは韓国からもノーベル賞の受賞者は出ることだろうが、ちょっとこのことを考えてみたい。それは直接的な話ではなくて、私の感じているバックグランドのことである。

日本でだけかどうかは知らないが、例えば大学レベルの数学の微積分学のテクストなら100冊くらいは発行されていると思う。

線形代数にしてもしかり。それからちょっと高等なリー群とかリー代数の本なども20冊は越えないかもしれないが、そこそこに発行されている。要するに多様性があるというか。これは出版文化として見たときに過剰なくらいである。そういう社会が日本以外に普通にあるのかどうかわからない。

一例を数学の分野の話をしたが、物理でも同様である。いや実は自然科学の分野だけではない。日本ではたいてい英語とかフランス語で出版された少し有名な本は翻訳されている。タイムラグが幾分あるにしても。そういう国が他にあるのであろうか。韓国はどうであろうか。

昔、ドイツの大学で同室になった、物理学者の K さんは韓国人であったが、彼はスミルノフの『高等数学教程』(共立出版?)をもっていた。彼は日本語は話せなかったが、日本語を学生のころに少し学んでこの数学書を読んでいたらしい。『高等数学教程』はロシア語が原著であるが、その日本語訳があったのである。漢字は共通であり、ハングルと日本語は語順は同じといわれているので、読むのはさほど難しくはなかったらしい。彼はアメリカで大学院教育を受けたから、もうアメリカの学者というべきだろうが、韓国にはその当時は帰る気がないとのことだった。

自分に関したことで申し訳ないが、マイナーの分野の四元数についての本にしても私の書いた『四元数の発見』(海鳴社)も含めて、現在も入手可能な四元数の関係の本は4冊に及ぶ。それはもう古本でしか手に入らないものを除いての話である。

ことほど左様に日本の学問とか文化の多様性は驚くほど広い。ただ、現在の心配は国立大学が法人化されて、各教官・研究者に配分されている研究費が私の勤めていたときの約1/3くらいに減っていることである。

そしてその代わりというのかどうかは知らないが、防衛省の委託研究とかの資金が大学や研究所に流れ込むという実情である。これが今後の日本の研究をゆがめるだろうことは想像するに難くはないが、多分後戻りはしないであろう。

これを憂慮する声は強いが、現在の状況ならその状況は今後ますます強まるであろう。ノーベル賞学者の益川敏英さんが若い学者に倫理を説いてみても説かないよりはましだが、それが現状を変える力にはならないだろうと私は悲観的である。