ピアジェの認識論と武谷の認識論とを比較することが必要かも知れない。
先日、県立図書館から借りて来た『数の発達心理学』(国土社)を読み始めたと言いたいところだが、そうではなく、その本に付随してしていたCahierカイエを読んだ。カイエはフランス語で本当はノートを意味するが、これは実はよく本につけられていることの多い、月報にあたるものだろうか。
日本ではピアジェは水道方式の提唱で知られる、数学者の遠山啓、銀林浩氏らの紹介や訳で有名になった。『数の発達心理学』もこれらの方々に心理学者の滝沢武久氏が加わって訳がされている。また、『量の発達心理学』(国土社)という本の発行されており、こちらの訳者は銀林浩、滝沢武久である。
そういういきさつもあるのか、日本ではピアジェは教育心理学と関連していると考えられており、私などもそういう風に取っていたが、カイエに寄稿した吉田甫(はじめ)さんによれば、ピアジェは教育にはあまり関心がなく「認識の発生メカニズムこそが彼の生涯の研究テーマであった」という。
これはかすかに覚えているだけだが、武谷氏の著作の中でだれかの問いに答えて、ピアジェは研究の広がりとか奥が深いというようなことをリマーク(remark)している個所があった。それがどこであったかはいま覚えていない。
ピアジェはスイスのフランス語圏の生まれらしく、若いころから生物学に関心をもった学者であったらしい。そして、彼は生涯を通じて自分の見解を修正し続けた「修正主義者」だと言っていたという。
その後の認識心理学の発達によって、ピアジェの認識は細かな意味では修正を余儀なくされているという。しかし、その発端はすべてピアジェが与えたといるという。
それにしても日本では多分ピアジェのすべての著作が翻訳されているのではなかろうか。いま十分に調べたわけではないので確かなことは言えないけれども。
(2017.11.23付記)「修正主義者」と書いてこれは普通には政治的にある意味を持った語として使われると思うが、そういう意味をはずれて、毛沢東は自分の著作にたえず手を入れていたと聞く。そういう意味では彼はこのブログでいう「修正主義者」である。
そういう意味では私も前に書いた文章でも手を入れて書き直したいほうだから、バリバリの「修正主義者」である。時間が経つと知恵がついてきて、前の文章の欠点が見えてくる。
だが、そういう修正して文章が本当によくなるのかどうかはわからない。確かにわかりやすくなるとしても、はじめの文章を書いた熱気とか意気みたいなものは失われるのかもしれない。