昨夜は、一人でコタツに入って退屈だっだので、テレビを消して、『ふたりの微積分』の別の章を読んだ。一晩に一つの章くらいしか読めない。ボイヤーの『数学の歴史』からウオリスの公式の記述からのテーマだったが、sin ^{n}xの0から無限大の積分とsin ^{n+1}xの同じ積分限界の積分の比が n が無限大に大きくなるときに1となることをどう理解するかが話題で数学者の手の内を示してもらえたような気がした。
ストロガッツは応用数学者で純粋数学者ではないのだろうが、数学の本でこのような式の評価の自分の手の内を示す本はあまりないので、おもしろい。
もっともこれを理解できる人は、ある程度数学ができる人という制約はあるだろうが、これくらいの数学を理解できる人は日本でもかなりの数いるであろう。それにストロガッツの手紙をやり取りしている人はストロガッツが高校で数学を教わった先生であるので、日本でも高校の数学の先生なら、これくらいの数学は容易に理解できるであろう。
アメリカの高校の数学の教育は程度が低いとか昔聞いたが、それは全体のレベルからするとそうなんだろうが、やはりアメリカでも先進的な人々は高校生でも優れた数学を興味をもって学ぶ人たちがいる。もっとも大学院を出るころには日本人の普通の教育を受けた人よりも優れた程度となるというから驚きである。
昔、私たちが聞いていた範囲ではアメリカの大学院で学ぶ程度の数学を学部で教えているとか言って、数学の先生は日本の教育の程度が高いと鼻高々であった。もっともそれは修得の程度を問題にしない範囲であったのだが。