物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

しもやけ

2018-02-23 18:05:58 | 日記

左足の小指がしもやけになった。それで歩くときに足が痛い。

ここ数年しもやけになったことがなかったので、久しぶりである。子どもときには戦後のときで日本全体が貧しく、かつ暖房などははなかったので、しもやけなどなるのが当然であったが、ここ数年はしもやけとは縁がなかった。

左足の小指であるので、妻はそこがあまり暖房の熱が行かないところだと勝手に決め込んでいる。そうなのかどうかは私にはわからない。いずれにしても風呂に入ったときなどマッサージをしているが、どうもよくなる気配はない。

いまは歩くときに痛いくらいだが、温かくなってくるとしもやけが治りはじめてかゆくなってくるであろう。その時が一番厄介かもしれない。


量子力学

2018-02-23 13:13:43 | 物理学

は私が E 大学に勤めていたころほとんど毎年教えていたが、私の勤めていたのが工学部であったので、物性と関係がつくような形で教えていた。それで本当はもっと広く関心をもった方がいいのだが、関心の範囲が狭くなっていた。

それを広げる必要もあまり感じなかったが、一人ド・ブロイという学者にはなんだか心惹かれるものを感じていた。だから、いつかド・ブロイの論文を詳しく読んで彼の発想を調べてみたいという気はいまでもある。そのために彼の初期の論文を全部ではないが、コピーをしたことがある。

しかし、すでに大学を退職してからででもすでに10年以上を過ぎた。だが、いま O さんの量子力学の講義録の編集でこれについてすこし関心が起きてきた。およそ、なかなか講義ノート編集するのは手間がかかる。そして私は自分がわからないことを編集するのは嫌な方である。それでも入力すべきことがたくさんあるので、バカのようにあまり考えずにまずは入力を優先すべきかと感じている。

それやこれやで、ヒッポファミリクラブの『量子力学の冒険』の一つの話を読んだりした。そうするとその話は読み終わったのだが、あまりよくはわからないことに気がついた。そういうことで話が発散していきそうである。どこかで収束をしないといけないのだが、ちょっとどうしていいいかわからない。


本を借りるライバル

2018-02-23 12:52:41 | 日記

昨日、県立図書館に本の期間更新と別の本を借りるために行った。その前に『百万人の数学』新版(日本評論社)を借りようかなと思ったので、調べてみたら、すでに貸し出し中であった。

世の中は広いので、私が借りようとした本を借りて読んでいる人がいる。もっともこの本の前の翻訳で筑摩書房から出版された版はもっている。もっとも新訳を読みたいと思ったので探したのだが。

いつだったかもドイツ語文法の新しいテクストを借りようと思ったら、誰かにすでに借りられていた。それでその本を借りることは沙汰やみになった。

これがたとえば、昨年末にノーベル賞をもらった、カズオ・イシグロの小説を読みたいと思ったらそれを誰かがすでに借りているというのは十分に予想ができることである。その場合には借りて読むのを少し待たねばならない。ところがところがである。数学の本とかを借りようと思ったら、それをすでに借りている人がいるなどということは驚きである。

世の中は広く、いろいろの関心をもつ人がいるものだと、いまさらながら、驚かされる。というようなことを以前にもこのブログに書いたことがある。しかし、こういうことが起こると、いまさらながら世界は広く、関心をもつ範囲も広いのだと感じた昨日であった。

『百万人の数学』(日本評論社)(旧版)に関して言えば、病気療養中の物理学者の父親をもった、高校のクラスメート N 君はこの本を読んでは高校の数学の先生に放課後に質問に行く姿を見たことがあった。その友人も以前に亡くなってしまって、久しい。

それでしかたなく、『数は科学の言葉』(日経新聞社)という本を借りてきた。この本は私の年頃の人なら、その本を読んだことがあるかどうかはともかくとして岩波書店から訳本が出ていたことを覚えているだろう。もっとも私はこの本を1度も読んだことがなかった。