昨日、県立図書館に本の期間更新と別の本を借りるために行った。その前に『百万人の数学』新版(日本評論社)を借りようかなと思ったので、調べてみたら、すでに貸し出し中であった。
世の中は広いので、私が借りようとした本を借りて読んでいる人がいる。もっともこの本の前の翻訳で筑摩書房から出版された版はもっている。もっとも新訳を読みたいと思ったので探したのだが。
いつだったかもドイツ語文法の新しいテクストを借りようと思ったら、誰かにすでに借りられていた。それでその本を借りることは沙汰やみになった。
これがたとえば、昨年末にノーベル賞をもらった、カズオ・イシグロの小説を読みたいと思ったらそれを誰かがすでに借りているというのは十分に予想ができることである。その場合には借りて読むのを少し待たねばならない。ところがところがである。数学の本とかを借りようと思ったら、それをすでに借りている人がいるなどということは驚きである。
世の中は広く、いろいろの関心をもつ人がいるものだと、いまさらながら、驚かされる。というようなことを以前にもこのブログに書いたことがある。しかし、こういうことが起こると、いまさらながら世界は広く、関心をもつ範囲も広いのだと感じた昨日であった。
『百万人の数学』(日本評論社)(旧版)に関して言えば、病気療養中の物理学者の父親をもった、高校のクラスメート N 君はこの本を読んでは高校の数学の先生に放課後に質問に行く姿を見たことがあった。その友人も以前に亡くなってしまって、久しい。
それでしかたなく、『数は科学の言葉』(日経新聞社)という本を借りてきた。この本は私の年頃の人なら、その本を読んだことがあるかどうかはともかくとして岩波書店から訳本が出ていたことを覚えているだろう。もっとも私はこの本を1度も読んだことがなかった。