物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

花粉症のシーズン到来

2018-02-06 12:41:05 | 日記

今朝起きたら、鼻汁が出るようになった。そういえば、私にとっての花粉症のシーズンの到来である。2月7,8日ころが毎年の私の花粉症が起こる時期である。今年はまだ行きつけの診療所に行って花粉症の薬をもらっていない。

例年は少し早期に薬を飲み始めるのだが、今年はちょっと遅れてしまったようである。4月終りになるくらいまでは鼻汁が出るということが引きも切らない。ちょっと憂鬱シーズンのはじまりである。もっとも薬のお蔭で少しは楽になっているのだけれども。


シュレディンガーはシュレディンガー方程式が解けなかった

2018-02-06 11:54:31 | 日記

シュレディンガーは波動力学と一時言われた、量子力学の創始者である。彼は自分が立てた微分方程式である、シュレディンガー方程式を解けなかったという。それでそのころ彼が住んでいた、チュウリッヒにいた数学者の H. ワイルに頼んでその方程式の解き方を教わった。

その微分方程式の解き方はその当時はまだあまり一般的でなかった境界値問題であったという。このことはその昔、三村剛昂先生から聞いた。だからまったくのウソでもないだろう。

そういえば、これは名古屋大学の谷村省吾さんがどこかの雑誌に書いていた記事によれば、ハイゼンベルク方程式はハイゼンベルクが立てた方程式ではないという。だが、それでも世間ではハイゼンベルク方程式と言ってはばからない。それがやはりある意味ではウソではないからであろう。

もちろん、谷村さんの記事が誤っているわけではないのだが、世間的には本質的にハイゼンベルク方程式はハイゼンベルクの提唱したものだと言ってもいいという考えが一般的に流通している。

物理の分野においては数学が先にあるのではなく、現象なり、事実なりが先にあってそれを数学的にどう表すかということになる。だから、そういう現象なり、事実を発見したり、認識した人が重要視されるというところがある。数学的才能はあった方がいいけれども、数学的才能とは違ったものが要求される。

(2018.2.8付記)「神様は積分をなさらない」という誰かの言った言葉がある。積分などという数学に委ねなくても直観的に神様は何でもわかってしまうという意味だと思う。それをほんとと思うかどうかはその人によるだろう。


「頭の悪いものは数学くらいは使わなくては」

2018-02-06 11:20:44 | 日記

などと気の利いたことをいうのはもちろん私ではない。私の物理の先生で S で始まる方が3人いるが、その一番年上の先生の口癖であった。もう存命ではない。

世の中では「自分は頭が悪いから数学などわからない」という方もおられるのだが、表題の「頭の悪いものは数学くらいは使わなくては」というときの「頭の悪い」はちょっとレベルが違うかもしれない。この S 先生はもちろん「世間的な意味では」数学だってわかる頭のいい方である。だが、彼は自分はそんなに飛び切りの頭脳の持ち主ではないと思っておられたのかもしれない。それで相対的に頭の悪いものは数学くらいは使わないと物理はできないと言いたかったのであろう。

でもその昔、私が学部の学生だったころ、この S 先生の量子力学の講義を聞いた。

数式が一杯の量子力学の講義であり、その解釈もときには話されたが、あまり感覚にまでは訴えるものではなかった。もっともその講義ノートを見て、私が講義をするときには参考にさせてもらった。その講義は大体Schiffの量子力学のテクストにしたがったものではあったが、ところどころ後から考えるとBohmの量子力学のテクストからの取り入れられたと思われるものもあった。

それらで一番頭に残っていることはエルミ―ㇳ演算子のことである。エルミ―ト演算子とはその期待値が実数になるような演算子である。この点はあまりSchiffの量子力学ではあまり明確ではないが、さすがBohmはきちんとしていた。

話がタイトルから大きく外れた。しかし、私はどこかの書店などで、初等的な量子力学の本を読むとき、その本ではエルミ―ト演算子をどのように説明しているかを見ることにしている。