に私も昔は関心を抱いて少し本を読んだことがあった。国語学を修めていた高校の先輩Hさんから勧められたのが、三浦つとむの『弁証法とはどういう科学か』であった。
だが、あまり三浦つとむに傾倒することもなく、来ている。板倉聖宣(きよのぶ)さんが弁証法というのは科学ではなく、発想法みたいなものだという割り切り方は私には心地がよい。これは「対話とモノローグ」という S さんのブログで知った。
対話がまた発想の源になるという、板倉の考え方はそれでいいと思うが、私自身はなかなか対話でものごとを進めたという経験がない。本を読んでいろいろ考えたことはあるが、私は頭が悪いのでなかなか人と対話をしながら、論を進めるというふうにはいかない。
大学院の学生のころには指導教官が午後に回って来られて、対話というよりモノローグのような私の話を根気よく聞いてくれて的確なアドバイスをもらったことはあるけれども、これなど対話ではないであろう。むしろ、自分のいろいろのアイディアをなかなか論理としても無茶と思えるものを拾い上げてくれた指導教官の力量の方がほめられるべきであろう。
武谷三男は対話を重視したし、彼はまた論争上手でもある。そういう人と論争したら、自分ではなんだかまだしっくりこないのに口争いで、いい負かされてしまうという気がする。いい負かされると結局は本当は、自分の足で真実に一歩近づいていきそうだったのにかえって遠ざかるような気がする。
広重徹などが武谷三男といるところで、もちろん他の人もいたのだが、やはり口の上の論争では言い負かされてというか、返答をできないのに遭遇したとか私の先生のOさんから聞いたことがある。
広重徹はそれでも文章の上では我を張って、武谷三段階論を科学史の観点からは根も葉もないものだというふうに言ったと思う。直かにはなかなか論争できなかったかもしれないけれども。
これは武谷が広重の大学の先輩であるということもあって、広重が遠慮したという見方もできようが、そういう遠慮をしなければならないということではもう口頭での論争では負けている。もちろん、信念としてとなると何とも言えないが。
三浦つとむに関しては、鶴見俊輔さんが「思想の科学」の関連で生前に語っているところでは、「思想の科学」に三浦つとむを推薦したのは武谷だったという。ただ、その後、思想の科学の一派の中では三浦つとむを除名せよとの声があったそうだが、その声には鶴見さんは最後まで賛成しなかったという。ただ、三浦つとむはいろいろ「思想の科学の会」の中で問題を引き起こした人だったので、自然と思想の科学の中では活動はできなくなったらしい。
三浦つとむは鶴見さんに対してゴシップのタネをまいたりして、悪さをしたらしいが、それでも三浦の除名には最後まで反対したというから、鶴見さんはなかなかの人物である。