物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『量子力学の冒険』

2018-02-20 17:49:33 | 物理学

『量子力学の冒険』(ヒッポファミリクラブ)をはじめて読んでいます。全体ではなくて、「マトリックス力学」についての第3話を読んでいるのですが、まだもう一つわからない気がしています。この第3話は108頁にわたって書いてあります。

計算はあまり難しくはないし、丁寧だからそこは問題ではありません。何がわからないのだろうと思われるところなんですが、昨日から読み始めて90ページほど読みました。今日中には読み終えると思いますが、数回読み返さないとわからないだろうと思います。

わかったら、ヒッポファミリクラブの書いた、この第3話よりも簡単なレジュメをつくっておきたいと考えています。他のところもおもしろそうだけれどいまはあまり食指が動かない感じです。

かなり以前にこの本を買っていたのですが、あまりに初等的なことをグダグダ書いていて、面倒くさい感じがして読んだことがなかったです。なにに関してだったか忘れましたが、私が量子力学で疑問に思っているところをどう書いてあるかと思って読んでみたら、やはり疑問のところはさらっと流して書いてあって、疑問は解決しなかったのでこの本でも駄目かと思って放ってありました。

しかし、「マトリックス力学」のところは読んだことがなかった。ここはけっこう力作です。 

(2018.2.21付記)

第3話は読み終わりました。もっとも何回か読みなおさないとよくわからない感じです。はじめのところがやはり難しい。そこがわかれば後の方はなんてことがないのかもしれません。

(2019.2.9付記)

ほぼ1年を経過してまた第3話「W. Heisenberg」のところを読み返した。今回は第2話「N. Bohr」のところから読み返した。それで行列力学以前のフ―リエ級数のところの解読があまりつっかえなかった。これは私の理解が進んだのか、どうかはわからない。2019.2.9のブログも参照せよ。

『量子力学の冒険』は式の計算はもうすこし共通因数をくくりだすなど、かっこをうまくつかって簡潔に表現したほうがよいと感じた。式が面倒な感じを与えるから。

(2019.4.18付記)

一昨日、3度目の「マトリックス力学」を読んだことになる。まだよくわからない。これは数式のことではない。まだ何回か読む必要があるのだろう。それと朝永の『量子力学』I (みすず書房)を読み返す必要がありそうだ。もっとも、これもマトリックス力学の章を中心にしてである。


Marumorized, Pugwashed

2018-02-20 11:49:45 | 物理学

広島県竹原市であった2回目のパグウッシュ京都会議の後で、当時の物理学会のスターであった、湯川、朝永、坂田の3人の先生に加えて末川博・立命館大学学長等が広島市の公会堂でパグウッシュ京都会議の報告を兼ねた、講演会を開いたことがあった。

そのときに。3番目か4番目くらいに演壇に立った朝永振一郎さん、講演の終りをちょっとしたユーモアで締めくくった。それはpugwashという語は「最近平和にために努力する」という意味の動詞になっており、pugwash, pugwashed,  pugwashedと規則変化します。みんなでpugwashしましょうと。これは朝永さんがつくったユーモアなのかもっと普遍的であったのかはわからない。多分、朝永さんのユーモアであったのであろう。

それから数年して、今度は半年間ほど基礎物理学研究所の非常勤研究員になっていたとき、これは湯川先生から聞いた言葉である。これはいつも研究所の所員の方々がいつも昼食に集まる小さな会議室での話であったが、いつかその当時京都大学理学部の原子核の助教授であった丸森さんのことが話に出たことがあった。そのときに「学生たちはmarumorizeされたのかね」とかなんとかいう発言を笑いながらされたことがあった。

私自身はそのとき丸森さん本人を知らず、その意味するところがわからなかった。いまでもわからないが、普通の動詞として使われるくらい物理学会で有名な人だと知った。

その後、数年してだったか茨城大学であった、あるセミナーで丸森さんの講義を聴く機会があり、そのときにはじめて今では有名になっている、Higgs mechanismという概念を知った。その当時すでに丸森さんはもう京都大学にはおられず、すでに東京大学の原子核研究所の原子核の教授になっておられたと思う。

marumorizeなどという語はューモアのある方がつくられた語だと思うので、もちろん辞書を引いても出てこない。いまでもどういう意味に使われていたのかはわからない。その語の響きからその意味を密かに推測しているにすぎない。こういう語ができるくらい周囲に影響を与える人がいたことだけは確かだが。


なかなか気の利いたことを

2018-02-20 11:20:09 | 日記

毎日ブログに書くことなど凡人の私にはできることではない。それももう13年にもなるのだ。

ということであいも変わらずつまらないことしか書けない。とはいっても大体日常生活というのはそういうものだろう。

笑い話として「誰かがアインシュタインにアイディアを書き留めるノートをもっていないのを不思議がって聞いた」とかいうのがある。アインシュタインはそんなにアイディアが思ひ浮かばないから、ノートなど必要がないとの考えだったとか。

ところが質問者はこまごました単なる思いつきをノートに書き留めることを言っていたようである。そのような行き違いはこれは大科学者とわれわれ凡人との違いであろうか。

新聞でも朝日新聞の天声人語を書く記者はなかなか名文家でもあるだろうし、その人生経験の豊富で、発想も優れた人が起用される。いまの天声人語は二人の人が毎日交互に書いているとかいつぞやの新聞で見たが、それでも二人の人がちがった感じを与えないのはさすがである。まるでずっと一人の人が書いているかのごとくである。

朝日新聞の英字新聞にこの天声人語の英訳が出るとかとも聞いているが、あまりその英訳を読んだことがない。