物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Whittacker and Watson

2018-02-12 13:00:01 | 日記

の "Modern Analysisi" (Cambridge University Press) をほとんど開けて調べたことはないが、ペーパーバンドの本をもっている。ところが私の上司のA教授が定年のときに, それの大きな版形の本をを私に記念にくださった。恐縮する私にこの本は本当の版ではなくて、戦争中の上海版かなにか海賊版だと明かしてくれた。

それで私は二つの"Modern Analysis"をもつことになった。実際にはいままであまり参照したことはないが、このWhittacker and Watsonの本をもっていることはSchiffの量子力学の中で参考文献として挙げられていたからである。

大学の学部4年生のときにこSchiffの本の輪講を研究室でしてもらったが、それからあまりこのSchiffの本を参照したことはない。私が工学部に勤めたので、あまり正統な量子力学を講義する機会がなかったからである。

大学時代の友人でその後に原子力関係の会社に入った I 君などはSchiffの本をなめるように徹底的に勉強したなどと称していたのだけれども。

 


本の書き方

2018-02-12 12:27:49 | 日記

ここでいう本とは理系の本のことで、文学関係の本のことではない。ひとことお断りしておく。

(1)対話型の本の書き方がある。それと(2)誰かが読者の側に立って質問をしてもらいそれを受けて、それに答えるというふうな書き方もあろう。また、これは私などが書く文章の書き方だが、(3)脚注をたくさん入れるという文章の書き方もある。

最近読んだテクストでは(2)型の書き方をしているのが、小野寺嘉孝『なっとくする複素関数』(講談社)であり、(3)型の書き方をしているのはいま読んでいる、山本直樹『複素関数論の基礎』(裳華房)である。山本さんの本にはかなり脚注が多い。

私も『四元数の発見』(海鳴社)でこの(3)型の本の書き方をしたのだが、あまり人からはほめられたことはない。まあ、数式が多い本だから人から、褒められると思ったこともないけれど。

それとは別の話だが、小野寺さんの本の中で「定義、定理、証明」という数学の本でよく見られる書き方を数学を使う側の人で好きな人はあまりいないだろうと書いてあって、なるほどそうだろうなとうなづいてしまった。

小野寺さんは私よりも1歳年下らしいが、なかなか数学もよくできる人だと思う。それでもこういうふうに書かれているから、急に親しみを覚えた。私も本を買ってもっているけれどもなかなか読むことができない、『応用群論』(裳華房)の3人の著者の一人でもある。

(2018.2.14付記) 

疲れて、2月号の「数学セミナー」を見ていたら、作家の円城塔さんが対話形式の数学の本を書くことは難しいと書いてあった。私が読んだ対話形式の本は遠山啓さんの本とか志賀浩二さんの本とかがある。二人とも数学教育に関心のある人たちなので、興味深く書けていると思う。ただ、上極限のことを志賀浩二さんの本で読んでもよくわからなかったが、昨日、山本直樹さんの『複素関数論の基礎』(裳華房)を読んでいたら、説明があった。これはある級数の収束の話で説明があってそれはよくわかった。あまり志賀さんの本では例の挙げ方があまり適切でなく、話がわからなかった。

円城塔さんはもともと物理学をやっていたのだと思うので、私は小説は書かないが、むしろ円城塔さんを私たちと同類の人だと思っている。


複素関数の微分可能性

2018-02-12 12:10:36 | 日記

は普通にはCauchy-Riemannの関係式が成り立つことだとは知っていたが、これが複素数zの関数ではあるが、その複素共役z*の関数ではないことだとは知らなかった。すなわち、df/dz*=0が成り立っていることだという。(ここの微分記号は実は偏微分記号で書くべきだが、普通の微分記号で代用されていることを了承してほしい)。

これは昨日に山本直樹『複素関数論の基礎』(裳華房)を読んでいて知ったことである。なるほどこういうふうに深くきちんと理解をする人がいるのだなと感心をした。

続いてまだ読むべき箇所はまだたくさん残っているが、これからも楽しみだと思える。関数論のテクストを読んでいて1,2思いついたこともある。実関数の積分をできるために複素関数論を展開したのだとも言われるが、どういう関数なら複素積分できるのかはやはり制限があるのであろう。だから、その特徴をまとめておくとかやはりやるべきことはまだ残っているのではないか。

それにここですでに何回か述べたように分岐点の記述とか、解析接続の手段にどういうモノがあるのかをある程度体系的にまとめておくとかがまだこれからのテキストに改善の余地があるものとして残されていると考える。