が少し変わってきたのだろうか。前はどこかに行こうとしているのだが、道に迷ったのかいろいろなことで目的地に着かないという感じの夢ばかり見た気がする。
それがすこし変わって来ているのではないかという気がする。どういうふうに変わっているかはよくわからない。というのはあまり夢の記憶が確かではないからである。頭が老化してきて、記憶する力が弱くなっているのかもしれない。
いまでもやっておきたいことは累積する一方だのに、課題はほとんど片づかない。そういう時期があるのだとある意味で達観している。それは一つには自分のものではないことに時間を割いているからである。
ところがこれがなかなかの難題で簡単にことが片づきそうにない。そういう時期もあるのだろう。それでという訳でもないのだが、気晴らしがてらの複素解析の勉強である。こういうのは普通は学生のときにしっかりやっておくべきことだったのだが、私はうっかりとして時を過ごしてきた。それでも今からでもおそくはなかろう。
それともう一つは複素解析に入るきっかけとなったのは無限級数の収束とかの話からである。いまはちょっと無限級数の話は私の意識の背景に退いてはいるのだが、もう一度それが前面に出て来なければならない。
大体、実数の範囲で級数の収束の円だの収束半径だのという語はなかなかピンとこないが、複素級数であれば、その2次元性から収束半径と収束円とかが意味をはっきりともつ。無限級数の収束ということがはっきり問題になってきたころに多分複素関数の研究がなされるようになってきているのではあるまいか。
こういう点が数学史家として著名な高瀬正仁さんがどう捉えておられるのか知りたい。もっとも私はいままでそういう観点から高瀬さんの本を読んだことがなかった。そういう視点から読んで見たらどうなるのであろう。