今日の朝日新聞の天声人語で天文学者の古在由秀さんが亡くなっていたことを知った。
人工衛星が上がるようになってから、急に古在さんの名前が挙がったのは私が大学生のころだったと思うので、もう50年以上も前のことである。アメリカに呼ばれて人工衛星の軌道とかをきちんと計算できたので、アメリカ人が眼をみはったとか。
いま慌てて、書棚を探したら、古在さんの書いた『地球をはかる』(岩波書店)という本を見つけた。これは私が購入して持っていた本ではなく、中学校の理科の先生をしていた、亡くなった長兄の蔵書である。彼の家が雨漏りがするようになったので、破壊して撤去するにあたり、兄の本の幾分かを私が引き継いで現在では私の蔵書となっている。
この本には古在さんが結局は引き込まれることになった人工衛星のことを取り扱った章もある。第4章「人工衛星ではかる」である。この冒頭に当時のソ連の人工衛星が上がったのが1957年10月5日だったとある。このとき私は高校3年生である。1時限目の数学の時間に数学の池内先生が教室に入って来るなり、「ソビエトが人工衛星を上げたね」と言われたのを今でもよく覚えている。それくらいのショックであった。
その当時あまり数学が達者ではない、私のような者でも人類が「人工衛星を上げたこと」はやはり大きな感銘を受けた。その後の大学の理工系学生の増募が始まったきっかけでもあった。私の目指していた大学の物理学科でも学生の入学定員が5人か10人定員が急に増えた。
それはともかく人工衛星の軌道から、地球の形を決めるという仕事へと発展していく。これはジオイドと専門用語で呼ばれているものである。これが元々は天体力学の研究者であった、古在さんがその後に手掛けるようになった研究分野である。
古在さんの本によると古在さんがアメリカに出かけたころ、アメリカにはほとんど天体力学の研究者はいなかったという。天文学はかなり以前は天体力学で惑星や衛星の位置を計算で算出するのが仕事であったが、分光学の進歩で天文学の主な分野は天体力学から分光学による研究に重心が移ったと学生のころに天文学の講義で聞いた。
私たちに天文学の講義をしてくれた 村上忠敬先生は京都大学の出身で、天体力学の専門家は数学がとてもよくできなければならなかったのだが、それが分光学のお蔭でその数学が天文学にそれほど必須ではなくなったので、よかったと漏らされておられた。
(付記)哲学者の古在由重さんは、天文学者の古在さんの叔父である。天文学者の古在さんは1928年生まれというから私と比べれば、11歳年上である。