物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

質点は英語でなんというか

2018-03-23 17:12:32 | 物理学

知らないことにふと気がついた。あわてて大学の一般物理の英語の本をちょっと調べたがわからない。それで原島鮮先生の『力学』I(裳華房)の質点という索引をみたら。particleとあった。material pointという語もあった。

日本語で質点というときには英語ではこのどちらかの用語を使うのであろう。質点という用語に対する英語を知らないということに気づいたときには、実際慌てた。先日、剛体をrigid bodyというと知った顔でこのブログで書いていたからである。

ちなみに質点というのは理想化された概念の用語であるのはいうまでもない。大きさがなく、質量だけがある点というのはもちろんそんなものはこの実在の世界にはない。もちろん、素粒子だって普通には場の量子論で大きさのない粒子として取り扱っているとしても、これはある種の理想化であって、大きさがないのに、質量だとか電荷とかがあり、かつフェルミ粒子だと固有の角運動量(スピン)まであるなんてことはない。すべて粒子も大きさをもっているはずである。

それは素粒子にも大きさがあるのだろうが、ある観測にかかる物理量として極めて小さい量であることを意味しているのであろう。それで原子核とかその他の粒子の電荷の広がりだとかを物理では問題にするということであったと思う。


何か書くということ

2018-03-23 11:51:38 | 日記

が義務化している現況はおかしい。本来書くことがあるからブログを書いているのであって、ブログを書くために書くタネを考える考えるのではないはずだ。

ところがときどきこの事実が逆転する。これは本末転倒だが、その本末転倒が起こる。

話はまったく異なるが、広島県の呉市と倉橋島との間に音戸大橋という大きな橋が空中高くかかっている(注)。それは私が学生のころにできたので、もう半世紀以上前のことである。ところが昨年9月初めに広島市で大学の同窓会があったときに、久しぶりにフェリーに乗ったのだが、なんともう一つ新音戸大橋とでもいうべき橋が架かっていることに気がついた。それだけ倉橋島と呉市との行き来が頻繁になっているということだろう。

二つの橋が同時に使われている。古い音戸大橋はその中に廃棄するのかもしれない。その辺も事情はまったく知らない。それに倉橋島もいまでは呉市の一部となっているのであろう。

この島の出身の数学者の友人 H 君がいる。もっとも彼と連絡がなくなって久しいので、健在なのかどうかは知らない。大阪にいたはずだが、現在はどこにすんでいるのであろうか。

(注)ここはもともと陸続きであったが、舟を使っての、宮島参詣のための近道として、平清盛が一日でこの水路を開いたと言われるところで、音戸の瀬戸といわれる潮の流れのはやいところである。古い音戸大橋の下にはこの音戸の瀬戸を開いた清盛を祀ったといわれる清盛塚がある。いつだっか、瀬戸内海汽船だか石崎汽船だかの高速艇が舵を切り損ねてここらあたりで事故を起こしたことがあり、今ではこの箇所では高速艇も速度を落とした低速運転する。