物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

出版社

2018-03-08 12:13:28 | 日記

をしている人はもちろん職業の一つとして出版社をやられているのであろうが、やはり出版を通じて社会に貢献したいという志があると感じる。

小著『四元数の発見』を出版してくれた海鳴社の T 社長などもそういう志をもった方である。はじまりは海鳴社から堀源一郎著『ハミルトンと四元数』が発行されたことにさかのぼる。この本の第2章を読んでよく分からなかったことから、私の書いたエッセイを送ったところ『ハミルトンと四元数』の編集に協力された K さんがそのエッセイを読んでくださって確かにこちらの方がわかりやすいと言われたことから、T 社長が乗り気になられてなにか書きませんかという話になった。

T さんは「四元数のことなら、海鳴社と言われるくらいになりたい」という志を私にメールで述べられて、なかなか筆が進まない私を励ましてくださった。T さんから依頼を受けてから 7 年後にようやくその依頼に応えることができた。

いまでは四元数の関係の本は私の知る限りでは日本では7冊出版されている。その中で2冊を出されているのは海鳴社と工学社だけである。他の出版社は培風館、日本評論社、森北出版とそれぞれ1冊づつである。

それぞれの出版社が特色のある書を出されているので、それぞれが意味があるけれども、四元数についていま学ぼうとする若者がいれば、そのどれを選択して読むのかの選択に迷うほどである。

話がいつものように大きくはずれた。出版人という人たちにも単なる職業から離れたこういう志をもった人がいる。このことは常に心に止めておきたい。


思想

2018-03-08 11:25:42 | 日記

とは大きくいったものだが、あまり大きなことを言うつもりはない。

いつも車を運転しながらNHKのFMの音楽の番組を聞く。

それほど長い時間ではないが、11時から20分の小原隆さんのピアノとトークもときどき聞く。彼は音楽でコンサートをするのは何らかの思想であり、メッセージだというふうに言われていた。

私はそういうふうに考えたことがなかったが、たとえば、私たちの発行している、「数学・物理通信」だってそういえば、ある種の思想の産物であろう。

共同編集者の N さんと私とが二人で発案してこのメール配布のサーキュラーをはじめたのだが、やはりそれをはじめた理由がある。ちっと誇張していえば、志があった。

そんな大仰ないい方は好まないが、やはりそういう志がなければ、継続しての発行は難しい。もっともそういうことを表に出すことはあまりないし、またそうするつもりもない。というかそういうことを言うのが恥ずかしい。

もう何十年か昔のことだが、こどもが浪人しての受験勉強中に『ファインマンの物理学講義』第1巻(力学)を読んで、言っていたのは、「物理学は思想だとわかった」という。

私にとって、物理学が思想であるとまで思ったことがなかったので、それは一理があるのかなと変な納得をしたことがあった。

数学者の高瀬正仁さんとか、科学史家の山本義隆さんなどもある意味の思想家であろう。数学が思想であることを解明しようとして、数学史にのめり込んだというふうに高瀬さんの書いたものを読んで感じる。

山本義隆さんなどもそういう意味では狭い意味では科学史家であろうが、その枠にははまらない、思想家であろう。彼は取り立てて、ことさら哲学的なことをいうわけではないが、やはり大きな意味での思想家なのだと思う。

私は自分が思想家だとは全く思っていないが、それでもある種の思想がないわけではない。もっとも私はあまりにもこまごましたことにいつも気をとられるので、思想家としての資格に大いに欠けている。