物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

一様収束

2018-03-26 14:48:00 | 数学

なんて用語が自分にわかる日が来るとは思っていないかった。などというとそんなことをもわからなかったのかといわれそうだが、そうなのである。

具体的な例とか、一様収束しない例とかも知ってようやく少しずつわかってきた。大体、数学の概念などわかるなどと思ったことがなかった。一様収束はしかし大事な概念であるので、数学の専攻者は知らないではすまされない。

それでもまだいろいろとはっきりとわからないこともある。完全にわかったとはいえないが、上極限の例を知ったので、そういう概念があるということを知った。

具体例を知ると強い。

集積点という概念があり、これなどもよくはわなからなかった。最近すこしづつわかりかけて来ている。

あまり名著と言われる書物で数学を学ぼうとすると、いけないのではないか。もう少しわかりやすい書を読んでまず学ぶべきなのであろう。

よく、物理学とか数学等の指導的な研究者がいる。そしてそれほど指導的ではないが、その指導的な研究者の論文等が理解できたり、重要性を認識できたりする研究者がやはりいる。そしてそういう人が解説を書いてくれてようやく指導的研究者の仕事の偉大さがわかる研究者がいる。そういう階層構造になっている。


数学・物理通信8-3の編集が完了

2018-03-26 14:16:24 | 日記

した。最後の著者点検に先ほど出した。これで著者からOKがでれば、数日して発行となる。3月中には発行ができそうである。

8巻3号ははじめは発行しないつもりであったが、原稿がはみだしたので3号を発行することにした。そうしたら、逆に8巻2号の原稿量が少なくなってしまった。

それでも3号を出すことにして私も急遽短い文書をつくったが、どうも量がたりない。ところがいつもたくさん投稿を下さる S さんがちょうどいい長さの原稿をもっているというので、お願いをして投稿をしてもらった。助かった。

他の短い用語解説を書いていたが、それは今回は掲載をしなかった。また、機会があるだろう。


花見

2018-03-26 13:53:53 | 日記

昨日の日曜日お昼を済ませてから、毎年桜を見に行く石手川河畔の岩ゼキのところへ桜を見に行った。少し早いがそこそこ桜が咲いていてよかった。もっともまだ満開ではなかった。

昨年もここに花見に行ったし、一昨年もそうだった。そこで京都の南座に歌舞伎をバスで一緒に行ったことがある、女性の H さんと数年前にここで出会ったが、その H さんも先年亡くなったと聞いた。

そのほかに妻は別の I さんにもあって話をしたとことがあるという。この人も足を悪くしているという。松山の石手寺という有名なお寺の近くであり、ここからは弘法大師の大きなコンクリートでできた像が山の上に見える。

もっとも妻がこの弘法大師の像をスマホで写そうとしたのだが、目で見るほどには大きく写らないと嘆いていた。ここで1時間ほど川岸のベンチに座ってお花見のあとで、その近くのスーパーで買い物をした後、石手河沿いのサクラを車で通りがかりに見てから、帰宅した。

来年の花見ができるかどうかわからないというのが妻の口癖である。そうはいうが、どこか特に体に悪いところがあるわけではないので、かなりの確率で来年のお花見もできるであろう。これはもちろん私たちが交通事故等に合わないという仮定があるけれども。

愛媛県の松山かその近くに住んでいた人が育てた陽光という桜がこの石手川の岩ゼキのあたりには咲いている。これはそめいよしのよりも色が赤く花はあまりきれいではないが、その色が赤が濃いのであまり近くに近寄らないで遠くから見ているとその色のしっかりしたところがいい。

花見の人はそれほど多くはないが、今週の週末まではもたな意かもしれないと思われた。大体、私はあまり日本酒は飲まないので、花の下で宴会をする方ではない。それでも毎年妻が誘ってくれるので1回か2回は花見に出かけている。今年は東京の桜が早いようなのでお誘いを頂いたが、今年は行くことができない。これは町内会の班長さんが回ってきているためでもある。