Grassmannはその一生を今でいえば、中学校と高校の教師(ドイツではこういう学校をギムナジウムという)として過ごした。いまや、このGrassmannの数学は微分形式やベクトル解析等で欠くことのできないテーマとなっている。
最近、若い日本の研究者が職を見つけられないために、30歳代の途中で研究者以外の職業を探す羽目になっているが、そういうチャンスさえGrassmannにはなかった。
もっとも、これはGrassmannの数学が時代をとても先んじていたからであり、同時代の人々からは理解されなかったという。これはその成果をなかなかわかりやすい言葉で表すということができなかったためだとも言われている。
同じような仕事をしたHamiltonの四元数の発見はすぐに一般に知られるところとなり、これが現在のベクトル解析のもう一つの端緒をなしている。ベクトルのスカラー積とかベクトル積とかはHamiltonの四元数の積から出てきたものである。
同時代人であり、大数学者だった、GaussもGrassmannの数学の書き表し方が哲学的にすぎているという判断だったという。幸いなことにGrassmannの考えを理解して、それを簡易化してくれた物理学者のGibbsをはじめとした学者がいなかったら、世間に知られずに終わってしまったかもしれなかった。