Alles ist verg"anglich, was auf der Erde ist.(この地上にあるものはすべてはかない)とは3月のNHKの「まいにちドイツ語」のテクストに出ている文句である。この文はこの順序で言われるのが普通であろうが、Alles, was auf der Erde ist, ist verg"anglich. といってもよいだろう。もっともそれだと主語がでっかすぎるので、冒頭の言い方が好まれると思う。
このテクストを書かれた講師の藤井明彦先生は日本人だから、ちょっと仏教的なフレーズを入れられたのであろう。それにこれはドイツ語の文法的にいえば、副文の定動詞後置を示すのにいい例であろう(注)。
そういえば、先日の朝日新聞に「持ち家だが、私は地球の一時の住民」だという意味の俳句があった。これは漢籍の古典にある「月日は百代の過客にして、行きかう人もまた旅人なり」とかもそうであろう。そして、この句は芭蕉の『奥の細道』の冒頭の文句としても引かれている。
「はかない」と書いて、なんだかこれに対応したフランス語を知っていたはずだと思いついたが、それがなんだったか思い出せなくなっていた。しかたなく、和仏辞典で「はかない」を引いてみて、それがephemereであったことを思い出した(アクサンをつけることは失礼している)。いつかのブログでも書いたが、これはまず英語で知った語であり、物理学者のF. J. Dysonの論文選集ではじめて読んで知った語であった。
もっともDysonは、数学の論文は未来永劫に真であるが、物理の論文は短命ephemeralであるという意味に使っていた。というのは彼は数学者でもあり、物理学者でもあるから、当然のことながら数学の論文と物理の論文を書いている。
定動詞とは、主語に応じて人称変化する動詞のことである。主語の人称に応じて変化する前の動詞の形を不定形とか不定詞という。英語なら、動詞の原形というところである。
ちなみに節(clause)とは主語と動詞を含む英文のことである。しかし、もちろん節だけでは文は完結しない。あくまでも節は文の一要素にしかすぎない。また文の一要素としては句(phrase)があるが、これはもちろん文章の一部の構成要素だが、主語と動詞を含まない。そこが節とは違うところである。
ついでに付言すると、数学教育協議会の数学教育では等式変形において、フレーズ型式変形とかクーロズ型式変形と言われる用語がある。今これがなんであったかは、よく思い出せないが、方程式の式変形と恒等式の式の式変形の違いを意識させる話と関係していたと思う。もっとも恒等式でもその中のある量について式を解くという、「主格変換」の場合にはクローズ型の式変形が使われる。
もっともこれらはjargon(専門用語)であろう。