「息の跡」と「廻り神楽」という二つのドキュメンタリー映画をコムズで見た。松山市の民間団体マネキネマの主催行事の上映会である。
どちらも岩手県の話とも思われるドキュメンタリーである。「息の跡」は東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼の種屋さん、佐藤さんを追いかけたドキュメンタリーである。佐藤さんは、種とか苗を取り扱う、いわゆる種屋さんなのだが、東日本大震災の特に津波被害を報告する大部の英語の本を書いた。それを500部くらい印刷した。売っているらしい。
これは津波の被害にあってもこれを記録に残しておかないと後世の人のためにはならないという、佐藤さんの強い考えからしたことである。なんでも記録に残しておかないといけないという思いがとても強い人である。
つぎには、中国語で書き、さらにスペイン語で書こうとしている。
津波の被害の記録は確かに残されていたのかもしれないが、つぎの津波のさいに根こそぎ、失われてしまったことを残念と思っている。ところがこの佐藤さんは世界的な記録を調べてみると、実は地元というか日本には記録が残っていないが、スペインかポルトガルから来た宣教師か何かの記録が1633年だかの津波の記録として残っていたという。日本には記録は全く残っていなかったのに。
佐藤さんがそれで英語とか中国語とかはたまたスペイン語で東日本大震災の記録、とりわけ津波の高さの記録を英語の出版物や中国語の出版物に残そうとしているのはそのためである。
彼が卒業した高校の建物も津波で壊れ、後輩の生徒もまた、彼が教わった高校の先生も多くが亡くなった。友人も友人の子どもや孫も亡くなったという。
自分が書いた英語の本を朗読する箇所がある。日本語の字幕もついてはいたが、私は英語の字幕を映画では追った。その発音は日本語風ではあったが、まさしく英語であり、ちゃんとした英語であった。
佐藤さんはいう。なぜ日本語でこの記録を書かなかなかったか。それは日本語で書くとあまりにも悲しくなるからだ。
この佐藤さんを密着撮影した、小森はるかさんはまだ21か22歳の女性である。はじめに佐藤さんが撮影している小森さんに聞くところがある。結婚でもしたら、そのままになるのではないか。
小森さんの答えは「いいえ」であった。佐藤さんもであるが、東北人はなかなか頑固であり、それゆえに頼もしい。
「廻り神楽」のことについて書くことは、また別の機会にゆづろう。