「数学ができないので」というと人がほっとするという。
これは私が人とつき合うときに、取っている社交術ではないが、妻がよく人とつきあうときに自分のことを過度に、褒めてくれたりした人にいつもいう社交術である。
彼女はべつに数学ができないからといってインフェリオリティ・コンプレックスなどまったくもっていないが、ときどきそういう言葉を口にする。つまり、つきあってくれそうな人の気持ちを楽にする一つの方法と心得ているらしい。
世の中の人の大部分は学校での数学にいいイメージをもっていないのだから、この戦略はたいてい成功する(注)。
妻ではないが、私の知人に小学校の算数の本を何冊も書いた人がいるが、この人は高校の同窓会であった友人に自分のは「文系の数学」だというと相手もほっとしたような顔をするとか書いていた。
ちなみに言うと、彼はノーベル賞受賞者の中村修二さんの高校の同期生である。そして、このことを知ったのも実は中村氏のノーベル賞受賞が契機となって高校の同期会が盛んにおこなわれるようになったという文脈から出たエッセイであった。
(注)別に数学ぎらいが多くて喜んでいるわけではない。学校が数学ぎらい一人でもつくらないようにと願っている。というか、数学だって必要になれば、いつでも学びなおすくらいの気概をもっているのなら、学校で数学をあまり勉強しなくてもかまわないと思っている。