物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

テラー

2019-08-09 17:26:32 | 物理学

テラーとは水爆をつくったエドワード・テラーのことである。

NHKの昨夜の「フランケンシュタインの誘惑」ではオッペンハイマーを権力の座から追い落して、自分が表にでて、水爆をつくったのはよかったが、オッペンハイマーを追い落とす査問委員会の証言で彼に不利な証言をしたために、その後の科学者社会とのつきあいがなくなって、晩年はとてもさびしかったのではないかとの話であった。

ピアノを弾くのが好きであったから、晩年はピアノを弾いて過ごしたという。それでもあからさまにつきあいはなかったかもしれないが、ノーベル賞学者のヤンはテラーの支持でシカゴ大学で学位をとったので、少しはテラーに同情的であった。

量子電気力学の業績で知られる、ダイソンもそれほどテラーを嫌ってはいなかったらしい。でも昔からの友だちはみんなテラーから離れてしまったことはたぶん間違いがない。

テラーは山登りも好きであった。若いときに、これはたぶんハンガリーにいたときの話だが、電車にはねられて脚を折ったとか聞いている。だから脚がわるかったはずだ。

なかなか直観的な理解をする人だとも聴いている。テラーの群論の理解が直観的であったとかヤンの書いた文章で読んだことがある。

ただ権力的なところがあり、ちょっと科学者仲間からは人生の途中から大いに敬遠された。

 


他の仕事を

2019-08-09 12:10:41 | 数学

どうしてもしなくてはならない用事ができると、その当面の仕事に向き合えず、他の仕事をしたくなる。困ったものだ。

8月24日に高松である、徳島科学史研究会の講演の準備をしなくてはいけない時期なのに、四元数のことが気になったり、Pauli行列の導出法についてのエッセイを書きたくなったりしている。

どれも実際にはそれらの仕事に携わっていないが、そういう気が起こるから不思議である。生来怠け者の習性が出てくるのであろうか。

昨日も四元数の補遺として書いたエッセイを持ち出してきて読んだりしてしまった。それらを書いたときにはよくわかっていたはずなのに何を書いたのか思い出せなくなっている。なにかそれぞれ、そのときには気になったことがあったので、長々と書いたのである。

それがなかなか思い出せない。実は先日ある方から、本を送ってもらったのだが、それがベクトルの回転子と関係があったということもきっかけとしてはある。

『四元数の発見』(海鳴社)を書いていたときに、書こうと思っていたテーマでも落としてしまったものがある。それをわかりやすく書いておくべきだったかなどと思っていたりする。

ある種の思い切りで、それらのテーマは落としたのだが、『四元数の発見』の英訳をするなら、そのときにはこれらのテーマも含めたほうがいいかもしれないなどと、あらぬことを考えたりしている。


おひさまいち

2019-08-09 11:28:33 | 日記

「太陽市」と書いて「おひさまいち」と読ますらしい。ここに好きな料理をとって自分の盆にいれて、レジで支払って、食べるレストランがあるとか聞いていたのだが、一昨日までそこへ行ったことがなかった。

東京から知人が来たので、その人に会うためにおひさまいちのレストランで一緒に昼食を食べた。松山の農協のスーパーも併設されている

一昨日の私の食べたメニューは

 ロールパン   75円

 サラダ      162円

   チキン南蛮  410円

   きんぴら   182円

であった。

JRの駅の東の温泉青果のビルの横にある。松山の人は一度訪ねてみてはどうだろう。    

 


船でくる・・

2019-08-09 11:19:26 | 日記

     船でくる友もありけり夏座敷    子規 (1888)

英訳は

     Some friends came by boat

              summer guest house

である。

松山の三津浜に渡しがあるので、三津浜のどこかの座敷で宴会を子規の友だちが開いたのかもしれない。そのときの様子をすぐに俳句に詠んだのだろう。この句は1888年(明治21年)の句だというから、亡くなった私の祖母の生まれた年に詠んだ句だということになる。

この句はE大学校友会が送ってくれたカレンダーの8月分に載っている。