兄が亡くなったので、その葬儀に参加するために数日ブログを休んだ。なにせ2つ違いの兄でほぼ80年のつきあいというか、子どもときには一緒に育ってきた。
朝鮮(今の韓国)にいたほんの子どものころからである。葬儀のときに不覚に涙が出て止まらなかった。
兄嫁のN子さんは50年以上兄と一緒にくらしてきたから、それほどの密度の濃さではなかろうが、それでも兄弟の仲はそれほど悪くはなかったから、涙が出て止まらなかったのは理由がないわけではない。
その葬儀も済んで帰宅した後で、妻から「国を守るとはどいうことだろうね」と疑問が投げかけられた。
これは姪の子が海上自衛隊に所属しているので、国の防衛に関した話を聞いたからである。もちろん表面的なことで深い話ではない。また、兄からも自分の国を自衛隊が守らないでどうするといういい意見も以前に聞いていたからこういう疑問がでたのも頷ける。
私は国を守るのは自衛隊ではなく(建前ではそうであろうが)、根本的には外交であるという考えである。それに人類全体の将来を考えたら、自衛のために装備を拡充したりすることはほどほどにして人類全体の存続を考えるべきだという基本的な考えである。
長い歴史的な時間で考えると地球は滅亡するのだが、それをできるだけ先延ばしにするためにできることは人類全体の協調しかない。
その宇宙論的な見解と世界の現状とかほど遠いことは承知しているが、それでも、こういういわゆるマインドセットの入れ替えをしないといけないのだと思う。これは理想主義に見えるが、そうではなくて、きわめて現実主義的な考えなのである。
湯川秀樹は世界連邦の支持者であったが、彼の頭の中ではそういうマインドセットの入れ替えがされており、人類の将来のためには世界連邦が必要だという信念をもたれていた。これは一見理想主義のようだが、彼にとっては実は極めて現実的な思考であった。
私も別に彼の受け売りではなく、そう考える。だから本当に地球上での人類の生存の真剣に考える限り、国を守るというようなローカルな考えは現在の暫定的な措置であって、将来を見通した考えをだれでももっと持たなければならない。
しかし、自分にできることはそれには程遠いことではある。だが、そういう大きな目標をもたないといけない。
くりかえしになるが、国として現在できる最大の努力は外交であろうと思う。政治家も外交官もそういう地球上の人類の生存に関係した高邁な識見と見解をもたなければならない。