物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

接続法第一式

2023-04-17 15:34:21 | 外国語

接続法第一式について学んだことがなかったわけではないが、つい最近までこのときの動詞の語尾変化が語幹にeをつけたものが基本になるとは知らなかった。知らなかったというのが言い過ぎならば、認識をしていなかったとでも言えば、ちょっときれいに聞こえるであろう。

ラジオのNHKの「まいにちドイツ語」放送などほぼ45,6年も聞いているのにである。それも接続法の第二式は知っていたが、第一式はあまり会話ではでて来ないので、知らなくてもそれで困ったということはなかった。これは私のドイツ語は主に話すドイツ語であり、書いたり読んだりするドイツ語ではないといことが基本にある。

日本でドイツ語に関係している人の多くはドイツ語を読んだり、書いたりことが多いのかもしれないが、私にとってのドイツ語は基本は話す言葉としてである。だからあまり文章を読んだりしたことはない。昔、大学院の学生のころにドイツ語の本をセミナーで1冊読んだことがあるが、これはスウェーデン人の書いたドイツ語であったので、いわゆる冠飾句(das linke Attribut)などはでて来なくて比較的簡単なドイツ語であった。

同じ物理の本でもパウリの量子力学の本などは冠飾句でいっぱいである。これはドイツ語を母語にしている人のドイツ語だから当然なのであろう。私たちの読んだ本は実はSpringer Verlagという出版社のHandbuch der Physikという叢書のパウリの量子力学の後に付いているQuantenelektrodynamikという部分であった。

もっともドイツ語よりも数式があまりよくわからなかったから、この本を読んでファインマン・グラフの計算ができるようになったわけではない。ファインマン・グラフの計算が見よう見まねでできるようになったのは別の英語の本を読んでからである。

ファインマン・グラフの計算はある種の積分であるが、それを運動量空間で計算するとこれは何次かの積分はデルタ関数で自動的にできるが、それでもまだ積分が残る場合がある。この積分を数値的にするためにガウス数値積分をコンピューターで行ったことがある。

話を元に戻そう。接続法の話であった。この接続法一式はあまり会話で使うことがないから、それを知らなくてもあまり不便に感じることはなかった。

もちろん、ドイツに根を下ろして生活するならば、電気製品を買ってそれを使うときなどにその使用説明書を読まなくてはならないだろう。そういうときには使用説明書は接続法の第一式で書かれているはずである。たとえば、man benutze・・・とか書いてあるかもしれない。

もう半世紀近く前のことになるが、大阪のゲーテ・インスティチュートでドイツ語の能力試験のためのテストを受けたことがある。このときゲーテの先生からお前はそこそこ会話はできるが、もう少し文法を学ばねばならないと言われたことがあった。どこをまだ学ばねばならないのかわからなかったが、これはそのときにでてきた間接話法でer habeとか出てきたら全部まちがいとして、er hatの方を正しいとしたからであったのだと今にして思う。しかし、そのときはそんなことを思いもしなかった。

この能力試験は資格検定のためではなく、ドイツのゲーテでのどのコースに入るのがいいのかを判定する試験であった。そのときは、まったくの初心者のコースA1ではなくA2という初歩のドイツ語を復習強化するコースに入ったが、そこでは残念ながら接続法の第一式などでて来なかったように思う。

そういうことで八十数歳になる現在まで接続法第一式の動詞の変化の基本がわかっていなかった。これはあまりに遅かったとしても、この接続法第一式を知らないで人生をおわるよりはよかったと今では思っている。


Möbius (1790-1868) (2)

2023-04-17 10:38:06 | 数学

これはメービウス小伝の(2)です。(1)は4月14日のブログにありいます。

彼の研究・業績はどれをみても、できるだけ近道をとって、少数のしかも適切な手段で一つの目的に到達できるために大いに努力をしていたことがわかる。したがって彼の功績は数学的科学の内容を豊かにした多くの定理の発見をしただけではなく、その理論を発展させ、定理を証明し、定理と定理の相互のつながりを明らかにする方法を美しく簡明にしたことであった。

メービウスの研究は四つの時期に分けられるであろう。第一期は1817年からder barycentrische Calculを発表した1827年まで、第二期はそれ以後1837年までで、静力学のテクスト(die Mechanik des HImmels)にその大部分が収められている。最後の第四期は数多くの大論文が続出したときであり、およそ1846年から1856年にわたっている。

メービウスは19世紀前半の有数な大数学者の一人であり、特に近代における幾何学者として屈指の権威者だが、また球面三角法の基礎の公式を180度以下の制限をおかない、任意の大きさの角および弧からできた球面三角法に拡張した論文(1860年)は第四期の多くの論文の中でも特に優れた論文である。また球面三角法の体系となることになった重要な理論、双対の原理(principle of duality)を発見した功績もわすれてはならない。(以上は新沼恒次郎『球面三角法』より)

『家庭の算数・数学百科』(日本評論社)によれば、数学者としてのメービウスは射影幾何学と整数論の研究で業績をあげ、射影幾何学ではメービウス変換、整数論ではメービウス関数の名を残しているという。

しかし、私がこの「メービウス小伝」の冒頭に書いたようにメービウスの名を世に広めたのは単側曲面メービウス(向きつけ不能な曲面)の発見であるという(注)。裏表の区別がつかない異様な曲面は小学生でも実感できる不思議な曲面であるとのこと、またこれによってメービウスはトポロジーの先駆者としても名を残すことになったという。

(注)単側曲面メービウス(向きつけ不能な曲面)とは何か。裏と表の区別がつかない曲面である。一つの帯を紙で作り、それを一ひねりしてその両端をノリでくっつける。そうしてつくった曲面の真ん中の一点をその帯の真ん中においたままずっと帯にしたがって鉛筆とかマジックペンで線を引いていくといつの間にか元の点に帰って来て線がつながってしまう。これが単側曲面メービウス(向きつけ不能な曲面)とかメービウスの帯と言われるものである。単側とは裏表の二つの側があるのが普通の曲面だが、側が一つしかないからつけられた名のなのであろう。名前があるとは知らなかった。