物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

バレンタインのチョコ

2011-02-15 12:52:44 | 日記・エッセイ・コラム

妻からバレンタインのチョコをもらうようになってから、どれくらいの年数が経つだろうか。今年も昨夜の食卓に乗っていた。まあ、夫婦で互いに勝手なことをやっているが、まあまあの仲であろうか。

いつもよく夫婦で話しているのは夫をまたは妻を殺害するくらい思いつめる事態になったら、そういうことはせずに別れるべきだと。そういう深刻な事態に陥る人は少ないのかもしれないが、やはり世間にはいるのだと思う。

深刻なDV(ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力))に陥ったら、離婚とかを申し出るまでもなく逃げるしかない人もいるだろう。それも普通のDVは男性の方からの暴力だが、世の中には女性からの男性への暴力もあるのだと聞く。そういう男性はなかなか他の人に相談できなくてつらい立場の人もいるという。

暴力を働く人の心理にまで立ち入って考えれば、そういう心理に陥る原因があるのだろうから、そういう心理的状況を救わないといけないのだが、自分でそのことを自覚できないと外から救出の手を指す伸べることもなかなか難しい。

だが、最近では隣に住んでいても隣がどういう人か知らないというのがそんなに不思議ではなくなっている。同じ団地で一人での孤独死があると、ときどきニュースや特集の番組で見るから、世間にはほんとにいろいろな方々が居られるのがわかる。

24時間自宅のカメラでインターネット中継で見守ってもらうという方も1,2ではないらしい。もっともそういう技術がないといけないわけだから、年配の人にはそういう人は居ないと思われるけれども。

私にしても日中は一人で仕事をしているので、なんかの拍子に脳溢血とか心不全とかその他自分では予想がつかない原因で孤独死をするかもしれない。そして、夜になっても自宅に帰って来ないというので妻が仕事場に来てみたら、死んでいたなどということだって起こらないなどとは限らない。

物騒な話になって恐縮だが、だが、それが人生というものだ。C'est la vie.(セ・ ラ・ ヴィー)


四元数、逆格子ベクトル、ラメの定数

2011-02-14 12:57:55 | 数学

現在の私の関心事は3つある。

一つはこのブログでも前から言っている逆格子ベクトルであり、もう一つはラメの定数の導出であり、最後の一つは四元数(クォータニオン)である。

そのいずれもそんなに簡単なことではない。そのテーマに付随した予備知識が必要という意味で簡単でないのである。

前の二つはそれらについてのエッセイを書きたいと用意しているのだが、なかなか取り掛かれない。逆格子については一部をすでに書いているが。

逆格子についていえば、逆格子に至るまでに結晶の幾何学の知識がないと逆格子のことを述べられない。

それをできるだけ少ない知識に限って逆格子ベクトルをどのように書くか。それが問題である。また、逆格子ベクトルがどうして重要であるかの意義がまだ十分には説明できない。

X線や電子線あるいは中性子の回折を専門にしている人なら、この逆格子が実際に実験をするときに重要な役割をすることを知っておられるのだが。

私の友人に中性子回折を専門にする物理学者がおり、いつかこの人のセミナーに出たら、学生に逆格子の意義を説明されていた。

ラメの定数は弾性体の応力とひずみに関係した事柄だが、応力とひずみについての一通りの知識をどこまで絞れるかという難しいことがある。これらを知っているならば、ラメの定数の導出について書くことはそれほど難しいことではない。

最後の四元数であるが、これは最近のCG(コンピュータ・グラフィックス)とかNC(ニュメリック・コントーロル)という自動制御機械との関係から、物体とか図の運動の知識が必要となっているからである。 

それまで四元数はベクトル解析の後ろにある概念として考えられていて、もう勉強する必要のない古臭いテーマであり、そういうテーマには特別な数学者とかを除いて一般に関心がもたれなかった。

いずれもなかなか私にとっては面倒なテーマであるのだが、いずれにしてもなんとかわかりたい。

弾性論にしても結晶学にしても学生の時代にはあまり関心をもたなかったので、そのつけが現在に回ってきている。

四元数はその存在くらいは聞いていたが、まったく関心をもったことなど数年前までまったくなかった。

Hamiltonが四元数を考えついたプロセスについては、彼の論文を解読したエッセイを愛媛県数学協議会の機関誌「研究と実践」にすでに数年前に発表している。もっとも、このHamiltonの論文の残りの大部分の内容は私にはまだ解読できていない(付記を参照)。

(2012.12.14付記)  四元数についてはすでにサーキュラー「数学・物理通信」の中にシリーズで書いている(現在シリーズは継続中)。

インターネットで「数学・物理通信」を検索をすれば、名古屋大学の谷村さんのサイトにリンクされている、数学・物理通信のバックナンバーへと到達できる。

四元数について「数学・物理通信」の四元数のシリーズで十分書いてきたとは思わないが、このブログ記事の以後にわかったことはこれらを見てほしい。

(2024.12.5付記)すでに『四元数の発見』(海鳴社)という四元数の本を2014.11に上梓している。これは初刷は2,000部を売りつくして2022.11月に第2刷が出ている。

本の定価が安価なだけでなく、わかりやすいはずである。高校生でもすこし力のある人なら十分に読める。 こういうやさしい四元数の本はいままでなかった。

アフガニスタンの誇り

2011-02-14 11:31:45 | 国際・政治

アフガニスタンは石油も産しないし、日本にとっては遠い国である。

タリバン政権が支配していたときから、政権が変わったが、それでも今の政権も主導権の争いからうまく行っていないという。選挙があったが、その選挙に不正があったとかともいう。

もちろんそこでアフガンの人民を支援している日本人もいるらしい。それはペシャワル会に属する人たちであり、また他の人もいる。昨日はNHKの「日曜美術館」で平山郁夫とシルクロードの美術をとり上げていた。

平山郁夫は私よりも9歳年上であり、1930年生まれで2009年に亡くなった有名な日本画家であるが、シルクロード上にある国々や地域の美術や文化遺産を保護する活動も行っていたらしい。

その中にアフガンの内乱のときにカブールの博物館から多くの文化遺産が略奪にあって、外国に持ち出されて売られたという。その中の一部は遠く日本にやってきて、それをかなりの値段で購入した方々がいたらしい。

平山氏はユネスコの日本委員会というのを立ち上げ、この日本人が購入したアフガンの文化遺産を寄贈してもらって、日本で保管するという活動をした。

アフガンの政治情勢はまだ落ち着いているとはいえないので、アフガニスタンにこれらの文化遺産がまだ返却をされてはいないが、将来的にはアフガンに返却される予定になっているのだという。

アフガニスタンのこの博物館は今廃墟となっているが、その玄関跡にはつぎのような文句が掲げられているという。

A nation can stay with us when our culture is alive.(国はその文化が生きているかぎり,そこに住む人々とともにあり続ける: ちょっと意訳しすぎだろうか)

これはきちんと記録をとらなかったので、正しい文章かどうかはわからないが、アフガニスタンの人々の誇りを示すものであろう。


竹内眞、郁恵夫妻の絵画展

2011-02-12 12:00:57 | 日記・エッセイ・コラム

竹内夫妻というとどこの竹内だということになるが、松山に住んでいる人なら労研饅頭を売っている、松山東署前のお店を知っているに違いない。そこの2代目店主とその夫人である。いまは息子さん夫婦の3代目が仕事を受け継いでいる。

この2代目労研饅頭の店主夫妻の50年にわたる絵画展が堀の内の愛媛美術館南館で開かれている。入場は無料である。ご夫婦が同じ趣味をもち、画筆をもっていたことを知ったのは最近であり、私たちも奥様の郁恵さまからご案内状を頂いた。

2月9日から18日までの10日間である。県展か何かで見たことのある「雪の松山城」も展示されていたが、全体で80点もあり、ご主人の眞さんの絵が約60点、郁恵さんの絵が20点の壮大なのものである。

郁恵さんによれば、眞さんは無口な方らしいが、それでもご夫婦で絵を描くという趣味はなかなか高尚なもので、簡単にみならうことはできない。

県展で特選をとられた絵も出ていた。赤い上着を着た女性を描いたものであり、よくは読まなかったが、その当時を回想した文章もついていた。

私の妻と郁恵さんが知り合いになったのは引越しの途中であったらしい。郁恵さんが食器戸棚を運んでいたときに、妻はコタツの足を運んでいた。そういうとても偶然から妻が郁恵さんと親しくなったので、ときどき声をかけていただく。

ご夫妻はクリスチャンらしく、描かれた絵葉書にも聖書の言葉があった。ご夫妻の今後の健在を願っている。


ひきこもり留学補遺

2011-02-10 12:53:18 | 日記・エッセイ・コラム

ひきこもり留学の菊池さんは営業セールスマンであったが、営業成績を達成できなくなり、会社を辞めた。また一日の食費を500円に節約してスーパーに買物にでかけるときには安売りのころあいを見計らって出かけていた。

また、それだけではなく彼の楽天主義も大いに見習いたい。英単語は忘れたら、また覚えればいいと考える。普通の人間ははじめて出会った英単語を一回で覚えられたりしないものだ。電子辞書を使っているというのは私たち老年の者には珍しいと思えるが、これは現在では当然であろう。

書籍体の辞書の方がいいという老齢の方々が居られるが、やはり電子辞書をもてる経済的余裕があるならば、電子辞書の方が断然便利であることはいうまでもない。これは私のような辞書を引くのが嫌いな者がいうのだから間違いがない。ただ、いつかも書いたが、一度辞書を引いたことを示す赤線を電子辞書は引くことはできない。

だが、将来は一度その語を検索したなら、字の色が変わる等のことが電子辞書でもできるようになるかもしれない。いやすでにそういうことは現在の電子辞書でもできているかもしれない。

菊池さんは一度も海外に出かけたことがないというが、英語を母語にしている人とも普通に話せるそうだ。外国語を学ぶのにその言葉を話している国に行けば、修得がしやすいことはいうまでもないが、それでもその外国語を修得するにはその国に行く必要がないというのは外国語を教える先生が異口同音に言うことでもある。

私の友人が長年ニューズウイークを購読していて、知らない英単語をピックアップした単語集を印刷したのをもらったことがあったが、そのうちにどこかへ失ってしまった。いずれにしても知らない単語など尽きるものではない。それでも数千のニューズウィーク用の英単語を覚えたら、読めるようになるらしい。

もっともこの彼は絶対TOEICを受けないと言っていた。なぜなら、彼の長女さんはアメリカの大学で学んだので、TOEICの点数は長女にはまったくかなわないからだそうである。


ブログの訪問回数

2011-02-09 11:31:01 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの最近の訪問回数で多いのはトップページを除いて、「「量の理論」の問題点」が現在53回、「ひきこもり留学」が53回である。

「「量の理論」の問題点」は53回よりも多かったと思うが、これは1週間の集計であるので少しづつ減って行き、いまでは53回と数が大分減ってしまった。

これらはもちろん一時的なアクセスの増加であり、定常的なものではない。ブログで私は自分の関心のあることについて書いており、誰かが読んでくれるということを期待しているわけでは基本的にはないが、それでも読んでくれる人がまったく居ないよりもどなたかが読んで下さる方がいる方が気持ちはいい。

それにしても書くことはだんだんと変わっていることを感じる。日曜日を除いて基本的に時間が都合がつけば、毎日何かを書くことを日課としているので、書く内容についていつもアンテナをはりめぐらして探している。

この内容はあるときは新聞の記事であったり、テレビで見たことであったり、妻との会話であったりする。また、自分が毎日せこせことやっていることだったりする。ということは同時代人としての多くの方々が毎日経験をなさっていることと同じことを私が書いているということである。

どの方も毎日の生活でなにがしかの感想をお持ちだと思うので、それと私の感覚が同じこともあれば、また「私は(または僕は)そうは感じないな、思わないな」とか意見に反対だなと思うことも多いだろう。それは各人が違った意見をもっているからであり、当然のことだと思う。


語りかける数学

2011-02-09 10:57:50 | 数学

高橋一雄著「語りかける中学数学」、「語りかける高校数学 数I 編」を購入した。前者は767ページの大著である。後者も581ページである。特に前者は10万部が売れたという。

分かりやすいとのアマゾンコムでの多数の人の書評であり、先日の朝日新聞の「数学に萌える」というインタビュー記事で本人が語っているのを読んで購入した。

確かに分かりやすい数学の本だと言っていいだろう。懇切丁寧な説明もいい。この本の特色は誤答が出ていることであり、これはとてもいいと思う。

「語りかける数学」という標題にふさわしく至るところに読者への語りかけがある。ともかくも中学校数学全体を概観できるようにつくりあげたその努力には頭がさがる。

ただ、私の意見ではもっと分かりやすくできると思う。なぜもっと分かりやすくできるかといえば、面積図とかテープ図とかその他のシェーマを用いればもっと数学の構造が分かりやすくなる。文字タイルを使えば、式の計算ももっと直観的になる。

そういう意味ではまだまだこの本は改良の余地があると思う。その改良点の一部はすでに私がe-Learningのコンテンツで展開したものである。

私は現役の中学生や高校生を対象としては、このコンテンツをつくっていないのだが、それを現役生を対象に書き直すことはできる。もっともその気はあまりない。

高校数学の一部をe-Learningのコンテンツに作成はしたが、これだけでも277ページになった。ただ、高校数学の全貌を描くことはなかなか手間がかかるので成し遂げられていない。そこらがやはり高橋氏の著書と比べることができる段階には至っていない理由である。

ともかくまだ改善の余地が残っているというものの、これらの高橋さんの「語りかける数学」シリーズは当分の間ベストセラーの地位を続けるだろう。


恐ろしいことには近づけ

2011-02-08 13:28:50 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日の日曜日に松山では日曜日にしか見ることのできないNHKのテレビを見た。これは教育テレビで放送があったのだろうが、それでは見てなかった。

ポンナレッタ久郷というカンボディア出身の女性へのインタビューで「宗教・こころの時代」の番組であった。

彼女はいまは日本人の男性と結婚して、幸せに暮らしているが、小さい子どものときにはカンボディアのポルポト政権下での強制労働を経験した方である。

そして、彼女は母や兄をこの強制労働のときに虐殺で失ったらしい。兄はもう一年くらい時間があれば、フランスに留学できることになっていたというから、インテリの家庭の出身だったのだろう。

番組は途中から見たが、またなぜ彼女が日本に来れたのかも途中でトイレに立ったときに話がされたらしいので、聞くことができなかったが、察するところ何かの具合で国連の難民収容所に収容されたことが日本へ来ることができた理由らしかった。

「病気や老齢で働くことができなくなった人は生かしておく必要はない」といったモットがそこにはあり、それで母や兄を虐殺で失った。

母は聡明な人だったらしく、お経を自分でつくってポンナレッタさんに覚えさせ、少しでも不安を取り除くようにしたらしい。でも過酷な労働で病気になり、働けなくなって虐殺の場所へ連れて行かれて、人知れずに始末されたらしい。

それでも彼女は運よく日本に来ることができて自分で仕事を見つけて働くことができ、懸命に日本語を学び、日本人男性と結婚をし、子どもまで授かっている。

あるとき、夢に兄や母の夢を見たというが、その時自分たちを助けに来てとは言われたが、彼らを死に追いやった人たちに復讐をしてとは夢で言われなかったという。そういうことで、彼女はカンボディアに数年前に一時帰国して母や兄の供養をしたらしい。

女性アナウンサーが母たちを死に追いやった人たちを許しますかと聞いていたが、まだ許すところにまで至っていないと言った。それは罪のある人がまだ許してくださいと言っていないからだそうだ。そこから許すかどうかが始まるという。

それにしても恐ろしい経験をした、強制労働のため移住された村を再訪することは、彼女にとっては「恐ろしいところへ近づく」ということであったという。だが、母が言っていた、できるだけ「恐ろしいことに近づけ」という口癖の言葉にしたがった。

このポルポト政権の社会主義は、私が学生の頃かその直後くらいのことではないかと思うが、大虐殺が行われているといううわさがあった。それを実際に体験した人の話を聞くことができるとは予想していなかった。

たとえ社会主義が正義だとしても、そういう人間軽視の社会主義が許されるはずはないが、ポルポトの社会主義には知的な人たちへの極端な憎悪があったように思える。多くの医者、教師、法律家その他のインテリはこの強制労働で都会から農村へ強制移住させられ、かつ強制労働で亡くなったらしい。この人数ははっきりしないが、120万とも100万とも言われる。

武谷三男には「時計をかなづちの代わりに使うべきでない」という議論があり、これは高木仁三郎の「市民科学者として生きる」(岩波新書)に詳しいが、ある時期のカンボディアでは時計(インテリ)はかなづち(労働者・農民)として使えなければ、無用で生きている価値がなかった。


ひきこもり留学

2011-02-07 12:56:53 | 外国語

昨日の朝日新聞に「ひきこもり留学」から英語の先生になり、TOEICで24回も満点を出しているという菊池健彦(たけひこ)氏が紹介されていた。

34歳で会社を辞め、6畳一間のアパートにひきこもり、はじめはなにもしなかったらしいが、それにも飽きて英会話の入門書を買い、英語の勉強を始めたという。英語の雑誌を一日1ページ読み、単語を覚える。

聞き取りは海外ドラマを録画して何度も見る。そういう生活を7年間続けたという。蓄えがつきて英語講師の試験を受けに行ったらとても簡単だったとか。

英語を教える立場になって、企業や幼児に英語を教えているという。海外には一回も行ったことがない。

ところで、一日1ページの英文を読んでいれば、少なくとっても一年300ページを読む。それを7年続けると2、100ページを読むことになる。そうだとすれば、300ページの本だとすれば、約7冊を読んだことになる。それよりもページ数が多くても5冊ぐらいは読んだことになる。そうするとその読書量は結構大きい。

これは控えめに見積もったので、実際はもっとたくさんの読書量であろう。そしてはじめは遅くても数年経てばかなり早く読めるようになるだろう。そうすれば、力は格段についているはずである。

英語の聞き取りでも普通2、000時間は聞くことが必要という。それをカバーしようとすると一日2時間の海外ドラマを見て、それを週4回、一年を350週とすると一年で2、800時間となるから、2年経つと5、600時間となり、これも相当な時間である。7年では19、600時間となる。

これは計算上はこういうことになるが、こんなことを毎日、毎日できる人は少ない。世にはもちろん英語の達人がいて、そういう人はもちろんこういうことができるのであろう。だが、凡人には難しい。

NHKの「ニュースで英会話」を担当されている鳥飼久美子さんが英語をある程度自由に話せるためには8、000語の英単語を知っている必要があるといつだったか言われていた。

私たちには数百語の英語も自由には使えない。そこらへんがなかなか難しいところである。

TOEICは満点が990点らしいが、以前にアメリカの会社IBMには英語を母語にしない人で900点以上とった人は、TOEIC900という特別なグループをなしていると聞いた。特別に優秀な人々の集まりということらしい。


湯浅誠氏の講演

2011-02-05 13:05:15 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、愛媛大学のグリーンホールで湯浅氏の講演を聞いた。これは知人からファックスで知ったので聞きに出かけたのである。

湯浅氏はいま話題の人であり、一昨年の「年越し派遣村」の村長を務めたことで知られている。また、岩波新書の「反貧困」の著者であり、この著書を私も読んだことがある。

さて、講演の内容を簡単に述べるべきだと思うが、なかなかうまく要約できそうにない。それでも無理やりにまとめてみると30年以上前の世代(すなわち、私の世代)とその子どもの世代のおかれている状況はまったく変わっており、いまの現状は前の世代(私の世代)の人には自分の体験上から理解ができないのだという。

そして、前の世代に一般的であった、国家の傘、企業の傘、働き手の傘が小さくなって国民や市民をその傘の下に庇護する力はなくなってしまった。だから、この庇護の傘から漏れてしまった人々を国家として救う政策が必要となっている。その政策を上の世代の人々は「バラマキ」と言っているという。

だが、例えば無職の人々に生活費を給付しながら、技能を身につけさせるというような教育をして、新しく職につけるようにすれば(そういう人はいま8万人くらいの規模になっている)、それらの社会から一時的にせよ助けられた人々はそういう政策を行う社会や政治を支持するようになる。そういう感覚や意見の人々が多くなり、社会の考え方が変わるまで忍耐強く社会弱者を助けていくと言われた。

社会を変えていくにはおよそ30年の時間がかかるが、それを25年または20年に短縮するように努力をしたいとのことであった。

湯浅さんは社会活動家であって、政治家でも革命家でもまたは政策を提言する学者でもないが、現場に密着しつつも将来を見据えて活動を続けていく覚悟と思われた。

彼の話したことに感銘を受けたかと言われれば、それほどではなかったが、一人の人としての生きざまとしては十分に肯定をしてもいいと思う。

だが、20年では遅すぎると思うし、国の大きな財政的な赤字をどう思うかとは誰も質問しなかったので、そこらをどうか考えているのかも知りたいことであった。


小噺

2011-02-04 13:36:33 | 日記・エッセイ・コラム

pun2に書いたことが理解できないと真顔で昨夜Oさんに言われたが、これは解説が必要ではないはずである。

片岡さんのエッセイにはもちろんThis is a penは、中学生以来私たちが学校でならって覚えているが英語としては使うことがないフレーズという含意がある。だから、ママさんがI am a girlというのに対応したのがニシ・イズ・ア・ペンとなっているのだ。多分私たちがたとえ女性であっても、アイ・アム・ア・ガールという機会はないと言って差支えがないだろう。

私としてはニシ(Nishi)のなかにsが含まれていることはジィス(this)がsを含んでいることにまで類似性があるとの見解だが、Oさんはこのことに同意はされなかった。いずれにしてもpunは感覚のものであるから、説明をするものではない。

ちなみにこの点の類似性には妻は不満で、それよりは使う機会のまったくありえないフレーズということに説明の中心があるべきだとの意見だった。だが、その意見の食い違いはともかくして、この話のpunの意味は十分に理解できていた。

punではないが、いくつかの外国語に関する小噺を書いておこう。これらはすべて皆さんがどこかで一度は聞いた話であろう。

ある日本人がアメリカ人に言った。「ねぇ、あなたマイカーもっている(Say, you have my car ?)」アメリカ人は言う。「いや、マイカーはもっていないよ(No, I don't have your car.)」

この日本語の方を見てもおかしいことはないが、英語の方を見るとおかしいことがわかる。この日本人はマイカーというのをa carのつもりで使っているが、アメリカ人はなんで私がお前の車をもっているんだとすれ違っている。そこがおかしい。

これは英語を習い始めたころに塾の英語の老齢の先生が憤慨に堪えないという感で話してくれた実話である。

あるときこの先生がある塾生にitの複数はと聞いたら、この塾生ためらわずにitsですと答えてこの英語の先生を絶句させた。itの複数はtheyでitsはitの所有格であるが、英語では複数は名詞にsをつけるとその直前にならっていたこの生徒はこの原則を代名詞にまで勝手に拡張してしまった。

こういうおもしろい小噺は誰がつくったのか知らないが、よくできたのがある。これは中西先生が挙げていた朝永ネタとも言われているものであるが、多分ネタは朝永さんではないであろう。

ロンドンからバーミンガムに行こうとした日本人、駅の窓口で「ツゥ バーミンガム」と言ったら2枚の切符が出てきた。あわてたこの日本人「フォーバーミンガム」と言い直したら、4枚の切符が出てきた。ますますあわてた彼は「エーと、エーと」と言ったら、8枚の切符が出てきたとか。

これは実話であり得ないと思うが、それにしても日本人の発音とか習性とかをよく表していて面白い。またそういう小噺をつくる人はなかなかユモーアに富んだ頭のいい人だと思う。

こんな話を妻にしたら、よく言われる小噺を思い出させてくれた。「ありがとう」を覚えにくかった、あるアメリカ人はalligatorと覚えていたが、そちらの方を忘れてoh, crocodileと言ったとかいうではないのと。

これもおそらくはアメリカ人とかイギリス人の創作ではなく、多分日本人の創作であろう。

夏目漱石がI love youを日本では「月がきれいですね」と訳すべきだと東京帝国大学の講義でいったとか昨夜テレビでちらっとみた。これについても思うことを書きたいが、それは明日以降にとっておこう。


混乱の原因は?

2011-02-03 12:47:32 | 外国語

ドイツ語で名詞の格変化と名詞の複数語尾とが私にはごっちゃになることが多い。例えばmit der Jahren(年とともに)とかseit Jahren(数年前から)というときにJahrenのnが名詞の複数を表すnなのか名詞の複数3格につくnなのかがわからない。

このときのnは複数3格の名詞の格変化のnで名詞が複数を表すnではない。というのはdas Jahr(年)は、複数ではdie Jahreと複数語尾はeであってenではないから。しかし、単数は知っていてもその複数の語尾をしっかりとは覚えていない。

Im wundersch"onen Monat Mai (うるわしき五月に)と歌の文句にある、der Monatもin einigen Monaten(数ヵ月後に)とあるときにMonatenのenは名詞の複数語尾なのか複数の格変化の3格の語尾なのかがわからなくなる。この場合もder Monat, die Monateと名詞の複数語尾はeであって、enではないからnは複数3格の変化語尾である。

それにしても「複数3格 n 終わり」と覚えなさいとNHKドイツ語講座で言っておられたのは慶応大学の境一三先生であるが、なかなか複数3格のnを覚えられない。

先日のブログに書いた、シューベルトの歌曲「冬の旅」にある菩提樹の冒頭の、am Brunnen vor dem Tore ・・・であるが、男性名詞と中性名詞の3格に語尾eをつけるとそれはとても古臭いといわれる。だがこの歌詞の中のToreのeはこの名残である。

いまではdem Tore ではなくdem Torでいいと思うのだが、これは古い歌なのでそのまま残っている。慣用として今でも残っているのはzu Hause, nach Hauseとかぐらいで単数3格でeが残っている例はそんなに多くはない。

それとて、普通にzu Haus, nach Hausといっても通用するだろうから、あまり気にすることはない。

das Kind, des Kindes, dem Kinde, das Kindとdem Kindeとeをつけた変化をした、南ア連邦出身の女学生にその単数3格のeはもういりませんとフライブルクのゲーテ・インスティートでWagensonner先生が注意されていた。確かに私がドイツ語を大学で学んだ頃はドイツ語の文法のテクストでdem Kindeとeの語尾がまだついていた。

そういえば、最近はもう名詞の格変化で2格を教えないという先生もあるらしい。教えるにしても軽く教えてあまり強調されることはない。ドイツ人でも普通の人はわざわざ2格を使わないでなんでもvon ~とかで済ます人も多いとドイツ人のRさんなんかも言っている。

ドイツ語の表現法も少しづつだが変わって来ている。


ミカンの食べ方

2011-02-02 12:00:59 | 日記・エッセイ・コラム

ミカンの食べ方があるのかどうか私は知らない。私がどのように食べているかということを書く。

この場合にはミカンはいわゆる温州ミカンのことである。英語ではmandarinというようだが、これはミカンの木の原産が中国であることからきているらしい。

温州ミカンの温州は「おんしゅう」とも読むらしいが、普通は「うんしゅう」と読む。広辞苑によると温州という中国の地名から来ているが、この温州ミカンは温州とは無関係らしい。特に12月半ばころまでに出荷される早生の温州ミカンは皮が薄くて味は甘くておいしい。それも小粒なのが特においしいと思う。

さて、私の食べ方だが、このミカンを二つに割ってそれを皮をむき、一ふさごとにとって、これをふさごと食べる。パクパクと食べる。それだけである。ふさごと食べると便通にもいい。

どうも野蛮な食べ方のようでもあるが、学生時代に当時私の在学していた大学の学長だった森戸辰男が大学の学生新聞に私がここで書いた食べ方で食べると書いていた。森戸さんは広島県の福山市の出身だったと思う。

例年年末には妻が親戚や知人に早生ミカンを送って皆さんに喜ばれている。ただ、この早生の温州ミカンは甘くておいしいのだが、皮が薄いので日持ちがしない。だから1週間か10日くらいで食べてしまわないと腐ってしまう。

12月も暮れが迫ってくると早生でないミカンが出回る。それは皮が厚いので正月までもつが、皮が厚くて残念ながら、早生の温州ミカンほどはおいしくない。

このごろはミカンの品種がいろいろと開発されていて、名前を覚えるのも難しいくらい多数ある。従来から出ている伊予柑は私の意見ではそれほどうまいとは思わない。それに代わって食べてもおいしいと思える品種が出されている。しかし、やはり温州ミカンには及ばない。


pun(駄じゃれ)2

2011-02-01 13:19:08 | 日記・エッセイ・コラム

先回punを書いたが、岩波書店のPR誌「図書」2月号に作家の片岡義男さんが書いていることを紹介しよう。

これは「西伊豆でペンを拾った」というのを英語でどういうかと新宿のあるバーで片岡さんが作家の田中小実昌から謎かけされたという。そのバーのママが「アイ・アム・ア・ガール」と呟いてくれたヒントをもらって、片岡さんは「ニシ・イズ・ア・ペン」と正しく答えられたという。

これはニシは西を意味し、イズは英語のisと日本語の「伊豆」とがかかっている。また、すぐに気がつかれるようにニシは音が英語のthisの発音に似通っている。だからこれはThis is a penのもじりにもなっている。秀逸なpunである。

もっとも片岡のこのエッセイでは彼の日本語が彼の英語の力によって制約を受けており、拾うという日本語を使えないと述べたところにむしろ彼のエッセイの主眼があるのだろう。

In Nishizu I  (have) pciked up a pen. などという訳を期待されてないところが面白い。もし片岡がこんなこんな答えをしたら、手を打って喜ぶでつもりであったろう、田中小実昌のあてがはずれて、がっかりした様子が見えるような気がする。

折角一つの話を紹介したからもう一つだけ思い出したpunを紹介しておこう。これは数学に関することで、ある行列の数値計算(1次連立方程式の数値解法?)はとてもうまく考えられた玄人好みするものであったが、その計算法を考えた人の名前がCroutであったという話をどこかで読んだ覚えがある。

これは数学者吉田洋一さんのエッセイだったか、それとも培風館の新数学シリーズに「行列と行列式」を書いた数学者の古屋茂さんのエッセイだったかそれとも他の数学者のエッセイだったかがもうはっきりしない。

数学者も物理学者も普段は真面目な顔して難しいことを考えたり、議論したりする、近寄りがたい人種だと世間では思われている。だが、ときどきはこのような駄じゃれを飛ばして喜んでいる人を知るとやはり血の通った人間だと思うのである。