物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ちょっと用事で

2018-09-16 18:00:08 | 日記
仕事場に来た。というのはある人からもらったソファを持ち込んだのである。これは妻が電話で知人から誰かいらないかと言われてもらったものだが、妻が関係している生協病院ではどこの部署も希望者が出なかったので、妻が仕事場にというので持ち込んだのである。

そのままでは大きくて車に入らないので、分解して運んだ。だから持ち込んでから組み立てるのに一苦労した。組み立ててから、丸机をそのソファの前に置くとちょっとした休息用にスぺ―スになったので妻が大喜びをした。

この丸机は妻の父が自分のアトリエにおいて接客用に使っていたものなので、妻がとても懐かしがっている。

この一連の作業のために私の着ていたティシャーツが汗で湿っぽくなってしまった。仕事場においてあったTシャツにすぐに着替えをしなくてはならなかった。

8巻6号、7号の発行

2018-09-15 17:26:08 | 数学
ようやく「数学・物理通信」8巻6号と7号を発行した。8月の半ばには用意ができていたのだが、発行にはほぼ1か月かかってしまった。今回の2号でようやく通巻72号の発行となった。

だいたい1年によく発行できたしても10号くらいであろう。そうだとするとまだおよそ3年はかかるという計算になる。それまで私の寿命があるものかどうかはわからない。

だが、あと3年は生きて、通巻100号を祝いたいという気持ちは強い。

なんでも終わりがある

2018-09-15 13:33:45 | 日記
あれほど長く続いた表の作成が終わった。

いやあ、もう終わらないのかと思ったが、とうとう終わった。数値の表の連続で、それをlatexの表の体裁にするのに苦労した。ようやく著者に入力結果をお返することができた。

この論文は「数学・物理通信」8巻8号の一部になる予定である。latex入力をしていた2つ目の論文であった。もう一つの論文はすでにほとんどできあがっている。それに数学者の N さんの小論文ができれば、ほぼ全部である。もちろん、編集はまだしていない。

これからは自分の仕事が少しできそうだ。


編集の仕事など大したことがないなどと思ったら、それは大違いである。もっとも私はそれを楽しんでいる風があるけれども結構大変な手間である。

特に投稿者の文章に手を入れたり、しなくてはいけないなどということは本当の編集者はそういうことは日常茶飯事ではあろう。しかし、私はプロの編集者ではなく、これで生活をしているわけではない。単なるボランティアである。ところが編集者がどうもたくさん手を煩わさなければならないことが起こってくる。

自分のエッセイとか論文なら、手がかかってもしかたないが、そうではないところで労力が大いにかかるとなれば、私はなんのために生きているのだろうかという気もしてくる。投稿者もいろいろあるということである。

それも自分がはっきりと投稿したいという意思を表わさないで、それも編集者の責任だというはどうも困ったものである。


ブログよりも

2018-09-14 17:29:55 | 日記
大事なことができてそちらを優先している。それはある方の論文の表の入力である。暇のときはその表の入力をしていて、今日も終わろうとしている。

表の数値がなかなか真ん中に入ってくれないので、困っている。別に真ん中に入る必要はないのだが、上下にそろっていないとちょっと体裁がわるい。

たったそれだけのために苦労をしている。どうもあまり生産的な仕事ではないのだが、一度引き受けた以上やらないといけない。
どうも人間の信義というものはそういうものである。

今度そういうことがあった場合には数値を全部右寄せにすればいいかもしれない。いまさら変えるのはちょっと面倒である。

表の入力

2018-09-13 14:16:22 | 日記
をここ1週間くらいしている。はじめは画像として取り込めたらいいと思っていたのだが、どうもどうしたことか画像として取り込めない。

それにしてはちょっとうまく表ができているようなきがしたので、表として入力をはじめて1週間ほどが経つ。あと残りの表が一つか二つになった。

もっともそれからがきびしいところで数値が表の欄の真ん中に収まるかどうかは微調整がいる。これがたぶん時間がかかるとおもったので、はじめは画像として表を読みこもうとしたのである。

ところがこれがどうしたものかうまくいかない。それであきらめて表入力に切り替えたのである。微調整にどれくらい時間を要するかはまだまったくわからない。

感じたこと

2018-09-13 13:59:21 | 日記
先日のフライブルクから、かなりの数の人たちが来たのだが、自分のドイツ語の力がまだまだだと思って、ちょっと絶望というのは大げさすぎるが、まだまだギャップを感じたというのが正直のところである。

もっともっとドイツ語の中にいないと、ダメなのかもしれないと感じた。ゲーテ・インスチュートでドイツ語の研修を受けてからもう42年ほどたっているので、それにしてはまあいいとは思うが、だがこれではまだまだだめだという感が強く「日が暮れて道遠し」の感がする。

私自身はドイツ語が専門ではないから、それにしてはまあまあかなとは思っていたのだが、やはりドイツ人と対等にできるくらいドイツ語ができないとダメだと感じた次第である。しかし、なかなかこのギャップは埋められない。




人称代名詞の2格

2018-09-12 13:42:17 | 日記
ドイツ語の人称代名詞の2格はあまり使わないので、もうすっかり忘れているのに気がついた。よくドイツ語の文法書に出ている格変化表みたいな覚え方ではある。

1人称の場合でも主格のichと与格mirと対格michは絶対にといってもいいくらい忘れないが、2格(すなわち属格)はどうだったかなとわからなくなった。

それで慌ててドイツ語の教本を取り出してきて、調べてみた。

ich, meiner, mir, mich

であった。このmeinerというのを忘れてしまったのである。

2人称なら、

du, deiner, dir, dich

である。dirとdichとは忘れたりはしない。

3人称でも彼を意味する

er, seiner, ihm, ihn

とか, 彼女を意味する

sie, ihrer, ihr, sie

のihrerはあまり使わないから忘れてしまう。
中性の人称代名詞でも

es, seiner, ihm, es

でも忘れるのはseinerである。

ドイツ人でもこの2格はあまりつかわないとか聞く。

wegenという前置詞は2格支配であるはずだが、つい先日もwegen ihmと言ってしまって
あれ間違ったかなと思ったりした。これはドイツ人でも最近はwegen ihmと3格支配のよ
うにで使う人がままあるとか聞いている。

ようやく準備ができた

2018-09-12 13:22:53 | 日記
「数学・物理通信」8巻6号と7号がである。

発行前には一部をプリントして読んでみなければならない。紙を消費するのはあまりよくないのでできるだけ紙にプリントするのは控えている。だが、どうしても発行前にはプリントしてみてみないとディスプレイ上では見落とすミスがある。

だいたい大丈夫とは思うのだが、私はそそつかしいのでそのためにミスをするかもしれないので、プリントをしてから発効までに数日をおいておくことにしている。

今日が12日なので、土曜日か金曜日に発行したいと考えている。8巻8号も今月いっぱいの発行を目指しているが、これは来月になるかもしれない。

『弁証法と唯物論』

2018-09-11 15:50:24 | 日記
は故小林登先生の著書である。E大学に勤めるようになってから、縁あって先生とお知り合いなることができた。

昔のE大学の卒業生ならば、先生のことをたいていの方が存じ上げているに違いない。それで、先生がE大学を定年退職後だったか、退職の直前だったかに出版された『弁証法と唯物論』(丸三書店)を先生からいただいた。だが、弁証法にも唯物論にも暗い私には読むことができなかった。

つい先日庭の書庫にある本の中に探している本を私が持っているかどうかを確かめに行ったところ、この『弁証法と唯物論』が目についた。その中のいずれの論文にも目を通したことがなかったが、今回1956年に書かれた「毛沢東の哲学について」という論文を読んだ。これは ー「持久戦論」を中心とする考察ーという副題がついているが、なかなか優れた論文であることをようやく知った。

もう先生が亡くなってからでもだいぶん時間がたったわけで、いまごろになってようやく読むとは申し訳がないのだが、それも愚鈍な私であるから、致しかたがないだろう。

この本には8つの弁証法と唯物論についての論文が収録されている。そのうちのたった一つを読んだだけなので全体を論ずることはまだできない。だが、理論と実践とを重視する唯物弁証法哲学の研究者としての面目が躍如としている。

これはまた毛沢東の「持久戦論」が論として優れていたばかりではなく、実践としても優れてれていたことにもなろう。機会があれば、ほかの論文も読んでみたいと考えるようになった。



大坂なおみさん

2018-09-10 12:42:51 | 日記
錦織圭さんがなかなかテニスの4大大会で優勝できないでいるうちに、大坂さんがあれよあれよといううちにアメリカン・オープンで優勝してしまった。

ベスト4に進んだ時点で優勝するのではないかとの予想を新聞で読んだが、その通りになった。一方では、なかなか錦織がジョコビッチを破れないのと対照的である。

錦織がテニスの才能があるとは前から言われていることだが、それでもなかなかフェデラーとかジョコビッチとかを破れないのはどうも何か呪いにかかっているような感じさえする。


錦織も大坂さんも英語が達者なのは彼らの英語を聞いたら、すぐにわかる。これからもふたりの活躍を祈ろう。


帯状降水帯

2018-09-10 12:31:35 | 日記
が愛媛の上空にかかっていて、大雨が降る可能性があるというので、地区のスピーカーでも注意がされており、テレビでもそういうようなお知らせが流れていた。

しかし、それほど降雨はなかったようで、テレビのニュースでは何も特に報道をされていなかった。すくなくとも松山ではひどくはなかった。
やれやれ。

これは数年前だったか広島市安佐北区の斜面の住宅地の後背地で大雨が降り、大勢の人が亡くなった。それと同じようなことがここ愛媛でも起こるのではないかと思われたのである。

愛媛とか、広島とか岡山とかはいままであまり災害がない地域と思われていたのが、近年の災害でその感覚が間違いだったということがわかった。日本ではどこで何が起こっても不思議ではないことを痛感させられた。

北海道でも震度7の地震は起ったことがなかったというが、それはたかだか100年のオーダーのことであったろうか。

ようやく発行できるか

2018-09-10 12:12:19 | 日記
何をといって、「数学・物理通信」8巻6号と7号をである。昨晩、共同編集者の N さんから電話があって、編集後記と自分の原稿ができあがったらしい。

8月の終わりに彼のところを訪ねたら、まだ原稿ができていなかった。それで仕方なく、9月10日まで待つといっておいたのだった。彼は持病があるので、仕事があまりはかどらない。しかし、やはり人は生き甲斐がないといけていけない。それで友人としてはそういう生き甲斐を彼に与えるということに少しだが努力をしている。

彼のライフワークは彼が生きている間に完成するかどうかはわからない。いつもあったときに、仕事を小分けにして仕事を進めたらとアドバイスをしているのだが、どうしたものかそういう風にはならない。

本を1冊全部を続けて書くのではなくて、1章1章ずつファイルを分けて完成するように言っているのだが、体があまり自由がきかないのも大きな原因だが、書いているうちに前の部分が気に入らなくなって手を入れるとファイルの全体が動かなくなるという繰り返しらしい。

このような一種の、砂地獄のような状態からの脱出の方法はファイルの小分けしかないだろう。これは彼と会った時には毎回繰り返して言っているのだが、まだどうなったのか進まない。


物忘れがひどくなった

2018-09-08 12:05:46 | 日記
年相応かもしれないが、人の名とか場所の名とかそういう固有名詞が出てこなくなった。これではドイツ語もフランス語も出てこないのはしかたがない。

だから昨日の午後も何をしていたのか漫然と過ぎた。

そうか、ある若い方で、最近になってネット上で知り合った方に送るために以前に編纂した、「電気電子工学科ミニマム」に鉛筆で記入した箇所を点検していた。そのあるものは消しゴムで消したり、ほかのコピーに書き換えたり、また正誤表のコピーにも近くのコンビニに出かけた。


それでしなければならない、論文の執筆が進まない。

久しぶりのドイツ語

2018-09-07 14:55:23 | 日記
松山市とドイツのフライブルク市との姉妹都市協定30周年とかでフライブルクの市長とかドイツ人の一行が松山に来られている。

それで午前中大阪。神戸の領事館の領事との会合を設定してくれる人があり、その会合に出た。その後、松山城の見学についていった。それがついさきほど終わったので、仕事場に来た。その城山見学で旅行中の一行と出会った。

久しぶりにドイツ語を話したので、疲れた。とはいっても例によって、めちゃくちゃなドイツ語である。何も話さないよりはいいが、彼らドイツ人にしたら、迷惑したことであろう。

集中と分散

2018-09-06 11:54:04 | 日記
北海道である主力の発電所がダウンしたら、全道が停電が起ると、こういう事故が起きたことを妻が笑っていた。

どこかの火力発電所がダウンすると、それにつられて全道が停電するなどそういう仕組みにしていたとするとやはり北海道電力の会社としての考え方がおかしい。

少なくとも離れた地域の3つか4つの発電所に同じ比率で電力依存するとかしていないとどこかの1か所に大きく電力依存しているとこういう大事故になる。

そういう事故管理の思想はすでにいきわたっているとは思うのだが、他人の大事故をいわば他山の石として自分の会社の反省のもとにしてほしい。こういう多重性が重要なのだ。

過去には能率のために、なんでも集中することがいいことだと思われていたが、最近は分散が必要だということで識者の意見は一致している。そういう意味でも東京の一極集中はあまりいことではない。

もしか、東京に関東大震災級の地震が襲うとこれは日本全体の生産活動も政治もぐしゃぐしゃになる。いくつかの中心をつくっておくことがどうしても必要なのである。

そういうことはだれでも知っているはずなのに、それでも東京一極集中が止まらない。