少しは面識のある方の書籍も取り上げないといけないだろう。取り上げたいのは武藤徹先生の書である。
一番初めに先生の名前を知ったのは朝日新聞の記事からであった。そのときに数学思想史家であるということだった。そのうちに『新しい数学の教科書』I 数量編、II 図形編(文一総合出版)がでたときに E 大学の生協書籍部から1部を購入した。
そのときに出版社を通じて先生に質問をしたら、メールのアドレスを教えてもらった。その時がおつきあいができるきっかけであった。そののちに私がその当時作っていたe-learningのコンテンツをお送りしたところ、なんと先生が以前に出版されていた『数学読本』I [代数学と幾何学], II [線形代数学・解析学] III [微分積分学・統計学](三省堂)を送っていただいた。
ということでお知り合いになったのだが、そのころはネット上のおつきあいにすぎなかった。基本的にはいまでもそうなのだが、先生の教え子の東京都立戸山高校の卒業生が主催したある集会に出席して、先生にお目にかかることができた。
その後、先生は『武藤徹の高校数学読本』1-6 (日本評論社)を出版された。その内容は
1.数と計算のはなし
2.図形のはなし
3.多次元世界をのぞく
4.運動と変化のはなし
5.ミクロとマクロをつむぐ
6.大量現象のはなし
である。そのほかにも『面積の発見』(岩波書店)を出版されている。これらの書物は先生が90歳を超えるか超えないか、のころに出版されたものであり、もちろんそれ以前の教育における蓄積がこういう出版に結びついたものである。
そのほかに先生と三浦基弘さんとの共著の『算数・数学用語辞典』『数える・はかる・単位の事典』(東京堂出版)と『算数・数学活用事典』(日本評論社)がある。これらは数学教育に関心のある人には大いに役立つであろう。特にこの3冊にはその用語にほとんど英訳がついており、役立ったことがあった。なかなか初等的な数学用語を英語でどういうか知らないことが多いから。
一つだけ反数という用語の説明はあるのに、それに対応する英語がなかった。これは銀林浩先生親子の編纂した本にopposite(s)とある。
いつかこのブログに書いたことがあるが、反数という用語は数学者の遠山啓先生のつくった語だろうとかなり長い間思ってきたが、一般的な用語であるということを知ったのはベルの『数学をつくった人々』(東京図書)を読んだからであった。
いずれにしても、わたしも武藤先生の活力を大いに見習いたいと思う今日この頃である。
一番初めに先生の名前を知ったのは朝日新聞の記事からであった。そのときに数学思想史家であるということだった。そのうちに『新しい数学の教科書』I 数量編、II 図形編(文一総合出版)がでたときに E 大学の生協書籍部から1部を購入した。
そのときに出版社を通じて先生に質問をしたら、メールのアドレスを教えてもらった。その時がおつきあいができるきっかけであった。そののちに私がその当時作っていたe-learningのコンテンツをお送りしたところ、なんと先生が以前に出版されていた『数学読本』I [代数学と幾何学], II [線形代数学・解析学] III [微分積分学・統計学](三省堂)を送っていただいた。
ということでお知り合いになったのだが、そのころはネット上のおつきあいにすぎなかった。基本的にはいまでもそうなのだが、先生の教え子の東京都立戸山高校の卒業生が主催したある集会に出席して、先生にお目にかかることができた。
その後、先生は『武藤徹の高校数学読本』1-6 (日本評論社)を出版された。その内容は
1.数と計算のはなし
2.図形のはなし
3.多次元世界をのぞく
4.運動と変化のはなし
5.ミクロとマクロをつむぐ
6.大量現象のはなし
である。そのほかにも『面積の発見』(岩波書店)を出版されている。これらの書物は先生が90歳を超えるか超えないか、のころに出版されたものであり、もちろんそれ以前の教育における蓄積がこういう出版に結びついたものである。
そのほかに先生と三浦基弘さんとの共著の『算数・数学用語辞典』『数える・はかる・単位の事典』(東京堂出版)と『算数・数学活用事典』(日本評論社)がある。これらは数学教育に関心のある人には大いに役立つであろう。特にこの3冊にはその用語にほとんど英訳がついており、役立ったことがあった。なかなか初等的な数学用語を英語でどういうか知らないことが多いから。
一つだけ反数という用語の説明はあるのに、それに対応する英語がなかった。これは銀林浩先生親子の編纂した本にopposite(s)とある。
いつかこのブログに書いたことがあるが、反数という用語は数学者の遠山啓先生のつくった語だろうとかなり長い間思ってきたが、一般的な用語であるということを知ったのはベルの『数学をつくった人々』(東京図書)を読んだからであった。
いずれにしても、わたしも武藤先生の活力を大いに見習いたいと思う今日この頃である。