物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

photomath

2020-07-21 09:59:36 | 数学
photomathというソフトが最近使われているらしい。

もっとも程度は高校数学か大学の初級クラスくらいなのだろう。難しい関数の積分はできないのとかのQ & Aがあった。

大学の微積分学のテキストのほとんどの関数の積分やそのほかの数式の計算ができる数式処理のシステムはすでにある。

最近でも通用しているかどうかは知らないが、maximaだとかreduceだとかmathematicaだとかである。特にmaximaはいまではオープンにされているようなのでダウンロードしたら使えるであろう。

オープンになるずっと以前にこのmaximaを使って一つ論文を書いたことがある。

photomathにかえると、スマホで問題を写すとその解答がすぐに出てくるらしい。それも途中の計算経過も含めて出るらしいから驚きである。

いやはや、人間は何をすればいいのだろうか。類似のソフトもいくつあるらしいが、ここまで親切なものはないらしい。

亡くなった人々 2

2020-07-20 13:11:39 | 物理学
N高校の同期生で私も含めて3人が物理学の研究者になった。 そのうちで生き残っているのは私だけである。

N君はH大学に長年勤めていたが、ちょっとしたスキャンダルを起こし、大学を辞めたが、その後病気だと思うが、亡くなった。彼はもっとも卒業は松山の有名高校である、H高校の卒業生であるので、卒業は私と同じ高校ではない。

いまは I 市の一部となっている瀬戸内海に浮かぶ大島という島があるが、N君はそこの出身である。いつだったか妻とこの島のある博物館を訪れたときに彼が寄贈した、ある有名な物理学者の記念する品があったので、彼のことを思い出して懐かしかった。このときには彼は存命だったと思う。彼とは高校一年まで同じ N 高校に在学していたことは確かである。そのころ私はおちこぼれの生徒の一人であった。

もう一人の同級生で物理学を専攻し、研究者になったのはK君である。彼は本当に秀才であった。K君とは中学校も同じで同期であるのみならず、クラスも何回か一緒になった。

大阪の公立大学に勤めていたが、定年後に病を得て、不帰の人となった。私も出席した高校の同期会で彼を見かけたのが最後となった。

こういう風に考えると長生きするのがいいのかどうかわからなくなる。

それこそサルトルが言ったかという、「親が子どもにしてやれる一番いいことは早く死ぬことである」という言葉が意味をもってくるような気もする。


現代の未来社会像

2020-07-18 14:38:48 | 本と雑誌
現代の未来社会像はどういうものか。

私たちが若いときには社会主義が未来の社会像としてあったが、これは1989年ころの東ヨーロッパとかソヴィエトの崩壊で少なくともそのままでは未来社会像としては成り立たないことがわかった。

いわゆる社会主義国家としては中国とか北朝鮮とかその他の国がまだ残ってはいるが、それも実質は大きな変更を強いられている。

独占資本主義国家としてのアメリカの世界的な地盤沈下でアメリカみたいな国ががいいと思う人も少なくなったと思う。

1989年頃からつい先ごろまで資本主義国家の勝利とかいわれていたが、リーマンショック以降それを信じる人はほとんどいないと思う。

私自身は小学生のころには北欧の福祉国家が理想の国だと思っていたが、現在ではそのイメージも完全に落ちてしまったわけではないが、スェ―デンとかノルウエーのような比較的人口の少ない国では機能するかもしれないが、人口の多い国ではなかなか機能しにくいのではないかと感じている。

ということで理想の国家の未来像がなくなってしまったという感が強い。私自身はアメリカを理想の国だと思ったことはいまだかってない。

医療保険に限った話でも、まだ健康保険のある日本のほうがアメリカのほ保険制度があまり完備していない国よりはいいと思っている。

社会主義国家の崩壊の原因は国家の官僚化とかの硬直性にあり、比較的流動化できているのが、現在の資本主義国家である。しかし、そこには社会主義的な側面がある程度なくてはいけないことは確かであろう。

そう考えると協同組合等の社会主義的な要素が含まれた社会でないといけないのだと思われる。

それは私たちが子どものころに頭に描いていたすばらしい国家像ではないかもしれないが、漸進的な側面が必要とされるのであろう。

それと矛盾するかもしれないが、自治体としての都市の機能が十分に機能する社会であると羽仁五郎の「都市の論理」とかの考えとも一致できるかもしれない。


亡くなった人々

2020-07-17 16:26:17 | 健康・病気
私の大学の同級生で研究室も同じだった友人は2人とももう故人である。

同じ学年の3人が同じ研究室に入ったのだが、一人はかなり若いときに亡くなった。これは自死であった。

もう一人は勤め先を定年まで勤め上げたが、事故で亡くなってしまった。そういうことで私の親しかった人は先にあの世で私を待っている。

これは定年前の10年ほどを大学の同僚として過ごした、やはり大学の同級生の別の一人もこれは病気で亡くなった。

現在では私も80歳を越えているので、そういうふうに友人や知人が亡くなってもそれほど驚くべきことではないのだろう。

だが、最近では100歳近くまで生きる人もまれではなくなっている現在では、これらの友人たちの死は少し早すぎる死であったのかもしれない。

私の子ども時代と現在の子どもの時代

2020-07-17 11:29:41 | 本と雑誌
「私の子ども時代と現在の子どもの時代についての比較をせよ」というのが昨夜ドイツ語のクラスで来週のクラスのために出された宿題である。

最初に思ったのは私の子ども時代は貧しかったことである。これは私の家もそうであったが、そればかりではなく日本全国中が貧しかった。

確かに、今どの家庭でも見られる家庭電気製品はまったくなかった。洗濯機、冷蔵庫、テレビ、掃除機、エアコンとかその他の電気製品はまったくなかった。それにつけ加えるならば、車も。

しかし、よく考えて見るとそれ以上にちがうことがある。それは衛生面でのちがいである。昔は網戸というものがなかったので、食卓の上にハエが飛び交っていてすきあらば、用意されたこれから食べようとする食物の上にたくさんのハエが群がってとまった。

それに夏の夜は特に蚊に悩まされた。蚊が私たちの皮膚を刺すのである。関西では
蚊が刺すとは言わないで「かむ」という。

いまでは家の中に数匹の蚊が入ってきて、人を刺すこともままあるではあろうが、網戸のない家などほとんどない。これは大きな違いである。

だからかどうか、私の子ども時代には子どもが病気で死ぬこともそれほど今と比べて珍しいことではなかった。

それに大きな違いはもう一つ水洗のトイレがなかったことである。都市の下水道の完備とともに水洗トイレが普及して、衛生面でとてもよくなった。いまでも田舎に行くと実状がどのようであるは知らないが、水洗トイレの普及は日本人の長寿に貢献しているであろう。



「モーリーの定理」余談

2020-07-16 12:33:25 | 数学
余談というほどでもないが、昨日、平面幾何の「モーリーの定理」の論文の一応のまとめをして、これをM先生に送ったら、私がわからないと脚注を入れた箇所の簡単な証明を送ってくれた。

それを先刻チェックして、わからなかったところが分かった。証明を与えられてみると、なぜそういう風に頭が働かなかったんだろうと思うのだが、なんでもそういうものであろうか。

昨日、まとめた原稿を夜の就寝前に1時間とちょっとかけて点検したら、私が付録としてつけた箇所の証明が、提示した図の記号と証明に書いた文章での記号とが一致していないことに気がついた。

実は、別の図でちがう記号で証明がされてあったのを、論文の図に合わせて変更したつもりだったが、左右の記号がいれちがっていたりして、正しくない。その修正を赤のフリクションボールで修正したが、今日の午後の作業はそれの入力である。

およそ論文の修正がおわった段階でもう一度すべてを改めて点検しようと思っている。なにせ2014年ころに「数学・物理通信」に投稿されたとも、されないともいえないはっきり言えない論文である。

しかし、論文の著者の生存中に日の目を見そうになってきたのは喜ばしいことである。

ブログのテーマ

2020-07-16 12:19:50 | 本と雑誌
もちろん、ブログを書くテーマということである。

このブログも今年2020年で16年目に入っている。はじめのうちはそれほど勤勉にこのブログを書いていたわけではないが、そのうちにブログを書くのも一日の不可欠の日課となって久しい。

だが、困ることもある。それは書くテーマを見つけることである。自分でふと思ったこととか何かを書くことにしているのだが、そういう気の利いたことが思い浮かばない日の方が多い。

ブログを長く続けられている人には花の写真に特化していたり、山とか雲の写真に特化しておられる方も多い。

私の訪れるブログで写真のみならず、数学とか哲学の話題を書いてもおられるのは岐阜のSさんである。しかし、この人のような人は珍しくて貴重である。

大多数のブログは写真か言葉かに偏っている。私などは写真などはたったの一つもなく味気ないブログの一つである。

しかし、それでもブログを続けていくためにはあまり普通の人が気がつかないような視点をいつでも提供できたらと思っているが、皆様の大方の期待を裏切ることはなはだしいこのブログである。


モーリーの定理のまとめも最終に入ったか

2020-07-15 11:25:12 | 本と雑誌
モーリーの定理のまとめも最終に入ったかと思われる。もっとも私の場合にはいつも最終時期に入ってからがむしろ長い。

これは昨日図を2つ入力できたからである。それで思いついたのだが、定理の証明というか導出の前のアイディアを脚注に書く必要があるのではないかということである。

そうでないといつもなぜこういう証明を考えついたかという構想がわからないのではないか。もっともそれを証明の中には書かないようにする必要があろうか。

いつも数学の本を読んで不満に思うのは何をどうしたいのかを言わないで定理などを証明するところである。

何をどうしたいと考えを述べた証明などあまり見たことがない。それではいけないのではないかと思うのだが、こんなこと言うのは頭がわるいからであろうか。


天気予報をする人

2020-07-14 09:51:39 | 本と雑誌
天気予報を出す人の個性が、ある程度出す予報に反映されているのだろうか。

そういうことを朝食の中に思い出した。音楽でも楽譜は作曲家によって書かれていてもその音楽を演奏する人の個性が出ると聞いている。

天気予報でもそういうことがあってもいいはずだが、こぼれ話としては聞いていない。
だが、専門家によれば、すこしは予報を出す人の個性があるのだろう。

もっともそれは天気予報として許容される範囲なのであろう。こんなことを考えるようになったのは大雨のニュースで私なども右往左往させられているからである。

別に天気予報を出す人に恨みをこれぽっちも抱いているわけではない。念のため。

グラフによる三角関数の還元公式の導出

2020-07-13 12:11:05 | 数学
グラフの平行移動によって三角関数の還元公式の導出ができることを示すエッセイを書くことを数年前に計画していたが、なかなかとりかかれないでいた。

そのアイディアを少し具体化できそうになった。それでそのエッセイを書けないかと今考えている。

実際にとりかかれるかどうかはなかなかわからない。というのもいまはまだモーリーの定理の証明の武藤先生のエッセイを書くのが優先されるからである。

こちらもかなり書いたのだが、まだもう一つぐらい書く余地が残っている。これは武藤先生の証明でよくわからなかったところを英語のウイキペディアを見てその理由が分かったからである。

武藤先生はぱっと結果というか角度の関係を書いておられてそれがどこから得られるのかは書いていなかった。そこらへんがen.wikipediaではわかるように書かれていた。

日本語のモーリーの定理の証明のサイトをも見たのだが、それではわからなかった。こちらを仕上げる必要がある。


C. N. Yangの憂愁

2020-07-10 09:28:42 | 物理学
C. N. Yangは時代を創造するような物理学者である。まだ若いときにノーベル物理学賞をT. D. Leeと受賞した。パリティが弱い相互作用においては非保存だということを発見したためであった。

その後がその前かはちょっとよくは知らないが、いまではNon-Abelian gauge 理論として知られている、論文をMillsと二人で書いた。

先日亡くなったDysonとほとんど同じくらいの年であるが、たぶんまだ95歳か96歳で生きておられるだろう。

アメリカに生活していたためにアメリカ国籍をとったが、その当時両親は中国におられてそのころはアメリカと中国との国交がなく、なかなか帰国することができなかったという。

そのうちに中国とアメリカの国交が1971年だったかに回復して帰国することができるようになった。そして1973年にYangの父が亡くなるときには病床にいることができたとか。

もっともこれは昨夜読んだDysonのCollected Papersの話しの受け売りである。DysonはYangのStony Brookからのretirementのときの晩餐会でこの話をしている。それによると国交がない時代は中国出身の科学者にはつらい時代であった。

アメリカ国籍をとるというのはある意味で母国を見捨てるという感覚をぬぐえなかったらしい。

Yangの父親は数学者であり、若いときに学位をアメリカでとった方だったらしい。

1965年だったか当時大学院生だったときに、私の在学していたH大学にYangとKemmerとが二人一緒に来られたことがあった。KemmerもDysonとは関係の深い学者である。

場の量子論をDysonはこのKemmerから学んだ。そして、アメリカにイギリスから渡ったときにアメリカではまだあまり場の量子論を知っている学者はいなかったという。アメリカは実用主義の国であり、何の役に立つかわからない場の量子論を真剣に学ぶ人たちはいなかったらしい。

もう70年近く前の話しであるが、隔世の感がある。




altitudeとは

2020-07-09 12:38:22 | 数学
altitudeという語がモーリーの定理の証明に出て来た。普通に私の知っているaltitudeの意味は高度という意味であるが、これでは意味が通じない。それで英和辞典を引いてみたが、どうも私の知識の範囲内の訳語しか出ていない。

それでも意味は通じないのだから、困って数学者の銀林先生父子の英語の数学用語の本を見て見たら、垂線とあった。これで適訳を見つけたので、意味がようやく通った。

垂線上の点をP, Q, Rと名付けるとか英語で書いてあったのだが、わからなかったのである。



モーリーの定理についてのまとめ

2020-07-09 12:22:09 | 数学
モーリーの定理についてのまとめをするためにいろいろ読んでいるのだが、なかなかまとめることには程遠い。

まず、いろいろな証明があるのだが、それの理解がなかなかできない。これではそのまとめなど夢のまた夢であろう。

ということでモーリーの定理に難渋している。いくつかの私のもっている初等幾何の本の中にはモーリーの定理について述べている本は実はない。

これはかなり難しい定理でもあり、大学受験には関係がないからでもあろう。昨日もこれについての証明を読んでいたら、居眠りしてしまった。

Birds and Frogs

2020-07-08 10:29:31 | 物理学
”Birds and Frogs”は最近亡くなったF. J. Dysonの晩年のCollected Papersである。2015年の発行なので、もう数年前に発行されたものである。もっと若いときのCollected Papersは別にある。

これをいつ購入したか覚えてはいないが、World Scientificから購入してもっていたが、あまり読んだことはなかった。

昨日は大雨ということで一日家にいたので、なにか面白い本はないかと2階の書棚を探していたらこれが目についた。

それで本のタイトルになっているエッセイ”Birds and Frogs”を読み始めたら、はじめの方は辞書なしにするする読めるので、階下のテレビの前の椅子に座って読み始めたが、すぐには読み終えることができなかった。

昨夜の深夜の3時くらいまでこれを読んだ。もっとも前半とちがって後半は知らない単語が頻出するようになったので、どれくらいほんとうに読めているかはあやしい。
だが、細かなところはどうでもいいので、およそはわかった。

Dysonは自分自身はFrogだと言っている。Birdは物事を俯瞰して見ることのできる学者であり、数学者のWeylとか物理学者のC. N. Yangとかを指して言っている。ただDysonは数学者のvon Neumanを自分と同じFrogだと言っており、そこいらの見方が面白いと感じた。

von Neumannは晩年の数年間はコンピューターに一番大きな関心を抱いていたという。Chaosという数学の発見を、もしNeumannが知っていたら、どういう数学の展開を与えただろうという風な話も書かれている。

Chaosの頻出する現象は気象学であると言っている。現にカオス現象の発見はいろいろな分野でなされたが、その一つは気象学においてであった。


松山も大雨による洪水になるかもしれない

2020-07-07 21:11:22 | 本と雑誌
松山も大雨による洪水になるかもしれないというので、家に一日いた。

しかし、午後になって雨が小降りになってなんとか大雨による洪水はまぬかれたようだ。日本全国いたるところ大雨の被害や地震の被害とか天然の災害には日本全国ことかかなくなった。

それでもまだ日本国は内戦がないだけましである。シリアやアフガニスタンやそのほかの国では内戦があり、それでいつ死ぬかわからない人がいる。

避難民となる人々はこの内戦からの避難民だといわれている。経済的に豊かな国へ逃れるといういわゆる経済難民という人は意外と少ないのだとか新聞で読んだ。

シリアだって豊かな農業国であったとか聞く。それで独裁政権があるかどうかはともかくとしてそれに抗する人々がいて、内戦になれば、誰だって国を捨てて安全な国へ行きたいと思うのは責められない。

ときの政権に批判的かどうかはともかくとして内戦はやりきれないのであろう。

もっとも、自然災害を少しでも減らす工夫はもっとされてしかるべきであろう。大雨による熊本の人吉市とその付近の大雨による洪水被害を見てそう思っている。