物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

8月6日

2021-08-06 10:31:44 | 本と雑誌
今日は8月6日で、76回目の原爆記念日である。

朝、テレビで原爆記念式典を見た。私は広島の大学で学んだから、何回もこの記念式典に参加しても不思議ではないのだが、実は在学中には一度もこの記念式典には参加したことがない。

大学を定年退職して何年かしたときに一度だけ実際に参加したが、それ一回ぽっきりである。

この記念式典は広島市長には大事な式典の一つであろう。平和宣言をしていた。菅総理大臣も来て、なんらかの決意表明をしていたが、それほど新味はなかった。それでも空々しいとまでは感じなかったから、総理大臣としては成功であろうか。




この近くにいいレストランはありますか

2021-08-05 18:51:53 | 本と雑誌
この近くにいいレストランはありますか。
 C’`e  un buon rsitorante qui viccino ?
   (チェ ウン ブオン リストランテ クイ ヴィッチーノ)
 C’`e  un rsitorante tipico qui viccino ?
   (チェ ウン リストランテ ティピコ クイ ヴィッチーノ)
 C’`e  una banca  qui viccino ?
 この近くに銀行はありますか
 No, non c'e.
 ありません
外国に行くと両替のために銀行に行く必要があることが多い。

なんかものごとをするにも「ゆっくり、ゆっくり」だとPiano, pianoだという。

 Ci sono tanti buoni ristoranti a Latina.

8月21日の準備を何もしないでいる

2021-08-05 18:30:22 | 科学・技術
8月21日の準備を何もしないでいる。これは一年に1回の徳島科学史会の総会の講演会の準備のことである。

今年取り上げるテーマは伊藤康彦さんの『武谷三男の生物学思想』(風媒社)である。ところが、この本は感情的なことは何一つ書いていないのだけでなく、いままでこういう議論は見たことがないくらい完璧に武谷三男の生物学関係の論を論破している。

もう武谷にひいきをする身にとっても、ここまで完璧に論破されると気持ちがいいくらいである。

しかし、私には武谷には「生物学思想」なんてものはなかったと思う。

単に、生物の進化についての現在までの理論というか理解では十分ではないという気持が強かっただけだと思っている。しかし、それさえも実際的にかつ理論的に伊藤さんに論破されたという感じがする。

だが、それで「そうだ、そうだ」ではおさまりがわるいのではないかという考えを一方ではもっている。さて、もう2週間くらいであるが、どういう論を立てたらいいのだろうか。考えあぐねている。



ひさしぶりに

2021-08-04 10:48:04 | 本と雑誌
ドイツ語のクラスでのまとめを昨日つくったら、午後には疲れて椅子にもたれて眠ってしまった。

以前にはドイツ語のクラスがあったときにはその次の週に要約と称した文書を長年つくり続けてきたが、いつだったかその意欲がなくなっていた。

それがzoomによるクラスでその記録がデータとして残るようになったのだが、それを補足して要約をつくる気がしばらくしなかった。

自分のドイツ語を話す力の向上のためにはまとめをつくったほうがいいのだが、その気が起こらなかった。これではいけないなと思ってはいたのだが、なかなかほかにもしておきたいことがあるので、毎回そのままになっていた。

これを続けることができるかどうかはわからない。なんでも努力がいる。

昨夜のEテレの「旅するためのドイツ語」から

2021-08-03 10:28:18 | 本と雑誌
Fussballzitateから。

Jeder, der in Halbfinale steht, 
 hat das Zeug, Weltmeisiter zu werden.   (F. Lahm)

準決勝に進んだものは誰でも世界選手権で優勝するものをもっている。

(イェダー、デア イン ハルプフィナーレ シュテート、ハット ダス
 ツォイク、 ヴェルトマイスター ツー ヴェアデン)

ちょっとドイツ語の文法的説明を以下に書いておこう。

主語はJederである。関係文等を除いて文章を簡単にして見ると

 Jeder hat das Zeug. 「誰でもものをもっている」

となる。「どういうもの」をもっているかというとWeltmeister zu werden 「世界選手権を勝ち取るわざ(もの)」をもつ。そこまでを書くと

 Jeder hat das Zeug, Weltmeister zu werden.

となる。誰でもJederと書いたが、「どういう誰でも」なのか。
これは「準決勝に勝ち進んだものは」である。それを関係代名詞derでつないだ副文der in Halbfinale stehtと書いている。これで全文が出来上がっている。

この関係文は関係代名詞derと動詞stehtとが枠をつくっている。この枠を( )で示すと

(der) in Halbfinale (steht)となっている。この部分の直訳は「準決勝にいるものは」であろう。こういう副文章(この場合には関係文)では定動詞後置で文末に動詞がある。

ドイツ語では文章の2番目の要素は定動詞(主語に対応して変化する動詞)はである。だから主語は詳しく言えば、Jeder, der in Halbfinale steht,である。

こういうところがドイツ語が難しく感じられるところである。しかし、この文章はその構造が難しい部類ではないだろう。

(注)副文章での定動詞後置はドイツ語の特色であるが、英語でもその名残が残っている。もっともその規則は不十分であり、疑問文でも間接疑問文になると主語・動詞の順に並ぶという文法規則を高校の英文法で学んだが、あれの親戚のような規則である。



  

学士院賞をもらった後で

2021-08-02 10:44:20 | 物理学
益川さんが学士院賞をもらった後で私の勤めていたE大学工学部に非常勤講師として来てもらったことがあった。

実はその前の年度に来てほしいと要請を研究会に出かけた友人のEさんにことづけしたのだが、その年度はすでに3件の非常勤講師を引き受けていて無理だから、つぎの年は優先して予定に入れておくという話だった。

そしてその約束を次の年度には果たしてくれたのであった。もっともそれは彼と小林さんがノーベル賞を受賞するずっと以前のことである。

たぶんそのころでもいつかはノーベル賞を受賞するのではないかと思われてはいたが、それでもまだ実験的なevidenceがまだだったと思う。

topクォークが発見されたのはそのあと数年してであったと思う。CPの破れの実験的検証とどちらが先だったか。