【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

これも「天命」なのかな 岡田克也さん、民主党幹事長に1年ぶりに復帰

2010年09月16日 19時38分43秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さんと菅直人さん(首相官邸ホームページ、トリミング)

【民主党幹事長に岡田克也外相】


 民主党代表で総理大臣の菅直人さんは16日、代表再選を受けた民主党幹事長に、外相の岡田克也さんをあてることを決めました。岡田さんの民主党幹事長就任は3度目。政権政党としての幹事長の就任は、鳩山由紀夫さんが首班指名された後に限れば、初めてということになります。

 岡田さんは「外務省のみなさんには申し訳ないが、政権交代をして頂いた国民の気持ちを考えたら、いろんなことを考えていられない。天命でしょう」と述べました。

 1回目の岡田幹事長は菅代表の下、2004年の第20回参院選を勝利に導きました。ただし、菅さんの年金未納問題で、参院選時点では代表に無投票で昇進していました。そして、2回目は鳩山代表の下、2009年の第45回衆院選で日本初の選挙による政権交代を実現させました。参院選でも、衆院選でもともに民主党初の国政第一党を実現した幹事長は岡田さんです。

 逆に言えば、岡田さんとしては、幹事長としてこれを上回る実績はあげようがありません。そのため、以前から、3度目の幹事長には慎重な姿勢を周囲に示してきました。

 菅さんは、ねじれ国会対応から、結党時の参院国対委員長である北澤俊美さん、幹事長・国対委員長・衆院議運委の筆頭理事を経験した川端達夫さんなど、衆参の議運・国対の長い議員をあてる方針で、私もそれが適当だと思っていました。

 が、岡田さんの「外相を最低2年間はやりたい」、「閣内なら財務相もやってみたい」と周辺にこぼしていた希望はかなわず、政治家としての責任、代表(総理)からのご指名ということで、「天命だ」と引き受けることになりました。

【1年ぶりの幹事長復帰】

 岡田さんは2009年9月15日の両院議員総会で、「党規約を与党にふさわしいものに変えていきたい」といった抱負を述べながらも、鳩山代表に解任されてしまい、小沢一郎さんに幹事長の座を奪われました。総選挙に勝利した幹事長が交代するのは、日本の政権政党では極めてまれです。私は、ちょうど1年前の岡田幹事長解任という、どんな理由があったか想像はつきますが、この判断は、鳩山政権のすべてのボタンの掛け違いにつながったと考えています。

 岡田さんの過去2回の幹事長就任は、ともに代表選に出馬して敗れて、新代表から指名されたものです。しかし、今回は内閣の一員として菅さんを支持し、三重3区で、87・52%の得票率で、菅陣営でもっとも党員・サポーターをまとめ上げることができました。
 
[画像]2010年9月の民主党代表選での党員・サポーター票の小選挙区別得票率(朝日新聞9月16日付4面)

 ただ、岡田さんは11月のAPEC横浜の準備会合にいそしんでおり、楽しみにしていました。また、ライフワークである気候変動(地球温暖化)に関する国際会議や、ドイツ外相と共同論文を米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に発表するなど非核および「国連安保理改革&日独の常任理事国入り」にも意欲を示していましたので、今度の幹事長就任は複雑な思いがします。まさに菅さんの命令と言うよりも、天命というべきでしょう。

【民自公の幹事長は、1990年初当選トリオに】

 ねじれ国会への対応では、自民党総裁のの谷垣禎一さんはこのほど、第39回衆院選で初当選の石原伸晃さんを自民党幹事長に指名しました。公明党の井上義久幹事長とあわせて、1990年初当選組が民自公の幹事長トリオとなりました。さらに言えば、現在は参院議員にまわった公明党代表の山口那津男さんも同期当選です。石原さんとは自民党、山口さん、井上さんとは新進党で同じ釜の飯を食った仲です。

  
[画像]石原伸晃・自民党幹事長、井上義久・公明党幹事長(両党ホームページ)

 この1990年の第39回衆院選。このときの旧三重1区(5人区)では、新人の岡田さんが初当選したことで、公明党政審会長だった坂口力さんが弾き飛ばされて落選した経緯があります。しかし、このことで、衆院厚労委員が長い岡田さんとしては、後に厚労大臣を4年間つとめる坂口さんら「福祉の公明党(創価学会)」に一目置かれることになりました。

 その後、岡田さんの「新生党」と「公明党」は、細川内閣で合流。岡田さんは8党派の若手による「いしずえ会」の事務局長として、当時の公明党書記長(市川雄一さん)や、当時の創価学会副会長(野崎勲さん)を講師として招いたことがあり、公明党とのパイプがあります。というよりも、むしろ、新進党解党に最後まで抵抗した経緯から、中堅以上の公明党議員は、岡田さんを尊敬しているように感じられます。

 例えば、衆院安全保障委員をつとめる公明党の佐藤茂樹さん。

 第173臨時国会(昨年11月26日)では、「私は、もう今から十六年前ですか、八頭馬車の細川政権のときから、いしずえ会の事務局長ということを岡田外務大臣がされたときから、ぶれない人であると」と質問の冒頭に語りました。

 第174通常国会(ことし5月28日)では、「私は、(平野博文)官房長官という人は、昔から人物はよく知っておりますけれども、どうもこの普天間基地の問題の取り扱いを見ておりますと、やはりこの分野についてはど素人で、自分の発言がどれだけこの日米関係に影響を与えるかというのをもう少し両大臣からもしっかり注意してもらった方がいい、そのように思うんですね」と述べています。

 仮に民主党と公明党が協力すれば、参議院で過半数、衆議院では3分の2の議席になりますので、ねじれ国会の視界が良好になってきます。

 私としては、岡田さんが幹事長になってくれると、また記者会見に出られるようになるのですが、APEC横浜を岡田外相で迎えられないのはなんとも残念です。北澤幹事長も見てみたかったし、川端さんは1回目の幹事長は郵政選挙で玉砕し、屈辱的な辞任だったので、汚名返上をしてほしかった気もしますが、政党は公のもの、私情は許されません。岡田幹事長はやはり「天命」なんでしょう。

          
天命   
 天によって定められた人の宿命。
「天の命ずる之を性(さが)と謂う」(四書の1つ『中庸』のことば)。
広辞苑第6版より。


 まかりまちがっても、党内から、岡田幹事長に後ろから鉄砲を撃つようなことがないようにしてほしいものです。それは絶対に許せません。脱小沢ではなく、小沢卒業で、クリーンでオープンな菅民主党による全員参加の熟議のデモクラシーに向けて。まずは体制の構築です。まっすぐにひたむきに前に進みましょう。

 一つだけ、お願いをさせていただければ、岡田外交の続きを、いずれ別のかたちでけっこうですから、ぜひやらせてあげてほしい、と思います。