【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田克也さん、幹事長就任会見で“内助の功”を認める

2010年09月18日 00時36分13秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]幹事長就任記者会見にのぞむ岡田克也さん、2010年9月17日、民主党本部(党本部ホームページの会見中継映像からキャプチャ)

 民主党幹事長に1年ぶりに復帰した岡田克也さんは17日午後4時から党本部で就任記者会見を開き、まず、「定例会見」をこれまでと比べて倍増(週1回月曜日→週2回月・木曜日)させることを表明し、さっそく「オープンな民主党」を目に見える態度で示しました。

 そして、「私たちが民主党を立ち上げたときの志に立ち返って、新しい政治を実現する、国民の期待にこたえる政治を実現するために、民主党を日本の政治の本領を担う政党として形作っていきたい」として、政権政党としての民主党の骨格を組み上げていきたいとの意欲を示しました。

 総理である菅直人代表は、政権の重荷をみんなで分担する「412人内閣」、全員参加の政調、クリーンでオープンな熟議の政治をかかげています。

 ところで、岡田さんは堅物、原理主義者、タリバーンといわれますが、私は16日のテレビニュース映像で「あれ?」と思ったことがあったので、質問しました。

 岡田さんは菅さんに「幹事長受諾」を伝えた後、首相官邸でぶら下がりインタビューに答えて、「ちょうど1年前まで、私、幹事長だったんですね。ですから『なんか外務大臣になったときに、(幹事長を外されたと)ずいぶん憤慨していたじゃない』と妻に言われまして、そういうこともあったのかな、と。また振り出しに戻ったような感じですよ、(政権交代した)1年前の」と語っています。

 これを受けて、私が「原理主義者と言われる岡田さんだが、奥さん(岡田多津子さん)のアドバイスで考え方を変えることがあるのか」と質問したところ、「考え方を変えたわけではありません。が、そういうこともあったかな、と思い出しただけです。私は仕事をやると全力でやりますので、いったん始めると次に入るというのは抵抗があります。もう少ししっかりやりたい、という傾向があるのかな、と思った次第です」として、今回の決断に内助の功があったことを、オープンに認めました。幹事長がオープンなら、みんなオープンでないといけないですね。

 
[写真]岡田克也さんの奥さんの岡田多津子さん、2009年8月30日、三重県川越町(岡田克也さんのホームページ

 また、党綱領の策定、党規約の「与党らしい」改定、党代表選挙規則の見直しの3つの課題については、「(菅代表の任期が)これから2年間あるので、落ち着いたところで議論したい」、「課題が山積しているねじれ(国会)の状況の中で、どう物事を進めていくのか優先順位をつけなければならない」などと述べ、重要性は理解しながらも、まずはねじれ国会対応や政権としての経済・雇用対策など重要課題・法案に対処していく考えを示しました。

 また、「与党の幹事長の責任は重いと言われるが、野党の幹事長も責任は重かったので、まだ実感がわかない」と岡田さん。正直な発言が多かったです。オープンな熟議をしようよ!というワクワク感を感じながら、私は記者会見場のある党本部をあとにしました。