【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

始まりはいつも横浜から 横浜APEC首脳会議 

2010年11月13日 05時06分37秒 | その他
 「日本の海が荒れている・・・」。

 詠み人知らず。この詩は1994年12月10日の新進党結党大会の開会と同時に、詩人の格好をした人があらわれて、詠み始めた詩の冒頭の一節です。バブルの色濃く、オーケストラの生演奏に、派手な旗に、風船が吹き飛んだ新進党結党大会。

 岡田克也さんは、『政権交代』の中で、「横浜市内のみなとみらい21内にある『パシフィコ横浜』が結党大会の会場に選ばれたのは、心機一転して新党を立ち上げようという心意気だろう。小沢さんが『たゆまざる改革』『責任ある政治』のキャッチフレーズを唱え、華やかなセレモニーとなった。が、そのじつ党内には不安が渦巻いていた」と振り返っています(117ページ)。新進党での辛い日々。新進党結党から15年というとても長い月日が経ちましたが、政権交代可能な二大政党デモクラシーという目標はようやく実現し、国民の理解が根付きつつあります。

 

 ペリーが横須賀市の浦賀に来航し、江戸城で、「横浜港を開港しろ!」と迫りました。わずか200戸の漁村だった横浜が1879年に開港し、その9年後には明治維新となりました。横浜には、日本最初の野球場も、ゴルフ場も、競馬場も、テニスコートもなんでもかんでもあります。ふしぎに思う人も多いでしょうが、日本人の生活に根付いた野球もゴルフも乗馬もテニスも元々、太平洋を渡ってやってきたものですから、日本では横浜が最初になるわけです。多摩川の隣に羽田空港が出来てからも、重い積み荷は船で渡ってきますから、変わりありません。

 宮澤喜一さんは、『聞き書 宮澤喜一回顧録』の14ページで次のようなエピソードを披露しています。

 (引用はじめ)
 宮澤 それから武蔵高校というところは、わりと漢学と英語がしっかりしていましたから、そういうものは自然に読んでいますが、“Communist Manifesto ”(『共産党宣言』)は、さすがに売っていませんでした。昭和14年に学生会議でアメリカに行ったら、アメリカでは売っておりました。しかしそれを持って日本に入れないと思ったものですから、船が横浜に着く前に、船内郵便局から発送人名を書かずに家に送ってみたんです。ちゃんと着きました。ですから検閲もかなりルースでもあったんですね。

 中村 昭和14年でしたら、かなりマルクス主義にはうるさい時代だったと思いますが。

 宮澤 そうですね。私はどうも頭の出来が悪いとみえて、どうしてもあのマルクスの言っていることはわからなくて、ついに心酔するには至りませんでした。

(引用おわり)

 いろいろな人生のいろいろな節目に横浜があるんですね。

 私としても夢を希望に満ちた新進党結党大会のパシフィコ横浜。体を壊し政治家になる夢破れ、日経新聞横浜支局記者としてとにかく紙面を埋めるために這いずり回ったころのパシフィコ横浜。パシフィコ横浜は希望と挫折の交差点。なぜか僕の人生の節目にはパシフィコが登場し、そして希望と絶望を僕に与えてくる、ふしぎな帆をした建造物、それがパシフィコ横浜です。

 尊敬する高秀秀信元横浜市長は、著書『横浜自立宣言』の151ページに次のように書いています。

(引用はじめ)

 横浜がコンベンション都市として成長し、実現の段階に立ち至れば、予想もしないような「サムシング」が生まれそうな気がする。(中略)昨年のことだ。パシフィコ横浜の展示場でロボット展が開催された。大人から子どもまで大勢の来場者があった。(中略)だが、目下のところは、世界最先端の学術的、技術的な内容のコンベンション、社会的な問題についてのコンベンションが主流である。「ロボット技術のように楽しいものならよいけれども、専門用語が飛び交うばかりの会議はちょっと・・・」こんな声も聞かれるようだが、それでよいのだと思う。

(引用おわり)

 この本は、2001年12月の発行です。彼は翌年の3月に4選に失敗し、8月にこの世を去ります。「こんな声も聞かれるようだが、それでよいのだと思う」。あのトップダウンの強烈なリーダーシップの高秀さんにしては弱気な書きぶりに、彼が、自分の4選に暗雲がたれ込めていることに気付いていたことを感じます。

 これは1999年の淡島千景さん主演、向井寛監督の企画映画「故郷(1999) - goo 映画」の一場面です。セルDVDよりキャプチャーさせていただいた画像を載せさせていただきます。

 沖縄のマラソンおばあちゃん76歳が沖縄→北海道の3、294キロを走るというロードムービーで、各地の自治体が協力しています。

 
 ごらんのように横浜中華街のシーンも出てきます。

 
 で、主演の淡島千景さんと一緒に御輿をかつぐ左に映っているのが時の横浜市長、高秀秀信さん。特段クレジットは出ませんが、高秀さんらしいはしゃぎっぷりと目立ちたがり屋。とても元建設事務次官の官僚出身とは思えません。

 
 元気に御輿を担いだあとは、

 
 高秀さんの音頭取りでマラソンおばあちゃん(右端の淡島千景さん)の前途を期します。

 まあ、ここだけ見ていると、協賛自治体をいいことに市長がはしゃいでいるだけに感じられるかもしれませんが、今思うと、これだけ明るく振る舞える市長さんというのは、なかなか貴重です。

 [この先、映画のネタバレあり]

 さて、高秀さんは北海道夕張町の出身ですが、「3日住めば浜っ子だ」と気にすることなく、毎年お盆には帰省して、その話をするのを楽しみにしていました。横浜というのは港町ですから、そうやって流れてきても市長になれます。横浜中華街の有力店の店長もたいていが東京出身で、横浜スタジアムに横浜大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)が来てから、中華街で開店したという人もいっぱいいます。

 いわば、横浜は新しい出会いとともに、各人の故郷を再確認する街なんです。

 夕張で生まれて、太平洋に開かれた横浜を終の棲家とし、発展させた高秀さん。1998年、横浜市は「日本での2000年サミット」に立候補し、誘致に失敗します。九州・沖縄サミットとなりましたが、2008年のTICAD(日本アフリカ会議)に続き、またしても国際会議「APEC横浜の首脳会合」がパシフィコ横浜で開かれています。お~い!、高秀さん!!!2日間こっちに来て、パシフィコを見なよ!アジア太平洋の21の大統領と首相がパシフィコにいるよ~~(^o^)

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 さて、映画『故郷』ですが、「もう一度、ふるさとに帰りたい。この足で・・・」との思いむなしく、マラソンおばあちゃんはホントウの意味でのゴールインはできません。映画のラストシーンから。

  
北海道・根室の納沙布岬から故郷・国後島をのぞむラストシーン。淡島千景さんと津島恵子さん。

あらすじ 故郷(1999) - goo 映画

沖縄・名護に暮らす76歳の南風原時子は、毎年恒例の市民マラソン大会・沖縄ドリーム・マラソン・の名物おばあちゃんだ。ところが今年、親友のトカを亡くした彼女はショックの為か大会に出場しなかった。そんな時子が帰省中の孫の恵に何も告げず失踪したのは、それから数日後のことだった。実は、恵の心配をよそに時子は日本縦断マラソンに出たのだ。フェリーで鹿児島に渡った彼女は、特攻隊員たちの慰霊碑を詣でた後、途中、親友のタミからの救援物資を受けながら大分、熊本と北上を続ける。一方、偶然テレビに映っていた時子を見つけた恵は、急いでその後を追った。また、マラソンおばあちゃんの話を聞きつけたペガサス沖縄テレビのディレクター・本田も、ビデオ・カメラを担いで時子の取材に出た。ひとまず時子の無事を知った恵は、時子のやりたいようにさせることを決めるが、本田をはじめとした連日のテレビ報道のお陰ですっかり時の人となってしまった時子は取材攻勢を受けるハメに。だがその一方で、テレビを通し時子の姿に励まされる老人たちも少なくなかった。しかし、さすがの時子の健脚も寄る年波には勝てなかった。京都の病院で小休止の時子。彼女は、そこで本田に自分が生まれ故郷である北の果てに向かっていることを告白する。「死ぬ前にもう一度故郷を見ておきたい」トカの死に際してそう思った彼女は、こうして今回のマラソン行脚に出たのだった。また、本田はライヴァルの沖縄新報の記者・渡嘉敷から、時子が時局柄中止を余儀なくされた昭和15年の東京オリンピックのマラソンの代表選手だったことを聞かされる。やがて、本田をはじめ、様々な人たちに励まされ北海道へ上陸した時子は、かつてオリンピックの代表選手として一緒に練習に励んだ國澤トヨと再会。更に、根室の岬から本当の生まれ故郷である国後島を望むことが叶うのであった。


 横浜から文明開化が始まり、横浜から二大政党の歩みも始まりました。

 太平洋とは「平和な海」という意味です。そして、APEC(アジア太平洋経済協力)は「成功の歴史」です。

 黒船が襲来して江戸城が大騒ぎになった151年前も、結果として横浜開港という決断が明治維新の始まりとなりました。


 始まりはいつも横浜から。

 始まりはいつもパシフィコから。

 2010年横浜APECから、日本の、そしてアジア太平洋の、新しい歩みを始めていきましょう。夢と希望の船を漕ぎ出していきましょう。大丈夫、必ず日本を助けてくれる仲間がいます。

APEC首脳会議きょう開幕、各国首脳が来日 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が13日、横浜市西区みなとみらいのパシフィコ横浜で開幕する。菅首相は環太平洋経済連携協定(TPP)の協議開始を正式に表明し、TPPを含む経済連携協定(EPA)の基本方針を説明する予定だ。日本がAPEC議長国を務めるのは15年ぶりで、14日に自由貿易の推進を打ち出した首脳宣言「横浜ビジョン(展望)」を採択し閉幕する。これに先立って12日夜、会議に出席する米国のオバマ大統領や中国の胡錦濤国家主席、ロシアのメドベージェフ大統領ら各国首脳が相次いで来日した。主要テーマの地域経済統合では、参加21か国・地域で人やモノの移動を円滑にする経済統合構想「アジア太平洋自由貿易地域」(FTAAP)の具体策を議論する。

APEC各国首脳、厳戒の横浜入り  :日本経済新聞

 13日に開幕するアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を前に、オバマ米大統領や中国の胡錦濤国家主席ら各国首脳が12日、相次いで横浜市に到着した。会場や宿泊施設のある「みなとみらい21地区」中心部の大通りは、一般車両が排除され、歩道にも警察官が数メートルおきに立つ物々しい雰囲気。車列通過の数分間は歩行者が道を渡るのも遮られた。開放された車道を、黒塗りの車などの車列がパトカーに守られながら走り抜けた。周辺の道路には、迂回(うかい)を余儀なくされた車の長い列ができた。帰宅途中だった横浜市泉区の男性会社員(30)は「ものすごく緊迫していて、普段見られない光景。ここまですごい警備をするのかと思った」と驚いていた。