【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

代議士を育てるのは誰か? 森山浩行 【追記あり】

2010年12月06日 19時52分53秒 | 森山浩行 大阪16区

[写真]民主党の森山浩行衆議院議員(当選1回、大阪府第16区=堺市、衆院・経済産業委員、災害対策特別委員会理事、内閣委員)

 鳩山由紀夫首相(民主党代表)はその最初の国会での演説(第173臨時国会)の中で、「かつての、だれもがだれもを知っているという地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります」として、「次に私たちが目指すべきは、(略)だれかがだれかを知っているという信頼の市民ネットワークを編み直すことであります」として“誰かが誰かを知っている共同体”を提唱しました。

 その意味を、「あのおじいさんは一見偏屈そうだけどボランティアになると笑顔がすてきなんだ、あのブラジル人は無口だけど本当は優しくて子供にサッカー教えるのもうまいんだよといった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい絆」だ、と民主党政権最初の所信表明演説は謳いました。

 私は、団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーです。1971年4月生まれから1974年3月生まれと定義されています。

 団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーである私たちは、所帯持ちは子供が2人いて「イクメン」として夫婦共同で子育てをする人が多い一方、独身で両親と暮らし、志を持って、おこがましくも「有権者を代表して国会をウォッチ」している私もいます。

 でも、この1年で感じたのは、「誰かが誰かを知っている共同体」である僕らの仲間は、「誰もが森山を知っている共同体」としてつながっているように思いました。

 民主党衆議院議員(大阪16区)森山浩行さんは1971年4月8日生まれ、私・宮崎信行は1974年3月1日生まれです。そして、それはその人が東京に居ようが、大阪に居ようが、ニューヨークに居ようが、一生変わらない。

 「誰かが誰かを知っている共同体だけど、誰もが森山を知っている共同体」。

 私は学生時代に森山さんと知り合っていて、「森山番長」のイメージが強かったのですが、政権交代後に森山さんを知った民主党秘書会員、新聞記者、同期当選の衆院議員によると、「森山さんはやさしい感じがする」のだそうです。複数の人が言っているのだからそうなんでしょう。ちなみに、彼が21歳の時から知っている私のことを、その1年後に知り合った森山さんの奥さんは「悔しい」と言っています(^_-)

 実は6月の代表選で、森山さんは、私が推した候補者でない候補者を推しており、それは森山さんは国会議員で様々な判断に基づく立場だから当然尊重していますが、そのプロセスを後になってから、報道および「誰もが森山を知っている共同体」のメンバーから知って、その時に私は「そんなスケールの小さい政治家だったのか」「何で記者出身なのにそんな簡単なことに気付かなかったのか」「3ヶ月後に定期代表選があるという政局感に欠けていたのではないか」と激高しました。すると、それはすぐに森山さんに伝わっていました。悪口は本人の前で言うのが私の信条ですが、森山代議士は超多忙ですし、その私の意見というのは、正確に本人に以心伝心で伝わっていたようです。言葉は要りませんでした。

 さて、丈夫そのもののの森山代議士ですが、2010年9月29日、最愛の母、森山由利子(もりやま・ゆりこ)さんが63歳で旅立ちました。子宮頸がんです。国会閉会で少し時間が出来たので、ファイルを整理していたら、2009年9月17日、森山浩行、初登院のときの画像が出てきました。森山さんの家族や後援者のみなさんは早朝に堺を出て、上京し、森山さんと一緒に初登院しました。そして、議員バッジをもらった森山代議士と一緒に国会見学をしたときの写真です。



[写真]そして、代議士になった当日、はしゃぐ森山浩行・衆議院議員の背中をほほえんで見つめる森山由利子さん(2009年9月17日、宮崎信行撮影)。

【追記 2010-12-19】

 お詫びと訂正です。12月6日夜の初投稿から、19日午前中まで、ここに掲示していた写真は他の方の写真でした。森山さんから指摘がありましたので、お母様の写真を探し、訂正しました。お母様、森山事務所にご指摘いただいた支援者のみなさま、森山議員、関係者各位にお詫び申し上げます。【追記おわり】

 「森山浩行を育てる集い in 東京」ということで、39歳の青年代議士を育てる役目は、有権者に引き継がれました。
 「誰かが誰かを知っている共同体だけど、誰もが森山を知っている共同体」は引き続きメンバーを募集しております。

【追記 2010-12-19】

 パーティー当日のもようを写真でご紹介します。(すべて宮崎信行撮影)

 冒頭は会議室で、「藤井裕久先生の講演」。「藤井先生の話なら聞きたいな」とパーティ券をご購入下さった方も多かったようで、営業しやすかったそうです。川端達夫議院運営委員長(前文科相)が真っ先に顔を出された後、開演後も、森山さんが初当選したときの代表である鳩山由紀夫前総理、問責決議をやられてご心労も多いと思われる馬淵澄夫・国交相、松本剛明・外務副大臣も列席しました。

 
[写真]鳩山由紀夫前総理と森山浩行さん(宮崎信行撮影)


[写真]あいさつする国交相の馬淵澄夫さん(宮崎信行撮影)


[写真]1時間たっぷりと財政、税制、経済の見通し、民主党のあり方を語った藤井裕久さん(宮崎信行撮影)

 藤井さんは、「控除から手当へ」の民主党税制(財政)は、個人に直接お金が行くことで、消費を喚起して、経済を回復するものだとしました。また、消費税増税にはまず政治家が身を切る(歳費と定数の削減)が必要だとしました。ドルに関しては、「私は浜矩子さんと仲がよい」として、浜矩子・同志社大学教授が主張している「ドルはもはや国際基軸通貨ではない」とする浜理論の方向性に近いことを示唆しました。


[写真]司会は永江孝子・衆院議員(右)。永江さんは南海放送アナウンサー出身で、関西テレビ記者出身の森山さんと「テレビ局出身」「政権交代チルドレン」という共通点があります(宮崎信行撮影)。

 
[写真]パーティー会場に場所を移して。ここら辺は中締め近くの写真です(宮崎信行撮影)。左の写真は宮崎岳志衆院議員のあいさつ、右は大阪府立三国ヶ丘高校の同級生の方のあいさつです。高校生のころから「将来は総理大臣になると言っていた」とか。司会は羽田次郎さん。写真はありませんが、野田佳彦財務大臣、武正公一さん、西村智奈美さんら多くの国会議員も閉会中なのにかけつけました。

 印象に残ったのは、パーティー会場での藤井さんの話。政権交代前、藤井さんは野党、森山さんは総支部長時代。「そこに後任の(財務大臣の)野田君がいるから言うわけではありませんが、私が応援演説に行ったときに、彼は関西空港まで迎えに来てくれたんですね。でも、むだな時間かも知れません。でも立派な人間だなと思いました」とおっしゃっていました。

 ボランティア・スタッフ30人くらいかな。そして、他の議員の秘書さんの応援は、数人で、要所要所(来賓の案内など)にお願いするだけという珍しい政治資金パーティーでした。中締め後も、1時間前後、立ったまま、話の輪が咲いていました。

【追記おわり】


「衆議院議員 森山浩行を育てる集いin東京」ご案内


菅総理「元気な日本を復活させるのが私の役目」

2010年12月06日 17時58分57秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[写真]第22回参院選での菅直人さん(民主党ホームページ)

 総理大臣で民主党代表の菅直人さんが6日、第176臨時国会の閉会を節目にして記者会見しました。

 年明けに向けた政権安定については、きょうの社民党・福島瑞穂党首との会談を踏まえて、両党政調の話し合いを踏まえて、第45回衆院選での選挙協力と政策協定の枠組みである、民主党、国民新党、社民党が衆議院での3分の2以上の再可決による安定に取り組む考えを示しました。菅総理は記者会見中で「公明党」という言葉を使わず、統一地方選を踏まえて、補正予算に反対した公明党に距離をおきました。

 また、民主党と自民党のいわゆる「大連立」に関しては、含みを残しながらも、否定しました。自民党との大連立を拒否すれば、二大政党デモクラシーを日本に確立した宰相として、「菅直人」の名前は100年先の教科書にも載るでしょう。

 「(第22回)参院選で公約した消費税はどうしたんだい?」との朝日新聞記者との質問に対して、「社会保障と税(消費税)に関する与野党の協議機関をつくるのが望ましい」として、この問題で方向性が一致する野党・自民党と、第45回衆院選で政策協定を結んで協力した与党・民主党、国民新党、社民党の3党などが入る政党間協議機関をつくることを明言しました。消費税上げが必要だ、という考え方は第22回参院選当時と変わらないと強調しました。菅さんは第176臨時国会では、このことに関してとくだんの発言はしていませんでした。

 第176臨時国会中は、本会議代表質問や予算委集中審議など、総理出席のTV入り質疑と、国際会議が重なり、オープンスカイや、ビザの発給など政権の実績を十分にアピールできなかったと反省。

 記者会見には、フリーランスの江川紹子さんが「検察行政のあり方と法相の補充人事について」、ビデオジャーナリストの神保哲生さんが「民主党政権の情報公開と記者会見のあり方」について質問し、神保さんに対して総理は「神保さんも、いい案があったら教えてください」とお知恵拝借をのぞみました。ロイター通信記者など内閣記者会(永田クラブ)以外の記者も多く質問しました。

 顔色も声色も元気そのもので、国会閉会による緊張感からの解放を感じさせました。あれだけ精神力と体力の強い総理でも、ねじれ国会と初めての(補正)予算審議は、タイヘンなプレッシャーだったんだな、と驚きました。菅総理は、予算編成、税制改正と、年明けの第177通常国会に自信をのぞかせ、第46回衆院選までの続投を強調するために、「元気な日本を復活させるのが私の役目だ」と元気に会見を締めくくりました。