【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

俊美、防衛大綱を仕上げる 

2010年12月17日 23時59分59秒 | その他
 菅直人改造内閣は17日の閣議で、「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画(平成23年度~平成27年度)」を決定しました。

 いわゆる「防衛大綱」とそれに基づく「中期防」で、さっそく12月25日に組み上がる予定の平成23年度菅予算に反映されます。

 防衛大臣、北澤俊美。あの暑い夏の政権交代で発足した鳩山由紀夫内閣、菅直人内閣、菅改造内閣を通じて同じ役職をやっているただ一人の閣僚となりました。もはや長老のたたずまい。

 もちろん順風満帆でなかったことは言うまでもありませんが、7月の参議院議員としての改選では、定数2にも関わらず、子飼いの女性県議を当時の幹事長に長野県連の頭越しに擁立される屈辱で、4回目の当選にして、初めて2位、NHK当確も9時44分という遅さでした。そして、9月の代表選では菅直人陣営に。それはすべて、防衛大綱を自分の手で仕上げたいということです。

 わが国の予算は単年度主義で、複数年度の考え方は基本的にありませんが、防衛装備品(軍備)の調達に関する中期防は実質的に5カ年予算といえます。

 私も中味を全部通して、読了できていないのですが、「防衛大綱」のポイントは次の通りです。

 海上自衛隊の「しらね」など護衛艦(戦艦)を前回の2004年大綱の47隻から48隻に増やす。これはせっぱ詰まった状態での運用を考えれば、2の倍数である「48」の方がいいでしょう。幕僚(参謀)も人間ですからね。

 そして、「なだしお」など「~しお」の名が付く潜水艦は、1976年大綱、95年大綱、2004年大綱と続いてきた16隻体制を22隻に増強します。

 とてもお金がかかる作戦用航空機。とくに武器輸出3原則が今のままでは、ホントウに税金を食う。そのうち航空自衛隊のものについては、総数を04大綱の「約350機」を10大綱では「約340機」にします。その内訳として戦闘機は、04大綱の「260機」から10大綱でも「260機」を維持しますから空の備えは万全でしょう。おそらく輸送機などを効率的に運用することで節約するんだと思います。

 そして、日米韓共同開発のイージス・システム。パトリオット(ペトリオット)ミサイルもPAC3の段階になって、ハワイの実験で「意外に当たるのかなあ」と私の中での評価が上がっている迎撃システムですが、護衛艦のうち、イージス護衛艦を04大綱の「4隻」から10大綱では「6隻」に増やします。運用もしやすくなるでしょう。もちろん人材育成も急務です。

 一方、陸上自衛隊の編成定員は76大綱の「18万人」→04大綱「15万5000人」→10大綱「15万4000人」となります。即応予備自衛官は変わらないようです。そして、戦車が76大綱の「1200両」→04大綱の「600両」→10大綱の「400両」と減らします。

 10大綱(北澤大綱)の思想はスッキリ明瞭です。ソ連(現・ロシア)の進駐による地上戦への脅威が薄れましたし、言うまでもなく、わが国は専守防衛ですから、戦車は減らす。その上で、中国海軍への警戒からか、潜水艦など海上自衛隊の哨戒活動(パトロールと情報収集)は強化する。そして、北朝鮮のノドン・ミサイルについては、イージスで、海自、空自、陸自が対応する。くどいですが、人材育成と3自衛隊の統合演習を何度も何度も繰り返して、空の守りをしっかりする。

 いわば、ソ連から中国・北朝鮮へ。北から南へ、東から西へ。そして、もっと空へ、もっと海へ、防衛力を高めていく。
 10大綱から初めて登場した言葉、それは「動的防衛力」です。

 また陸自の定員が削減されることから、災害出動の能力は若干落ちざるを得ないと思われます。首長においては、速やかな決断が求められます、例え自治労の支持で当選した首長であっても。日ごろからの防災・減災の努力は一人一人の心がけも必要になってきます。

 そして、今後、台湾との国境近くの与那国島への陸自配備が政治スケジュールに乗ってくる可能性があります。首長さんはすでに「誘致」を表明しています。私も支持します。ただ、最近では中国語を書けるネット右翼がいるでしょうし、単に自衛隊のことだからと、世論が泰山鳴動することは避けたいところです。

 1992年に自民党経世会から初当選した北澤俊美さん。そのまま自民党に残っていたら、農林族・道路族の単なるオッサンとして、安倍・福田内閣で一度閣僚やって、そろそろ引退したかもしれません。1998年に参加した民主党では、初代参院国対委員長としてタフネゴシエーターに。斎藤勁さんが代理だったと思います。その後、参院民主党(民主党・新緑風会)幹事長を経て、参議院議員会長をめざしました。内定段階となっていましたが、支持していた旧総評系議員が突然ハシゴを外して、赤っ恥。深刻な人間不信となり、国会を去ることも考えました。その後、長野県で理学療法士の学校や福祉施設の理事長なども始めて、2007年の逆転の夏の後は、当時の小沢一郎代表に頼まれて、参院外交防衛委員長として、守屋武昌さん、山本一太さん、石破茂さん、田母神俊雄さんらと対決。というよりも、ヒゲの隊長、佐藤正久さんという意外な好敵手の登場が、俊美さんもヒゲの隊長も良い刺激になっているように思えます。まさに二大政党デモクラシーの曙です。

 俊美さんは、北澤貞一・元長野県議の長男ですが、6人兄弟だと聞いていますが、末っ子に近づくと、北澤五郎さん、北澤六郎さんとおっしゃるそうです。北澤貞一さんは日本社会党の県議から、民社党に飛び出した人です。俊美さんは1992年6月18日に内閣不信任に賛成した衆議院の仲間とともに自民党飛び出し、新生党結党メンバーとなりました。国家国民のために「飛び出す」DNAがあるのでしょうか、最近は「俊美は親父にそっくりになってきた」とお父さんの選挙区だった長野市区では言われているようです。

 新大統領に対して軍が銃を上に向けて、空砲をうつ栄誉礼・儀仗をすること。それが政権担当能力だという国は世界中にいっぱいあって、おそらく国連加盟国の半分に上るでしょう。「北澤大綱」が閣議決定された日は、政権交代後のちょうど1年3ヶ月目になりますが、クーデターまがいの行動は起きていません。それでこそ、防衛大臣です。

 中期防は5カ年ですが、防衛大綱の理念は、調達を通じて、多額の予算をかけて、これからの日本の国土と国民の生命、財産を守っていきます。いわば、ずっと残るリンゴの木。

 北澤俊美(1938-)が2010年(平成22年)12月17日、歴史に名を残しました。

 18年の知己として、選挙デビューの相手として、民主党の同志として、早稲田の先輩として、長野市川中島をルーツとするヒトコト多い人間の一人として、新生党の残党として、そして政権交代ある政治のために一日もぶれなかった志を共有する仲間として、俊美さんを心から誇りに思います。僕のヒーローです。 
 


防衛省・自衛隊:平成23年度以降防衛計画大綱等

「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱について」
及び
「中期防衛力整備計画(平成23年度~平成27年度)について」


時事ドットコム:安保環境の変化に対応=政権交代の影響なく-新防衛大綱

 政府が17日に閣議決定した新たな「防衛計画の大綱」(防衛大綱)は、日本の国防の基本方針として30年以上掲げてきた「基盤的防衛力構想」からの脱却を宣言し、新指針として「動的防衛力」を明記した。背景には冷戦終結から20年以上が経過し、旧ソ連(ロシア)の侵攻の脅威に代わり、東シナ海で活動を活発化させる中国への対処が急務となった実態がある。
 「複雑な安全保障環境に対応できるよう動的防衛力という新しい考え方を組み込んだ」。北沢俊美防衛相は大綱決定後の記者会見で、成果を強調した。
 従来の基盤的防衛力構想は、自衛隊を全国に均一に配備し、北海道には戦車部隊を重点的に集めるなど、重厚長大な装備による抑止効果が中心だった。今回打ち出した動的防衛力を防衛省幹部は「抑止と対処の効果を併せ持つ」と説明。他国からの侵略防止に加え、テロやゲリラなどの鎮圧も目的とし、自衛隊の即応対処能力を向上させ、日本全国に機動的に展開させる考え方だ。
 特に防衛省が念頭に置くのが、中国の海洋活動だ。当面は鹿児島県から沖縄県に連なる南西諸島周辺海空域で、海上自衛隊と航空自衛隊による、中国艦船や戦闘機などへの警戒監視活動を強化する。そのため、同県の与那国島に陸上自衛隊約100人による「沿岸監視隊」を新設する方針。将来的には、南西諸島のどこかに、敵の上陸阻止を目的とする「実力部隊」の配置も想定しており、調査に着手する。
 だが、大綱で中国を「国際社会の懸念事項」と記述したことには、中国側の反発が予想される。民主党内からも「衆院選のマニフェスト(政権公約)で掲げた東アジア共同体の理念はどうなったのか」(護憲派議員)との声が漏れる。
 新大綱は、「政治主導」を掲げた民主党政権下で初めて策定された。党側でも10月から、外交・安全保障調査会で検討を重ね、提言をまとめたが、新大綱と大きな食い違いはない。そもそも、政府は大綱を昨年末にまとめる予定だったが、政権交代後、時間が足りないため1年先送りされた経緯があり、防衛省側の議論が大きく先行していた。同省の結論を党が追認したのが実態で、ある中堅議員は、こう振り返った。「役所の振り付け通りだ」(2010/12/17-22:08)

時事ドットコム:三原則見直し、社民に配慮=「政権交代おろそかにしない」-北沢防衛相

 北沢俊美防衛相は7日午前の記者会見で、新たな防衛計画大綱(防衛大綱)の焦点である武器輸出三原則見直しの扱いについて「(菅直人首相が)社民党と話すのは結構なことだ。私もせっかく成し遂げた政権交代をおろそかにすることはしない」と述べ、首相が社民党との連携を重視する方針を示したことを踏まえ、三原則堅持を求める同党に配慮する意向を示した。
 防衛相は三原則について「防衛省の立場とすれば装備調達の円滑化を研究してきた。情勢の変化に基づいて対応することは重要だ」と、見直しの必要性を改めて強調。同時に「国会を乗り切るには数がそろわないといけない」とも述べ、国会対策を重んじる首相の立場に理解を示した。

石破茂氏「小沢一郎さんは真の改革者と信じましたよ」 岡田克也さん宮澤喜一邸夜討ち「大変丁寧に応対」

2010年12月17日 23時02分03秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 自民党政調会長の石破茂さん。「政治改革を実現する若手議員の会」の代表として、岡田克也さん、河村建夫さん、岩屋毅さん、簗瀬進さんらと「宮澤総理・総裁邸」(東京・渋谷)夜討ち事件を起こし、宮澤解散後に自民党を離党。新生党や新進党議員を経て、自民党に帰り防衛相、農相をつとめました。

 その石破さんが17日朝、関東ローカルのラジオ局、文化放送に出演。かつての代表幹事・党首だった小沢一郎さんについて、「あの頃(1993年)は、この人こそ真の改革者だと信じましたよ。我々若い議員は感動しました。あのときは光り輝いていた」と述べました。これに先立ち、「この20年間、小沢さんに大いに振り回されてきました。では、小沢さんがいなければ日本の政治が動かなかったかというと、そんなことはない。小沢さんがいる限り、日本は振り回し続けられる」として、「トータルに必要なことかといえば、水沢に帰る・・・今は奥州市っていうのかな・・・水沢に帰ることだ」と語りました。

 政治改革を実現する若手議員の会は、今でも日本政治の中核で、政権交代時には、河村建夫官房長官(当時)から岡田克也さんと政調会長(直嶋正行さん)が引き継ぎを受けました。危機管理などを中心に、おそらく報償費に関する情報の引き継ぎも受けたと私は想像しています。河村さんは一度も自民党から出ず改革にまい進。一方の岡田さんは“あの日”(宮澤解散当日の1993年6月18日)から一度も自民党にも戻らずに、連立も組んだことがありません。簗瀬進さんもそうです。岩屋さんは河村さん同様、自民党で頑張ってきました。岡田さんは新進党時代に「一度裏切った人間は二度裏切るということを覚えた」と語っています。岡田さんが石破さんのことに言及することは滅多にありません。

 松野頼久さんらから「小沢問題」で直談判を受けた後、宮澤邸夜討ち事件について、岡田さんが月曜日(12月13日)の記者会見で述懐しました。私(宮崎信行)が質問しました。

 「宮澤さんのご自宅に押しかけたことは私の懐かしい思い出の1つですが、そのときに宮澤さんは、夜、突然お邪魔したにもかかわらず、大変丁寧に応対していただきました。そこは、私は、非常にいい、強く印象を持ちましたので、なるべく今日も、最初は院内で、と連絡してあったのですが、皆さん党本部にお集まりだということで、いったん私は院内に行ったのですが、党本部に戻りましてお話をさせていただいたということです。なかなか宮澤さんのような応対になったのかどうか、しかし、誠実に私は私の考え方をお答えさせていただいたつもりです」。

 宮澤さんは、自民党を象徴する人物です。田中角栄さんを自民党の象徴のようにイメージしている方は多いでしょう。私もそう思ってしまいますが、実際には、角さんは自民党には極めて異質な存在だったから、幹事長・総理・総裁になれたのでしょう。それに比べて、二世議員で、東大法卒で、官僚出身で、地方選出で、日米講話交渉の密使だった池田勇人蔵相の秘書官として、ワシントンで英語を駆使した、宮澤さんが自民党の象徴です。

 自民党と言えば、民主党と違って、政調が事前審査制なので、部会がもめて、当選3・4回生の部会長がまとめきれず、先輩が大声で「部会長一任!」「部会長一任!」と叫んでまとめることがありました。安倍晋三さんは自民党厚労部会長時代に、先輩の衛藤晟一さんに助けてもらい、落選後の参院院替えに助力しました。

 私は月曜日、「幹事長一任」になったと聞いて、古き良き自民党の薫りを感じました。

 古き良き自民党と、インターネット生中継の記者会見でそれを発表する先進性。岡田克也という男にそれが併存し、そして矛盾していない。岡田克也のアウフヘーベンに、安定感をつかみ取りました。まあ、石破さんも頑張ってください。


ついに米中巻き込みに成功 COP16カンクン合意 25%削減へ 福山・岡田法案の方向性が世界に認められる

2010年12月17日 11時18分19秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]福山哲郎さんと岡田克也さん。

 ことしの12月31日は金曜日ですので、それまでに小沢に新党を作られたら、来年の4月20日の政党助成金支給日前に小沢の金庫が空っぽのうちに解散しないといけなくなるかもしれないので、政倫審は年明けかつ通常国会前というタイミングになるでしょう。年明けと同時に、公明党さん、社民党、国民新党、自民党、日本共産党が総攻撃に出てくださることを期待しています。

 さて。

 COP16がメキシコのカンクンで開かれました。

 カンクンというのは、すてきなリゾートだそうで、1990年代後半には、日本人の新婚旅行ブームになったところです。

 私は1996年の冬、今は読売記者をしている大学の同級生と2人で、ワシントンD.C.でホワイトハウス、ニューヨークで証券取引所を見物したその脚で、格安周遊券(4都市で10万円)を使って、メキシコ合衆国に行きました。首都・メキシコシティーの、スペイン語の街の旅行代理店で、フォルクスワーゲン製のタクシーで、メキシコ国立博物館に行ったことがあります。そこで、日本人夫婦と出くわして、「カンクンに新婚旅行に行った帰りで、乗り継ぎでメキシコシティーに来たんですよ」とのことでした。奥さんは、ソバージュがかかった日やけした、歌手の小野リサさんに似た感じの方で、同じ日本人でもいろいろな人生があるな、と感じました。その後、日本語の看板を掲げた旅行代理店に立ち寄り、応接スペースにあった産経新聞の1面トップの横見出し「さようなら司馬遼太郎さん」に絶句。その一方、毎日新聞1面トップの「羽生善治さん史上初の7冠王」という記事にも、日本の明るい未来を感じました。ともに1996年2月上旬のニュースです。

 カンクンで開かれた国連気候変動枠組み条約、あるいは地球温暖化防止条約という読みかえも可能なようですが、COP16で、「カンクン合意」が採択されました。さあいよいよ、画期的なことに、
アメリカ、中国らも、二酸化炭素などの温室効果ガスの削減目標のチームに参加することとなりました。

 すなわち、私たちは米中の巻き込みに成功しました。

 京都議定書が単純延長となると、日本がこのゲームで、“自爆”することになりかねず、公明党の斉藤鉄夫元環境大臣も懸念していました。

 日本代表の松本龍・環境大臣が「日本は京都議定書の単純延長は認められない」と初日からハードルを上げ、EUからは「やりにくい」とたしなめられたようですが、結果としては松本さんの強気が、米中およびインドを巻き込んだ、「カンクン合意」というペーパーを採択できました。

 松本龍さんの地元は福岡1区、博多です。歴史の授業ではなぜかやりませんが、博多の港というのは、二度目の蒙古襲来で、火を付けられ、焼け落ちました。わが国で、中国の王朝・政府(あるいは中原=ちゅうげんというのでしょうか)に火力で攻撃され破壊された街は福岡・博多だけです。なんで教室で教えないのでしょうかね、ひょっとして中国が共産・社会主義で、共産・社会主義者がが歴史教師として教壇に立ったり、大学教授として教科書を執筆しているのではあるまいか。

 話がそれましたが、その強気の松龍も、「昨年の衆院選のマニフェストを読んだときには野心的すぎるかな」と大臣就任会見で語った、「2020年までに90年比25%削減」の福山哲郎さんと岡田克也さんの2008年通常国会に提出した「地球温暖化対策基本法案」の方向性が現時点では、おおむね正しい方向性だったということが明らかになったといえるでしょう。福山さんはスリランカ、岡田さんはアメリカ東海岸(ハーバード)で修行した経験があります。

 よく、岡田の考えは分からないと言われますけどねえ~~(^_^)v

 福山・岡田法案改め、内閣提出「地球温暖化対策基本法案」を2011年、第177通常国会で成立させましょう。

 世界はまだまだ日本に期待しています。科学・技術とイノベーション。日本はしっかりと人と施設と機器と法律と予算を備えなければなりません。私をはじめ数学が苦手な人間も応援したいし、環境技術や、あるいはバイオ産業、あるいはスポーツ科学なんかも強いですが、その周辺では、例えば清掃員、警備員、事務員の仕事だって、成長分野です。興味をもってこういった分野の情報に触れてほしいと思います。アニメ、マンガ、ゲームなどコンテンツ産業は天井にぶつかっているように、私には感じられますが、環境・バイオ・スポーツ科学はたっぷり稼げますよ。日本はまだまだ大丈夫だよ~~ん(^_^)v

[福山哲郎さんのメールマガジンより引用はじめ]

テツロー日記 2010年12月11日 第403号
「COP16合意文書採択されました」

メキシコ(カンクン)で開かれていたCOP16は、現地時間の未明(日本時間18時頃)に文書が採択されました。

今回の合意は、日本の原則的な立場を守りながらも、米中を含め包括的な国際枠組みに向けた重要なものとなりました。
各国の代表団が本当に厳しい交渉をされた結果だと思います。来年、再来年につながる会議となり、とても喜び、ホッとしています。

昨年のCOP15では、コペンハーゲンで、寝ずの交渉に携わりましたが、今年は東京からとなりました。
現地の代表団・スタッフの皆様の尽力に敬意を表します。

[福山哲郎さんのメールマガジンより引用おわり]

 asahi.com(朝日新聞社):ポスト京都へ新体制 米中に対策迫る決議 COP16 - 国際
 【カンクン(メキシコ)=須藤大輔】2013年以降の地球温暖化対策を議論する国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP16)は11日未明(日本時間同日夜)、新たな対策の骨格を「カンクン合意」として採択し、閉幕した。京都議定書を離脱した米国や、温室効果ガスの削減義務を負っていない中国、インドなどの新興国にも、一定の削減を初めて求める。主要排出国が参加する新しい国際体制が動き出す。

 議長国のメキシコが最終日の10日夕に示した決議案を、各国が受け入れた。先進国は削減目標を掲げ、率先して対策に取り組む。途上国には経済発展で排出量が増える余地を認めながら、抑制に向けた計画づくりを促す。削減の取り組みを国際的に検証する制度の設置や、途上国支援の基金創設なども盛り込んだ。

 対立が目立った昨年末のCOP15から一転、各国は妥協を重ねて合意にこぎつけた。

 COP15で主要国首脳がまとめた「コペンハーゲン合意」は、一部途上国が「文案作成の過程が不透明だ」と反発、採択できずに終わっている。今回、議長国メキシコは神経をとがらせ、徹底的な正攻法で会議をとり仕切った。「秘密文書もなければ秘密会議もない」。エスピノサ外相はこう繰り返し、合意文書の作成を進めた。

 各国の思惑も妥協に結びついた。

 新国際体制づくりで最大のネックは、2大排出国の米国と中国の対立だった。削減の検証制度創設を主張する米国に、中国は「主権を侵す」と反発。仲介に奔走したのがインドだった。この問題で主導権を握ろうと独自の検証制度を提案し、中国を説得。会議終盤、中国は制度の受け入れを表明した。関係者は「中国は前回のコペンハーゲンで、かたくなな態度をとって批判を受けた。今回は批判を避けたかったのだろう」とみる。

 各国の大臣も「妥協なしに成功はない。妥協なしに、我々の生存はない」(ノルウェーのソルハイム環境・国際開発相)と調整を重ね、合意への機運を高めた。採択の後、メキシコのカルデロン大統領は「私たちは希望を取り戻した」と宣言した。

 一方、新たな枠組みを新議定書など法的拘束力がある形にするかは、今回の合意に明示されず、議論は来年末に南アフリカ共和国で開かれるCOP17に持ち越された。日本が強く反対した京都議定書の延長も、結論を来年へ先送りした。

 洪水など異常気象が相次ぐバングラデシュの代表はクギを刺した。「これで終わりではない。私たちの生き残りをかけた交渉はこれからも続く」


第23回参院選が今の制度で行われることはありえない」と断言 岡田幹事長、参議院の制度を抜本改革

2010年12月17日 10時55分31秒 | 第23回参院選(2013年7月)二番底

 民主党幹事長の岡田克也さんは2010年12月16日の記者会見で、第22回参院選で鳥取県民と神奈川県民の1票の格差が「違憲」あるいは「違憲状態」とする高裁判決(ただし「合憲」1つ)が相次いだことについて、

 「違憲、違憲状態という判決が引き続いて出ているということはやはり国会議員としては極めて恥ずかしいし、かつ民主主義の最も基本である投票する権利にかかわる問題だけにこれは真摯に受け止めなければいけないと思います。したがって、参議院だけでなく、衆議院もそうなんですが、一票の格差が合理的な範囲にとどまるように、なんといいますか、きちんとした対応しなければならない。参議院については1県に最低1議席としている制度に限界がある」

 と述べ、第23回参院選について、「次の参院選が今の制度のまま行われることはありえない」と断言しました。