【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

石破茂氏「小沢一郎さんは真の改革者と信じましたよ」 岡田克也さん宮澤喜一邸夜討ち「大変丁寧に応対」

2010年12月17日 23時02分03秒 | 小沢一郎氏による解党ビジネス

 自民党政調会長の石破茂さん。「政治改革を実現する若手議員の会」の代表として、岡田克也さん、河村建夫さん、岩屋毅さん、簗瀬進さんらと「宮澤総理・総裁邸」(東京・渋谷)夜討ち事件を起こし、宮澤解散後に自民党を離党。新生党や新進党議員を経て、自民党に帰り防衛相、農相をつとめました。

 その石破さんが17日朝、関東ローカルのラジオ局、文化放送に出演。かつての代表幹事・党首だった小沢一郎さんについて、「あの頃(1993年)は、この人こそ真の改革者だと信じましたよ。我々若い議員は感動しました。あのときは光り輝いていた」と述べました。これに先立ち、「この20年間、小沢さんに大いに振り回されてきました。では、小沢さんがいなければ日本の政治が動かなかったかというと、そんなことはない。小沢さんがいる限り、日本は振り回し続けられる」として、「トータルに必要なことかといえば、水沢に帰る・・・今は奥州市っていうのかな・・・水沢に帰ることだ」と語りました。

 政治改革を実現する若手議員の会は、今でも日本政治の中核で、政権交代時には、河村建夫官房長官(当時)から岡田克也さんと政調会長(直嶋正行さん)が引き継ぎを受けました。危機管理などを中心に、おそらく報償費に関する情報の引き継ぎも受けたと私は想像しています。河村さんは一度も自民党から出ず改革にまい進。一方の岡田さんは“あの日”(宮澤解散当日の1993年6月18日)から一度も自民党にも戻らずに、連立も組んだことがありません。簗瀬進さんもそうです。岩屋さんは河村さん同様、自民党で頑張ってきました。岡田さんは新進党時代に「一度裏切った人間は二度裏切るということを覚えた」と語っています。岡田さんが石破さんのことに言及することは滅多にありません。

 松野頼久さんらから「小沢問題」で直談判を受けた後、宮澤邸夜討ち事件について、岡田さんが月曜日(12月13日)の記者会見で述懐しました。私(宮崎信行)が質問しました。

 「宮澤さんのご自宅に押しかけたことは私の懐かしい思い出の1つですが、そのときに宮澤さんは、夜、突然お邪魔したにもかかわらず、大変丁寧に応対していただきました。そこは、私は、非常にいい、強く印象を持ちましたので、なるべく今日も、最初は院内で、と連絡してあったのですが、皆さん党本部にお集まりだということで、いったん私は院内に行ったのですが、党本部に戻りましてお話をさせていただいたということです。なかなか宮澤さんのような応対になったのかどうか、しかし、誠実に私は私の考え方をお答えさせていただいたつもりです」。

 宮澤さんは、自民党を象徴する人物です。田中角栄さんを自民党の象徴のようにイメージしている方は多いでしょう。私もそう思ってしまいますが、実際には、角さんは自民党には極めて異質な存在だったから、幹事長・総理・総裁になれたのでしょう。それに比べて、二世議員で、東大法卒で、官僚出身で、地方選出で、日米講話交渉の密使だった池田勇人蔵相の秘書官として、ワシントンで英語を駆使した、宮澤さんが自民党の象徴です。

 自民党と言えば、民主党と違って、政調が事前審査制なので、部会がもめて、当選3・4回生の部会長がまとめきれず、先輩が大声で「部会長一任!」「部会長一任!」と叫んでまとめることがありました。安倍晋三さんは自民党厚労部会長時代に、先輩の衛藤晟一さんに助けてもらい、落選後の参院院替えに助力しました。

 私は月曜日、「幹事長一任」になったと聞いて、古き良き自民党の薫りを感じました。

 古き良き自民党と、インターネット生中継の記者会見でそれを発表する先進性。岡田克也という男にそれが併存し、そして矛盾していない。岡田克也のアウフヘーベンに、安定感をつかみ取りました。まあ、石破さんも頑張ってください。


ついに米中巻き込みに成功 COP16カンクン合意 25%削減へ 福山・岡田法案の方向性が世界に認められる

2010年12月17日 11時18分19秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]福山哲郎さんと岡田克也さん。

 ことしの12月31日は金曜日ですので、それまでに小沢に新党を作られたら、来年の4月20日の政党助成金支給日前に小沢の金庫が空っぽのうちに解散しないといけなくなるかもしれないので、政倫審は年明けかつ通常国会前というタイミングになるでしょう。年明けと同時に、公明党さん、社民党、国民新党、自民党、日本共産党が総攻撃に出てくださることを期待しています。

 さて。

 COP16がメキシコのカンクンで開かれました。

 カンクンというのは、すてきなリゾートだそうで、1990年代後半には、日本人の新婚旅行ブームになったところです。

 私は1996年の冬、今は読売記者をしている大学の同級生と2人で、ワシントンD.C.でホワイトハウス、ニューヨークで証券取引所を見物したその脚で、格安周遊券(4都市で10万円)を使って、メキシコ合衆国に行きました。首都・メキシコシティーの、スペイン語の街の旅行代理店で、フォルクスワーゲン製のタクシーで、メキシコ国立博物館に行ったことがあります。そこで、日本人夫婦と出くわして、「カンクンに新婚旅行に行った帰りで、乗り継ぎでメキシコシティーに来たんですよ」とのことでした。奥さんは、ソバージュがかかった日やけした、歌手の小野リサさんに似た感じの方で、同じ日本人でもいろいろな人生があるな、と感じました。その後、日本語の看板を掲げた旅行代理店に立ち寄り、応接スペースにあった産経新聞の1面トップの横見出し「さようなら司馬遼太郎さん」に絶句。その一方、毎日新聞1面トップの「羽生善治さん史上初の7冠王」という記事にも、日本の明るい未来を感じました。ともに1996年2月上旬のニュースです。

 カンクンで開かれた国連気候変動枠組み条約、あるいは地球温暖化防止条約という読みかえも可能なようですが、COP16で、「カンクン合意」が採択されました。さあいよいよ、画期的なことに、
アメリカ、中国らも、二酸化炭素などの温室効果ガスの削減目標のチームに参加することとなりました。

 すなわち、私たちは米中の巻き込みに成功しました。

 京都議定書が単純延長となると、日本がこのゲームで、“自爆”することになりかねず、公明党の斉藤鉄夫元環境大臣も懸念していました。

 日本代表の松本龍・環境大臣が「日本は京都議定書の単純延長は認められない」と初日からハードルを上げ、EUからは「やりにくい」とたしなめられたようですが、結果としては松本さんの強気が、米中およびインドを巻き込んだ、「カンクン合意」というペーパーを採択できました。

 松本龍さんの地元は福岡1区、博多です。歴史の授業ではなぜかやりませんが、博多の港というのは、二度目の蒙古襲来で、火を付けられ、焼け落ちました。わが国で、中国の王朝・政府(あるいは中原=ちゅうげんというのでしょうか)に火力で攻撃され破壊された街は福岡・博多だけです。なんで教室で教えないのでしょうかね、ひょっとして中国が共産・社会主義で、共産・社会主義者がが歴史教師として教壇に立ったり、大学教授として教科書を執筆しているのではあるまいか。

 話がそれましたが、その強気の松龍も、「昨年の衆院選のマニフェストを読んだときには野心的すぎるかな」と大臣就任会見で語った、「2020年までに90年比25%削減」の福山哲郎さんと岡田克也さんの2008年通常国会に提出した「地球温暖化対策基本法案」の方向性が現時点では、おおむね正しい方向性だったということが明らかになったといえるでしょう。福山さんはスリランカ、岡田さんはアメリカ東海岸(ハーバード)で修行した経験があります。

 よく、岡田の考えは分からないと言われますけどねえ~~(^_^)v

 福山・岡田法案改め、内閣提出「地球温暖化対策基本法案」を2011年、第177通常国会で成立させましょう。

 世界はまだまだ日本に期待しています。科学・技術とイノベーション。日本はしっかりと人と施設と機器と法律と予算を備えなければなりません。私をはじめ数学が苦手な人間も応援したいし、環境技術や、あるいはバイオ産業、あるいはスポーツ科学なんかも強いですが、その周辺では、例えば清掃員、警備員、事務員の仕事だって、成長分野です。興味をもってこういった分野の情報に触れてほしいと思います。アニメ、マンガ、ゲームなどコンテンツ産業は天井にぶつかっているように、私には感じられますが、環境・バイオ・スポーツ科学はたっぷり稼げますよ。日本はまだまだ大丈夫だよ~~ん(^_^)v

[福山哲郎さんのメールマガジンより引用はじめ]

テツロー日記 2010年12月11日 第403号
「COP16合意文書採択されました」

メキシコ(カンクン)で開かれていたCOP16は、現地時間の未明(日本時間18時頃)に文書が採択されました。

今回の合意は、日本の原則的な立場を守りながらも、米中を含め包括的な国際枠組みに向けた重要なものとなりました。
各国の代表団が本当に厳しい交渉をされた結果だと思います。来年、再来年につながる会議となり、とても喜び、ホッとしています。

昨年のCOP15では、コペンハーゲンで、寝ずの交渉に携わりましたが、今年は東京からとなりました。
現地の代表団・スタッフの皆様の尽力に敬意を表します。

[福山哲郎さんのメールマガジンより引用おわり]

 asahi.com(朝日新聞社):ポスト京都へ新体制 米中に対策迫る決議 COP16 - 国際
 【カンクン(メキシコ)=須藤大輔】2013年以降の地球温暖化対策を議論する国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP16)は11日未明(日本時間同日夜)、新たな対策の骨格を「カンクン合意」として採択し、閉幕した。京都議定書を離脱した米国や、温室効果ガスの削減義務を負っていない中国、インドなどの新興国にも、一定の削減を初めて求める。主要排出国が参加する新しい国際体制が動き出す。

 議長国のメキシコが最終日の10日夕に示した決議案を、各国が受け入れた。先進国は削減目標を掲げ、率先して対策に取り組む。途上国には経済発展で排出量が増える余地を認めながら、抑制に向けた計画づくりを促す。削減の取り組みを国際的に検証する制度の設置や、途上国支援の基金創設なども盛り込んだ。

 対立が目立った昨年末のCOP15から一転、各国は妥協を重ねて合意にこぎつけた。

 COP15で主要国首脳がまとめた「コペンハーゲン合意」は、一部途上国が「文案作成の過程が不透明だ」と反発、採択できずに終わっている。今回、議長国メキシコは神経をとがらせ、徹底的な正攻法で会議をとり仕切った。「秘密文書もなければ秘密会議もない」。エスピノサ外相はこう繰り返し、合意文書の作成を進めた。

 各国の思惑も妥協に結びついた。

 新国際体制づくりで最大のネックは、2大排出国の米国と中国の対立だった。削減の検証制度創設を主張する米国に、中国は「主権を侵す」と反発。仲介に奔走したのがインドだった。この問題で主導権を握ろうと独自の検証制度を提案し、中国を説得。会議終盤、中国は制度の受け入れを表明した。関係者は「中国は前回のコペンハーゲンで、かたくなな態度をとって批判を受けた。今回は批判を避けたかったのだろう」とみる。

 各国の大臣も「妥協なしに成功はない。妥協なしに、我々の生存はない」(ノルウェーのソルハイム環境・国際開発相)と調整を重ね、合意への機運を高めた。採択の後、メキシコのカルデロン大統領は「私たちは希望を取り戻した」と宣言した。

 一方、新たな枠組みを新議定書など法的拘束力がある形にするかは、今回の合意に明示されず、議論は来年末に南アフリカ共和国で開かれるCOP17に持ち越された。日本が強く反対した京都議定書の延長も、結論を来年へ先送りした。

 洪水など異常気象が相次ぐバングラデシュの代表はクギを刺した。「これで終わりではない。私たちの生き残りをかけた交渉はこれからも続く」


第23回参院選が今の制度で行われることはありえない」と断言 岡田幹事長、参議院の制度を抜本改革

2010年12月17日 10時55分31秒 | 第23回参院選(2013年7月)二番底

 民主党幹事長の岡田克也さんは2010年12月16日の記者会見で、第22回参院選で鳥取県民と神奈川県民の1票の格差が「違憲」あるいは「違憲状態」とする高裁判決(ただし「合憲」1つ)が相次いだことについて、

 「違憲、違憲状態という判決が引き続いて出ているということはやはり国会議員としては極めて恥ずかしいし、かつ民主主義の最も基本である投票する権利にかかわる問題だけにこれは真摯に受け止めなければいけないと思います。したがって、参議院だけでなく、衆議院もそうなんですが、一票の格差が合理的な範囲にとどまるように、なんといいますか、きちんとした対応しなければならない。参議院については1県に最低1議席としている制度に限界がある」

 と述べ、第23回参院選について、「次の参院選が今の制度のまま行われることはありえない」と断言しました。


【女心と公明党】山口さん、公明党・民主党の社会保障のあるべき姿を民主党と協議機関を提案

2010年12月16日 06時58分06秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 現在中国訪問中の公明党の山口那津男代表が出発前の13日、斉藤鉄夫さんの会合で、「まず政府・与党が自らの考えを明らかにして野党と政策協議する場を設けたらどうか。公明党は社会保障のあるべき姿を議論していこうと提案している」と述べました。

 民主党幹事長の岡田克也さんとしては、年金問題に関する3党合意を反故にされた“トラウマ”があります。とはいえ、1990年初当選時から社会保障をライフワークにしていて、1998年の伝説の第140回国会の健康保険法改正案では、野党筆頭理事として陣頭指揮に当たりました。

 岡田さんは、年金などの社会保障は政権交代のたびに制度が変わってはいけない分野なので、超党派の話し合いが必要だ、という考え。2008年12月25日付のブログでは、「こういった息の長い、国民生活を根本的に左右するような重要な制度については、政権が変わったから制度もころころ変えるというのではなくて、しっかり骨太の議論を国会で行なうべきだと考え、これは政党間であまり争いの種にするよりは、きちんと国民のほうを向いて協議し、合意に達するべきだと考えて、そういう議論の場」が必要だ、と語っています。

 ぜひ、公明党と民主党による、社会保障議員連盟を作ってほしいと考えます。有志で立ち上げてもいいのではないでしょうか。

 女心と秋の空、ならぬ、女心と公明党--移ろいやすい物の例え。公明党さん、冷たいじゃない。いつまでも思わせぶりにしてないで、仲良くしてよ~~新進党の仲間じゃないの。

 山口さんと岡田さんはともに1990年の第39回衆院選初当選で、東大法学部の同窓生。また、斉藤鉄夫さんと菅直人首相はともに東京工業大学の同窓生。東工大出身者は衆議院にこの2人しかおらず、また理学部応用物理学科という同じ学科の同窓生です。斉藤さんは清水建設でNASAと共同事業を始め、国立科学博物館で開かれているはやぶさ展でも、同社の月太陽光発電「ルナリング」が展示されています。また、衆院議院運営委員会理事の遠藤乙彦さんは、第177通常国会で、「科学技術・イノベーション推進特別委員会(仮称)」を設けるよう働きかけ、理事会で合意したそうです。科技特委ができたら利権がほしくて、入りたがる民主党の乞食議員がいそうな気配ですが、お行儀をよくしなければいけません。

 地方でのすみわけを前提条件として、国会内に限って公明党さんに助けてほしい。ぜひともお願いします。

現場密着が公明の誇り | ニュース | 公明党

公明党の山口那津男代表は13日、広島市内で開かれた斉藤鉄夫幹事長代行(衆院議員)の会合であいさつした。

山口代表は「公明党は国民の生活現場に最も近い議員集団だという誇りを持っている。地方、国の議員のネットワークをフルに発揮するから国民の声に応えられる」と力説。

また、民主・自民両党の「大連立」報道について、「大連立は、大きな権力を作ることで“劇薬”という側面があり、副作用も伴う」と指摘。「まず政府・与党が自らの考えを明らかにして野党と政策協議する場を設けたらどうか。公明党は社会保障のあるべき姿を議論していこうと提案している」と強調した上で、「これからも国の道を開く原動力として、地に足をつけて頑張っていく」と述べた。

岡田かつや TALK-ABOUT: 議員有志と年金改革案を発表――今後党派を超えて議論を

2008/12/25
議員有志と年金改革案を発表――今後党派を超えて議論を

今日は、年金制度の抜本改革案についてお話をしたいと思います。

年金制度については、私が民主党の代表を務めていたときに、時の小泉総理から、「こういう問題は超党派で改革論議をしよう」と、党首討論で何度か言われました。

私自身もそう考えていましたが、小泉さんが本気で言っているかというのは、政局の中で言っているのではないかという議論もありましたから、一定のたがをはめて、自民党と民主党だけではなくて、国会の場でオープンに、しかも、2005年の秋までに結論を、骨格をつくるということを小泉さんにきちんと約束させたうえで、国会に年金と社会保障制度に関する協議会(年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議)をつくり、議論をしたという経緯がありました。

私としては、まさしく、こういった息の長い、国民生活を根本的に左右するような重要な制度については、政権が変わったから制度もころころ変えるというのではなくて、しっかり骨太の議論を国会で行なうべきだと考え、これは政党間であまり争いの種にするよりは、きちんと国民のほうを向いて協議し、合意に達するべきだと考えて、そういう議論の場を設置したわけです。

ただ、極めて残念なことですが、そして、私はいまだに小泉さんに対してこの点については強い怒りを感じていますけれども、結局、協議は開始したものの、いざ開始してみると、現行制度「100年安心プラン」、これが一番いいんだと考える人たちが、自民党からの委員として名を連ね、議論は一向に進展しなかった。

そして、秋までに抜本改革の骨格の成案を得るという約束、その前の9月に突然の郵政解散・総選挙で、この話は全く空中分解してしまいました。そして、総選挙が終わったあと、小泉さんから年金制度についてきちんと議論しようという話は、全くありませんでした。

こういった経緯がありましたが、今年になって、自民党の野田毅先生、あるいは河野太郎さんとか、亀井善太郎さんとか、そういった議員の皆さんが、従来の私たち民主党の考え方にかなり近い、つまり、最低保障年金(基礎年金)の部分については税方式でという考え方を発表され、自民党の中でも結構賛同者がいるということがわかりました。

そういったことを踏まえて、今年の6月から、民主党側からは、私と枝野幸男さんと古川元久さんと大串博志さん、そして自民党側からは先ほど言ったような皆さんに参加をしていただいて、有識者も含めてこの12月まで議論を重ねて、今回合意に至ったということで、記者発表させていただきました。

基本的に、民主党の従来からの考え方(一元化、税方式化など)をベースにしながら、それを具体的にさらに掘り下げたと言えると思います。この年金制度の抜本改革案、私たちはこの制度に非常に自信を持っています。

いま申し上げたこと以外にもう1つの大きな特徴は、過去債務、これは将来の世代に負担になる、すでに約束してしまった、ある意味での保険料の裏づけのない、積立金の裏づけのない、約束した支払い、純債務、これをきちんと解決するということを同時に主張しています。実はこの点を最も議論をいたしました。

270兆円の純債務を別勘定にして、これはこれできちんと返していく、そして同時に、年金制度については、できれば20年くらいで、つまり、あまり長くの時間をかけずに新しい制度に完全に移行していく。1階部分は税で、そして、2階部分は積立方式で、こういった具体案を作りました。

これから党の中でも議論を大いにしていきたいと思いますし、いろんなメディアや連合や、あるいは経済同友会や経団連といったところにもご説明をして、これが1つの我が国の年金改革のたたき台と言いますか、骨格になっていけばいいなと感じているところです。

なお、記者会見を今日したわけですけれども、いろんな人がこれは政界再編とどういう関係にあるのかという、極めてつまらない質問をしました。それとは全く関係ありません。

自民党も民主党もこの案について、多くの方が賛同をいただけるということであれば、それを党の政策にして、そして、与野党が一緒になって年金改革をやっていけばいい。それが私の思い描いていることで、政局的なつまらない思惑は排して、国民の立場に立ってしっかりと議論していきたいと思っています。

※超党派による年金制度改革に関する提言「いまこそ、年金制度の抜本改革を。」は岡田かつやホームページに掲載しています。下記のファイルからご覧いただけます。

http://www.katsuya.net/upload/pdf/nenkinseidokaikaku.pdf


岡田克也幹事長の実弟の高田昌也・東京新聞政治部長の講演に行ってきました

2010年12月15日 23時38分21秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]高田昌也さん、『岡田卓也 私の履歴書』(日経新聞出版社)の口絵から

 きょう(2010年12月15日)は、岡田克也さんの実の弟である、高田昌也・東京新聞政治部長の講演に行ってきました。

 初めて見る、昌也さんは、紺の三つ揃えスーツに、太い縁のメガネ、濃い赤の水玉のネクタイ。謹厳実直そのもの。

  講演会は、東京都選挙管理委員会と荒川区選挙管理委員会の共催で開かれた入場無料・先着順の年1回の選挙への関心を啓発する趣旨のイベントのようです。私は当該自治体には住んでいませんが、朝の散歩中に掲示板で見かけて、この講演のことを知り、楽しみにしておりました。時系列で説明する緻密な講演を聴かせてもらって、頭がスッキリし、僕の政局感に関する迷いは吹っ飛びました。

  

 昌也さんは講演の時間をみっちりとられたので、質疑応答の時間が短かったのですが、私は「高田先生は岡田幹事長の実の弟さんですが、お兄さんのことをどう思いますか?」と聞きました。苗字が違うことと、ご存じない方からは、驚きの声が上がりました。講演中に「岡田幹事長」という言葉は何度も出ていましたが、ここまで兄弟であることへの言及はありませんでした。昌也さんは、うーんと体をひねりながら、答えを熟考し、「最近ネットとかで書かれているんですよね・・・」と嫌そうな表情を見せました。そのうえで、「(世間で)言われるとおりの堅物です」とのことでした。東京新聞政治部記者の友達の一人にメールしたら、「ははは・・・その質問は私たちもできないね!」ということでした。

 ただ、岡田ファミリーの一種、物の言いにくさというのはどうなんでしょうかね。私のような一般聴衆もみなさんは、小沢問題や、東京新聞の社論、政治に希望が持てない、防衛力の増強すべきだ、などバンバン発言していました。そういう時代です。岡田さんに公認権と支部交付金分配権を握られている民主党議員ももっとバンバン意見してほしいですよね。

 高田昌也(たかだ・まさや)さんは、岡田卓也・イオン創業者の3男で、1957年(昭和32年)三重県生まれ。明治大学政経学部卒業後、中日新聞社入社。名古屋本社整理部を振り出しに、1986年、東京新聞・社会部で警視庁を担当。1989年、東京新聞政治部に配属。その後、名古屋経済部に転勤後、1992年に東京政治部復帰。首相官邸担当、自民党キャップ、野党キャップを歴任し、1999年東京政治部次長。ことし(2010年)から政治部長。

 岡田克也さんは高田昌也さんからみて、4歳上の兄。昌也さんは末っ子ということになります。私、思ったんですけど、昌也さんの講演そのものが、政局を話しながらも、政策も入っていて、昌也さんも十分堅物のように思えました。お互い堅物で意見があわないのでしょうか(笑)。ですから、兄弟であり、よきライバルということでしょうね。

 お母さんの実家、三重郡菰野町(こものちょう)の高田家に跡取り息子がいないために、昌也さんが養子縁組して長男となっており、「高田」姓になっています。

 もうすぐスタートする2011年は辛亥革命100周年です。清王朝末期の西太后を田中裕子さんが演じている『蒼穹の昴』がNHKで放送されていますが、その清王朝を倒したのが孫文らの辛亥革命です。中国にとっても、台湾にとっても大事な年です。高田家には辛亥革命をなし遂げた孫文が泊まったことがあります。孫文は自見庄三郎・金融担当大臣の親族の家に泊まったこともあります。孫文を支えた日本人としては、宮崎寅蔵(宮崎滔天)が有名です。日本に政権交代ある二大政党デモクラシーを根付かせようとしている「岡田克也の宮崎滔天」になれたらいいなと、僕は思っています。


民主党の接着剤・民社協会が小沢一郎さんと“北上夜曲”で手打ち 分裂回避の縁の下の力持ち

2010年12月14日 13時10分53秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意
 民社協会(会長=民主党衆院議員の田中慶秋さん)とは、民社党解党→新進党結党のときの残余財産を引き継ぐ、国会議員30人、地方議員、労組関係者、熱烈支持者などが加盟する各県の民社協会の全国組織です。新生党の残余財産を受け継いだ「改革フォーラム21」は小沢さんが独り占め。公明党の残余財産を受け継いだ「(地方政党)公明」は「公明党(New Komeito)」と合併していますが、民社協会は今も仲良く5000人もの会員数を誇る友愛の政治団体です。自由主義経済という大前提に立った企業で働く労働組合員と国政とのパイプ役です。民社協会は、春日一幸・民社党委員長らが果たせなかった政権を1年4ヶ月担うという最長記録をきょうも更新しています。

 9月の代表選で、「協会員は各人の良識にもとづく自主投票」とし、国会議員団の大多数は菅直人さんに投票した民社協会ですが、ゆうべ幹部5人が、赤坂で小沢一郎さんとカラオケを楽しみました。

 これに先立ち、岡田克也幹事長が小沢一郎さんの政倫審出席について、役員会の一任を取り付けました。が、もちろん民社協会の日程は以前から決まっていたとのことで、「9月の代表選のしこりの手打ちを、小沢君と年内にやっておいた方がいいだろう」(民社協会首脳)ということで12月の国会閉会後の12月13日になったそうです。ぜひ、こういったところは有権者のみなさん、TV、新聞報道を見る際に留意していただきたいと思います。

 それで、民社協会がホームページで調べたところ、小沢一郎さんは、地元にゆかりのある『北上夜曲』という歌をカラオケで歌うのが好きだということが分かり、『北上夜曲』をヒットさせた往年の人気ユニット、「多摩幸子・和田弘とマヒナスターズ」の多摩幸子さんが経営するお店が赤坂にあるので紹介する、という名目で、この日のお店が決まったそうです。

 14日付日経新聞によると、小沢さんの国会招致に反対する活動に、衆院議員の古本伸一郎さんが名を連ねていて驚きました。300選挙区でもっともテッパン選挙区である愛知11区(豊田市など=古本さんはトヨタ自動車出身)の民社協会のホープが、小沢系に名を連ねているということは、岡田幹事長と小沢陣営が対立して、党分裂が懸念される事態になっても、古本さんと、その情報を受けた民社協会が接着剤としての役割を担うということだと、推測します。民社協会首脳は中野寛成・元衆議院副議長が「(鳩山代表-)中野寛成幹事長-岡田幹事長代理」、川端達夫前文部科学大臣が「岡田代表-川端幹事長」というように、民社協会の幹事長経験者はともに、岡田さんと支え合う関係にありました。縁の下の力持ちとして、全面的に信頼できそうです。ただし、民社協会は、ゆうべの会合のように、カラオケを歌ったり、おかまパブに行ったりするとっても社交的かつちょっと脇が甘い人が多いところがありますが・・・その辺は岡田幹事長と枝野幸男幹事長代理がしっかりやるでしょうから、一任すれば安心して年を越せます。

 国交副大臣の三井辨雄さんや、農水政務官の松木謙公さんら一新会会員も、北海道民社協会の推薦で、民社協会国会議員団に名を連ねています。松木さんは、9月の民社協会の会合で、「どのような選挙結果になっても、協会員でいさせてください」と深々と頭を下げました。会員数5500人の民主党最大グループである、民社協会が粘り強く党分裂を回避してくれそうです。

 さて、以下の動画は初公開。9月の代表選の際に、小沢一郎候補が、先輩幹事長の中野寛成さんに支持をお願いしたようすです。この時点で、小沢候補はやや劣勢、民社協会は支持候補を決めていない段階です。

 この動画は人生経験が豊富な方や、映画(テレビ不可)を数百本見てきた方に限って見ていただきたいですね。候補者が頭を下げるのは当然です。当然ですが、「剛腕」と呼ばれる小沢さん、先輩幹事長であるカンセイさん。民社協会の存在感の大きさを伺わせる一シーンです。



 下は「北上夜曲」です。これは共有動画、他人さまのYouTube動画を参考のため、貼り付けました。


岡田幹事長一任で党分裂回避

2010年12月13日 16時54分42秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意
取り急ぎケータイメールからgooブログに投稿しました。岡田幹事長は『小沢問題』の幹事長一任を取り付けました。年内(新党)、通常国会召集(予算案審議入り)を見据え、強制起訴手続きを横目に見ながら、土俵際へ寄りきって行きます。党分裂の懸念について私が質問したところ、『ご心配いただく必要は全くありません』と断言。岡田さんにしては珍しくワンフレーズ!57歳になっても人間って成長するんですね(笑)

「50数年ぶりに獲得した政権交代という“宝”をドブに捨てるな」と語る土肥隆一さんの肩書きは?

2010年12月11日 09時48分07秒 | その他

[写真]土肥隆一さん

 「民主党・無所属クラブ」所属の衆院議員で、衆議院政治倫理審査会(政倫審)会長の土肥隆一さんが、12月9日付でメルマガ68号を発信しました。

 土肥さんは「第176回臨時国会がようやく終了した。うんざりと言った気分である。補正予算は衆議院優位により成立はしたが野党の、参議院の問責決議の連発と個人攻撃に終始した」と本音をのぞかせました。

 そして、良識の府「参議院」での野党の問責決議連発に対して、「政府の瓦解を狙っているのだろうが、それよりももっと大事な政治的損失」があると指摘しました。私もその通りだと思います。

 そのうえで、「昨年の8月総選挙において50数年ぶりに獲得した”政権交代という宝”をドブに捨てる」野党の行為は許されないとして、

 「民主主義の成熟度は、政権交代可能な政治状況を国民がいつも保持するところにある」として、政権交代ある政治を守り抜く覚悟を示しました。そして、

 「皆さんはその政権交代の政治的変革の実をまだ味わっておられない」と達観した見方を示しながら、「もう少し時間をいただきたい」と“最後のお願い”でメルマガを締めくくりました。


 土肥隆一さんは1990年第39回衆院選初当選のいわゆる「岡田世代」。土肥さんは日本基督教団(にほんキリストきょうだん)の牧師さんです。カトリックは「神父」、プロテスタントは「牧師」ですから、土肥さんはプロテスタント系の教会の牧師さんということになります。政権交代をかけた第45回衆院選の兵庫3区では対抗馬の小泉チルドレンのタマが比較的いいとされていたことと、土肥さんが当時70歳ということで、選対に懸念があったようですが、日常活動の活発さで得票率50・0%で勝ち抜きました。目標とする人物はマーティン・ルーサー・キング牧師。

 与党になったということで、このブログも時々「幹事長経験者によると~~」という書き方がどうしても増えてしまっていますが、土肥さんも「幹事長経験者」。1998年4月に民主党の合流した4党派の一つである「民主改革連合(民改連)」で、連合の支持を受ける無所属的立場の議員たちと行動しており、幹事長を務めました。そして、政権交代可能な政治のために、民主党結党大会に参加したのです。代表だった参議院の笹野貞子(ささの・ていこ)さんは民主党初代副代表(4人)の一人となりました。笹野参議院議員の跡は福山哲郎官房副長官が継いでいます。議席数に関係なく、幹事長を務めたという経験はすごいと思います。また政権交代すれば、野党として一丸となるので、「幹事長経験者によると~~」というブログの書き方はしなくていいと思いますが、僕もそんなところで、与党としての政権としての重荷を背負うことの大変さを、応援団ながら感じるところです。

 土肥さんは福祉の専門家で、当選前から施設の設立・経営の経験があるんだと思います。衆院でも、厚労畑が長く、健康保険法改正案の長時間審議で伝説となった、1998年第140回通常国会の厚生委員会にも所属しました。このときのメンバーは、与党側が小泉純一郎厚相、町村信孝委員長、津島雄二筆頭理事で、野党側が岡田克也筆頭理事、山本孝史次席理事、委員に中野寛成さん、枝野幸男さん、坂口力さん、そして土肥さんという宝石箱のようなメンバーでした。

 第39回衆院選はベルリンの壁崩壊直後ということで、社会党が方針転換を迫られ、弁護士の細川律夫さん、仙谷由人さん、筒井信隆さん、議員秘書の松本龍さん、農協の鉢呂吉雄さんら民主党・無所属クラブのエース格が出ています。広島市長に転出した秋葉忠利さん、参議院に転出した岡崎トミ子さんも岡田世代です。おたかさん(土井たか子)ブームの社会党に危機感をいだいた対する自民党も、岡田克也さん、河村建夫さん、石原伸晃さんのほか、参議院に転出した増子輝彦さんら、久しぶりに非世襲議員が大量に初当選しました。松本さんは祖父(と父)が著名な参議院議員、河村さんは県議としては世襲、石原さんは別選挙区で父が衆院議員でした。

 輿石東さん率いる参議院のようなすばらしい良識の府と違って、衆議院は政局の院です。政局の院は世論に敏感で、ダイナミックに時代を前に進めなければいけません。土肥牧師も政局にはかかわっていて、長年「国のかたち研究会」の会長をしています。新聞では、菅グループと表記されている政治団体(総務省届出済み)のことです。なぜ国研会長の土肥さんが菅総理から、官邸入りや政務三役入りを命じられないのよく分かりませんが、政倫審会長として、「われわれは懸命に国民の期待に答えようと励んでいるのである」(メルマガ)との決意表明をぜひ実践してほしいものです。

 政権交代ある政治を阻害する者。それは過去に、3桁の議席を持った野党第1党を一方的に解党したり、選挙による有権者の選択に基づかない保保連合に走ったり、有権者のチェックが行き届かない12月に政局を仕掛ける師走政局男の存在です。すなわち小沢一郎さんです。

 土肥さんは、昨年、「岡田さんを支える“95の会”をつくりたい」と呼びかけましたが、岡田さんはやさしく「ノー」と言いました。政権交代ある政治における与党内権力システムを見通すところまでは、なかなか難しいかもしれませんが、政権交代ある政治をめざす志は菅、土肥、岡田の3人は共有しています。

 民主党・無所属クラブが昨夏の信頼感を取り戻せるように、土肥さん、国難ですから、泰然自若として、どっしりと構えてください。頼んます。

[土肥隆一さんのメールマガジンから全文引用はじめ] 

どい隆一メールマガジン 68号 2010/12/09

国民の皆さんの期待に応えるために
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 第176回臨時国会がようやく終了した。
うんざりと言った気分である。補正予算は衆議院優位により成立はしたが。
野党の、参議院の問責決議の連発と個人攻撃に終始した。
今年の夏の参議院選挙で与野党が逆転しいわゆる「ねじれ国会」となった。
我々はたとえ参議院で不利であっても、国会は議論の場であり、できる限り誠意をつくせば、
修正協議も含めて結果は自ずから落ち着くものと考えてきた。

 完全に膠着してきたのは「尖閣諸島」事件がきっかけとなった。
首相は海外におり、仙谷官房長官が事件処理に当った。その処理は必ずしも上出来とはいえないが、
日本が議長国であるAPEC開催を直前にして早期に解決しようと考え、海保が撮ったビデオを非公開にしたのに、海保の中では、生の映像は全部(?)流れ出るという始末であった。
そこで国家の、つまり政府の「危機管理」が問われ、そのやり取りの中で、仙谷氏の発言や態度が問題となり、
仙谷氏の出席する会議には一切出席しないということで、
12月3日の国会締めくくり本会議にも欠席し、仙谷氏が大臣席を降りてから、ぞろぞろと議事場に入ってくるという
まことに陳腐な風景が見られたのである。

 仙谷氏に個人的に問題があるのではない。私も長い付き合いのある彼の人物を高く評価している。
大変優れた政治家でもある。識見、能力において民主党の中でも卓越した人物である。
そのユニークさ、個性の故にその発言が野党を刺激した。実は「この男には敵わない」と感じたのではないか。
官房長官はよく総理の女房役というが、稀に見る官房長官像と言えようが、やや出過ぎた女房とでもいうか、出過ぎたことは否めない。
しかし個性の範囲であり、彼を更迭する理由はどこにもないと思う。

 野党は、法務大臣、国土交通大臣と問責決議(参議院だけの辞職要求)を立て続けに出し、
それは政府の瓦解を狙っているのだろうが、それよりももっと大事な政治的損失を失わせるものと考えている。
つまり昨年の8月総選挙において50数年ぶりに獲得した政権交代という「宝」をドブに捨てるものと考えるからだ。
民主主義の成熟度は、政権交代可能な政治状況を国民がいつも保持するところにある。
政権交代から1年半。皆さんはその政権交代の政治的変革の実をまだ味わっておられないと思う。
もう少し時間をいただきたい。われわれは懸命に国民の期待に答えようと励んでいるのである。

土 肥 隆 一
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[土肥隆一さんのメールマガジンから全文引用終わり]


茨城県議選情勢 民主党大苦戦、惨敗なら小沢一郎氏の政倫審招致難しく

2010年12月10日 07時38分42秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意
[写真]小沢一郎元代表と、民主党幹事長の岡田克也さん(各々の公式ホームページ)
 
 あさって(12日)投票の茨城県議会議員選挙で、民主党が大苦戦を強いられており、週明けの13日月曜日の民主党役員会での衆院側役員による「政倫審での小沢一郎氏閉会中審査」決定方針に暗雲が立ち込めています。

 茨城県議会は定数65。

 現有6議席に対して、23人の候補者を大量擁立した民主党は候補者の知名度不足に加えて、男性候補者によると、「(民主)党への風当たりはまるで突風のようだ」と語っています。茨城県に独自の取材網を持つ、東京新聞(中日新聞)が10日付第2社会面で伝えました。先日の沖縄県知事選の出口調査では、「期日前投票者の12%が公明党支持」という結果が出て、同党が期日前投票にていねいに有権者をお連れしていることが分かりました。民主党茨城県連がそういった期日前投票への動員が十分にできていない、との指摘も出ています。

 一方、現有45議席に対して、公認36人・推薦8人を立てた自民党。9日、水戸市で、石原伸晃党本部幹事長が演説し、民主党が県内全36選挙区にくまなく擁立することができなかったことをあげつらえ、「地方の大切な選挙に候補を立てると言って、できなかった」、「民主党政権を打ち破るにも、自民党の候補者を押し上げていただきたい」と元気さをアピールしました。これに対して、民主党の岡田克也幹事長は9日午後の記者会見で、「茨城県は保守王国なんです」と語り、自民党の優位性を認めました。

 なお、公明党は4つの選挙区に立候補。県都・水戸市と、日立市、土浦市、つくば市。このうち日立市は、民主党の大畠章宏経産相の地元。茨城県は公明党の山口那津男代表の出身地で、茨城県本代表を石井啓一・党本部政調会長が兼ねており、茨城の動向は国政公明党に伝わりやすい状況にあります。公明党は統一地方選で「マイ獲得運動」と名付け、現職議員が自分の手足を使って、創価学会以外の支持者を獲得して踏ん張るよう意思統一しています。とくにつくばエクスプレスの開業で人口構成に変化がでているつくば市などの票の出方により、通常国会での国会議員団の行動にも影響を与えそうで注目されます。

 ところで、「いばらき」ですが、以前東京で乗ったタクシーの運転手さんが「私は、いばら“ぎ”の水戸の生まれなんですよ」と言うので、「あれ、いばら“ぎ”ではなく、いばらきじゃないですか?」と問い返すと、「どうなんでしょうかねえ。私なんか子供の頃からいばら“ぎ”って言ってますけどねえ」と言われたことがあります。御三家の水戸藩はかなり北の方にありますから、県内でも少し発音が違うのかもしれませんね。

 ただ、千葉・茨城県境の利根川の橋には「ようこそいばらきへ」とやたら平仮名がデカイ看板が立っています。

 岡田幹事長の9日昼の記者会見では、「いばら“ぎ”」と発音していたように思えました。もしも、発音が違えば、茨城県の有権者の方、県連、連合地協の方は岡田さんにそれを話して、岡田さんを裸の王様にしないようにしていただきたいと、常磐線方面を向いながら、お願いしたい気持ちです。

 茨城県議会選挙は、歴史的経緯からも、クリーンなデモクラシーをめざした戦いです。「閣僚の失言などで、何の罪もない候補者がご批判をいただいている。申し訳ない」と渡辺周・選対委員長が8日夜、東海村の薬局前でマイクを握り、おわびした、と前出の東京新聞は伝えています。同村では、わが国で初めて老朽化した原子炉の解体作業が始まっていると思います。地元のことはよく分かりませんので、情報がおかしければ、コメント覧などでご指摘下さるか、ないしはご容赦ください。原子炉の解体作業は慎重さと世論の理解が必要です。菅直人代表(総理)と、そして、岡田さんのためにも、この選挙への、ご理解をお願いします。

106人立候補へ 県議選3日告示:茨城新聞ニュース

106人立候補へ 県議選3日告示
 
自民、民主の攻防焦点

任期満了に伴う県議選(定数65)が3日告示される。36選挙区の立候補予定者は106人。政権交代後初めての都道府県議選で、地方での勢力伸長を目指し過去最多の候補を擁立した民主党と、県議会「一強」体制を堅持して政権奪還へ攻勢に出たい自民党との攻防が最大の焦点。8選挙区は無投票の公算が大きく、9日間の選挙戦に突入するのは28選挙区となる見通しだ。各党は来春の統一地方選や次期衆院選の行方を占う前哨戦と位置付け全力で臨んでいる。12日に投票、即日開票される。

立候補者数は前回2006年の99人を上回り、02年と同数になる見通し。内訳は▽現職51人(前回比7人減)▽元職2人(1人増)▽新人53人(13人増)で、平成最多の議員13人が退任する世代交代を受け、新人の挑戦が目立つ。

党派別の公認候補者は▽自民36人▽民主23人▽公明4人▽共産5人▽みんなの党3人▽無所属35人(うち3人は議会会派・自民県政クラブ)。改選後の会派入りを前提に自民は無所属8人、民主は同1人を推薦している。

民主は20選挙区で計24人(現職5、新人19)を公認・推薦し、うち日立、水戸、土浦、筑西の4選挙区で候補者2人を擁立した。国政レベルから吹き降ろす逆風が強まる中、11人中6人が当選した前回から議席をいくつ伸ばせるかが焦点。

自民は引退議員の後継を推薦としたため、公認は前回49人から大幅減。公認・推薦計44人(現職35、元職1、新人8)が全員当選しても現有45議席に一つ足りず、選挙後に無所属当選者の会派入りもにらんで現有議席の確保を目指す。

民主、自民の一騎打ちは4選挙区、競合は14選挙区に上る。

県議選初参戦のみんなの党が議席を獲得できるかも注目。守谷市区に自民からくら替えした現職1人、取手、牛久の2選挙区に新人2人を擁立した。

前回20年ぶりに4議席を確保し代表質問権を得た公明党は、前回と同じ日立、水戸、土浦、つくばの4選挙区に擁立した現新4人の全員当選が至上命題。

共産党は水戸、つくばの2選挙区の現有2議席を死守し、取手、筑西の2選挙区で議席獲得を目指す。

今県議選は「平成の大合併」に伴い改正された36の新区割りで実施。無投票が見込まれるのは、結城、下妻、高萩、鹿嶋、潮来、かすみがうら、鉾田、猿島郡の8選挙区で、前回の10選挙区を下回りそう。結城市区は24年ぶり、高萩市区は16年ぶり。

選挙戦突入が濃厚な28選挙区のうち18区は定数1オーバーの少数激戦。前回まで10回連続で無投票の常陸太田市区は区割り変更で旧久慈郡区が加わり、自民現職2人と民主新人が2議席を争う。

一方、定数3人オーバーは水戸、行方、小美玉の3選挙区。


参議院(の一部議員)が小沢一郎さんの衆院招致に反対

2010年12月09日 09時23分29秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 8日の報道では、「民主党幹部の一人」が仙谷由人官房長官(第176国会で衆院で信任、参院で問責)の更迭を求めた、と報じられました。輿石東・参議院議員会長のことだと思います。

 また、任意団体「参院一新会」の世話人待遇の、森裕子・参院予算委筆頭理事、広野允士・元副幹事長(小沢体制)のほか、輿石さんと同じ自治労の江崎格さん、谷亮子さんら参院議員およそ10人が、岡田克也幹事長を党本部にたずね、小沢一郎氏の国会招致(衆院政倫審での3分の1以上の委員申し立てによる招致議決)をしないよう申し入れました。

 一方、小沢一郎氏は、党員である衆参議員の3分の1以上の申し立てで開催を求められる「両院議員総会」を開くよう、一新会・北辰会に伝えたと報じられています。しかし、仮に両院議員総会を早めにセットして、300人以上の議員が出席できれば、逆に、自由発言の中で、1期生から「小沢卒業」宣言が出てくるでしょう。

 岡田克也さんは、1年間外相として内閣の方に行っていたのですが、参院選総括の両院議員総会での、近藤和也さんと斉藤進さんの2人の1期生を評価していた、とされています。斉藤さんに関しては、当選前に複数回応援に行っていましたので評価が高まり、近藤さんに関しては厳しい選挙区のため、党本部の重点選挙区ではなく、近藤さんの力で小選挙区勝ち上がりを掴んだため、「あれ、あの石川3区の人、いいな」ということで注目したらしい、と岡田筋は語っています。

 このように、衆院民主党は、北辰会コアメンバーは事実上15人前後、次期衆院選小選挙区立候補のメドが立たない、いちもく会(小選挙区単独当選者)を入れてすら、コアメンバーは15人前後、まあ会員は50人となるのかもしれませんが、なのに、参院民主党のKYぶりは何なんでしょうか。

 私はさきの鈴木宗男・新党大地代表(元衆院議員、元国務大臣、元内閣官房副長官)が収監されることで、収監中の鈴木受刑者をあたかも“神格化”するような動きが出るのではないかと懸念していましたが、そのような気配はないように感じられます。

 しかし、貧しい方、病気の方、地方や過疎地の方、情報弱者の方、最近政治に興味を持った方、ご高齢の方の間で、小沢一郎さんや鈴木宗男さんが絶大な支持を誇っていることが事実です。そうすると、支持層が重なる日本共産党が触手を伸ばしてくる可能性もあるかもしれません。そして、支持層が重ならないと思われる参院民主党(の一部議員)が、うまくそれを利用してくるかも知れません。

 そういう意味では、毎年12月のクソ忙しい月に、職業政治家として政局をしかける小沢一郎さんの行為は、それ自体、クリーンさを欠いた民主政治への敵対行為に感じられます。そして、国会内、民主党内でも、衆院議員の多くが予算編成・税制改正・ごあいさつ等々に忙しい中、支持団体の代弁者としての仕事だけキッチリやれば、後は時間に余裕がある参議院の輿石会長、森議員らが、政局をバックアップするとは、まさに良識の府とはほど遠い姿です。

 ことしは、国会中継の回数も多く、関心も高かったようです。

 来年は、衆議院の中継だけ見て、ヤジが多い参議院視聴はボイコットする!という人が増えそうですね。イザとなったら、私がそういう呼びかけもしたいと思います。それは、民主党のためではなく、日本国政の安定のために、です。

 民敵・小沢一郎一派の影響力を最小限にするために、12月でみなさんお忙しいでしょうから、岡田克也の背中を押してください。これは民主党支持者に限らない。日本の安定のため、民主主義のためですから、自民党、国民新党、社民党、公明党、みんなの党・・・そして失礼でなければ、日本共産党支持者の方もご賛同いただきたい

 日本の安定と民主主義のために、民敵=小沢一郎を倒すために、

 岡田克也の背中を押しましょう!

【追伸】

 きのうエントリーは阿修羅に転載されてしまいましたが、そこからのアクセス数は少なく、小沢信者が多いとされる阿修羅の力が落ちているのかな、それとも年末だからかな、と感じました。

 また、ある民主党の1年生議員がコートを着ていないので「寒くないか?」と聞いたところ、コートを持っていないそうで、どこで買おうかなと思案していました。

民主 国会招致巡り対立激化か NHKニュース

民主党内では、小沢元代表の国会招致を巡って、岡田幹事長が国会の議決による実現も視野に調整を進めようとしているのに対し、小沢氏に近い議員は反発しており、今後、対立が激しくなることも予想されます。小沢氏は、8日夜、鳩山前総理大臣、新党改革の舛添代表らと会談し、与野党双方から、民主党内の対立が続くなか、今後の政局をにらんだ動きではないかという見方が出ています。

民主党の岡田幹事長は、8日、菅総理大臣と会談し、小沢氏がみずからの判断で衆議院政治倫理審査会に出席することが望ましいとしながらも、本人が申し出ない場合は国会での議決による実現も視野に調整を図りたいという考えを伝え、菅総理大臣も了承しました。岡田氏は、この問題が、来年の通常国会での来年度予算案などの審議の障害になりかねないとしており、今後、党の役員会で提案することも含めて検討を進めているほか、党執行部内には、岡田氏は、政治倫理審査会で議決を行う際に、反対する民主党議員を差し替えることまで考えているのではないかという見方も出ています。これに対して、松野前官房副長官は「裁判に影響することは避けるべきだ」として、国会招致は必要ないという考えを示したほか、小沢氏に近い党執行部の1人は、問責決議が可決された仙谷官房長官の辞任を求めました。さらに、小沢氏に近い議員らは、8日夜、会合を開き、「裁判で潔白を証明したいとする本人の意思を尊重すべきだ」としたうえで、岡田氏が国会の議決による招致の実現にこだわれば党の分裂につながりかねないとして、党内の結束を優先させるべきだという認識で一致しました。このように、民主党内では、小沢氏の国会招致を巡って対立が再燃しており、今後、さらに激しくなることも予想されます。そして、8日夜、小沢氏は、鳩山前総理大臣、新党改革の舛添代表、それに無所属の鳩山元総務大臣と会談しました。この中で、小沢氏は「岡田幹事長は、私や鳩山前総理大臣を遠ざけることで政権浮揚を図ろうとしているようだ。政権に協力しようとしているのに、これでは難しく、どう行動すべきだろうか」と述べ、党執行部への不満を示しました。そのうえで、4氏は「このままでは来年の通常国会が動かなくなり、国政の停滞を招きかねない深刻な状況にもかかわらず、政権からは危機感が伝わってこない」として、党派を超えて協力していく必要があるという認識で一致しました。この会談について、与野党双方から民主党内で対立が続くなか、今後の政局をにらんだ動きではないかという見方が出ています。

 


岡田さん、小沢氏の12月新党封じ込めへ

2010年12月08日 07時36分21秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]小沢一郎氏と民主党の岡田克也幹事長

 来年の通常国会に向けて、衆院での3分の2(社民党、民主党、国民新党、与党系無所属)固めを急ぐ岡田克也幹事長は、政党助成法上の基準となる12月末までの「小沢新党」(5人以上)を封じ込めるために、政治倫理審査会の委員申し立てに舵を切りました。

 きょう12月8日(水)は、衆院農林水産委員会で「閉会中審査」がありますが、政倫審も年内に「閉会中審査」で、1年の垢を洗い落として新年を迎えたい構図を描いています。

 政倫審は、民主党、自民党、公明党から幹事(理事)が出ており、委員は民主党、自民党のみ。3分の1以上の議決で招致でき、質問にはオブザーバーとして社民党なども質問できます。田中眞紀子衆院議員のときは、テレビ生中継がありました。

 政倫審会長は、政治団体「国のかたち研究会」(通称・菅グループ)会長の土肥隆一衆院議員。土肥さんは第39回衆院選初当選の、いわゆる岡田世代で、昨年5月の代表選後の打ち上げで、岡田さんを支える会「95の会」の結成を呼びかけましたが、小選挙区制における政党政治の先行きを見すえた岡田さんは、同級生にやさしく「ノー」と伝えています。

 岡田幹事長は、緊急役員会で、参院民主党の輿石東会長らが反対しても、衆院側の幹部だけで、土肥会長ら、衆院政倫審のメンバーに委員申し立て促す腹案を持っているもよう。

 小沢系政治団体の「一新会」「北辰会」の出席者が少なく、初会合で50人以上が出席した「北辰会」も実際のメンバーは15人前後との見通しが有力。しかし、衆参5人以上で新党を立ち上げられることから、選挙区を持たない比例単独議員「いちもく会」から5人程度の参加は可能なため、封じ込めを急ぎたい意向です。岡田さんはいちもく会員の中で、第46回選挙区出馬をめざして活動している数人を近く総支部長として内定したい考えがあり、その前提として、社民党・国民新党・(あるいは公明党?)の党本部・地域組織のリサーチに取り組む方針。また高年齢者については、立候補意思があるかどうか、いちもく会員から起用している幹事長補佐に情報の集約を依頼した、とされています。

 菅直人代表(首相)が衆院での3分の2の確保を優先する方向に舵を取ったことで、参院を抑える輿石氏は、臨時党役員会で抵抗した場合、参院民主党内の求心力が低下するのは必至。また、政倫審出席を拒んだ場合の小沢一郎氏の求心力低下も必至で、新党立ち上げが厳しくなる情勢。

 11月末に公開された政治資金収支報告書で、陸山会の2009年から2010年への繰越金がわずか3229万円にまで減少したことも、岡田幹事長は把握しているんだと思います。

 民主党秘書会では、平成5年(1993年)の政党助成法成立以来、毎年12月というと、師走というよりも、党分裂の恐怖月間というトラウマがあります。1997年の新進党解党を頂点とし、私も何度も一緒にため息をつきました。一緒のため息が、何人もの閣僚級ベテラン公設秘書との連帯感につながっているのですが、やはり日本国民にとっては不幸でした。12月ですから、職業政治家である小沢一郎さんを国民が監視しきれなかった面は否めず、日本の凋落につながりました。

 国会での厳然たる数字による政治が、デモクラシーです。議席数は、マニフェストよりも、予算よりも、政策よりも、人柄よりも、優先します。その冷たさが担保されて初めて、政治を国民に取り戻す、優しい政治が可能になります。

 衆議院では1議席も失いたくありません。衆院で3分の2があれば、すべての議案を衆院で再可決できるようになります。

 国民による政治のコントロールと、衆院3分の2確保による2011年政治の安定のために、これはもう民主党支持者だけじゃない、自民党さんにも協力してほしい、日本の安定のために、国民全員で岡田克也の背中を押して、何が何でも、小沢新党を封じ込めましょう。

茨城県議選「大惨敗、地方が火を噴く」…小沢氏 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 民主党の小沢一郎元代表は7日夜、都内の中国料理店で、同党の松原仁、牧義夫両衆院議員ら小沢グループの中堅議員7人と会食した。

 出席者によると、小沢氏は12日投開票の茨城県議選に関し、「民主党政権にとって勝負所だが、大惨敗すると思う。そうなれば地方が火を噴く」と述べ、菅政権は早晩立ちゆかなくなるとの見方を披露した。自身が強制起訴されることを踏まえ、「今は自分は動けないから、中堅の君たちが考えて動いてほしい。いよいよ非常時になったら、自分は日本のために何でもする」とも語ったという。

 これに対し、出席者の一人は席上、小沢氏に「今は政権を支える立場にある。『反菅』のような動きはできない」と述べ、同調はできないとの考えを示した。

(2010年12月7日22時52分  読売新聞)


代議士を育てるのは誰か? 森山浩行 【追記あり】

2010年12月06日 19時52分53秒 | 森山浩行 大阪16区

[写真]民主党の森山浩行衆議院議員(当選1回、大阪府第16区=堺市、衆院・経済産業委員、災害対策特別委員会理事、内閣委員)

 鳩山由紀夫首相(民主党代表)はその最初の国会での演説(第173臨時国会)の中で、「かつての、だれもがだれもを知っているという地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります」として、「次に私たちが目指すべきは、(略)だれかがだれかを知っているという信頼の市民ネットワークを編み直すことであります」として“誰かが誰かを知っている共同体”を提唱しました。

 その意味を、「あのおじいさんは一見偏屈そうだけどボランティアになると笑顔がすてきなんだ、あのブラジル人は無口だけど本当は優しくて子供にサッカー教えるのもうまいんだよといった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい絆」だ、と民主党政権最初の所信表明演説は謳いました。

 私は、団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーです。1971年4月生まれから1974年3月生まれと定義されています。

 団塊ジュニア、第2次ベビーブーマーである私たちは、所帯持ちは子供が2人いて「イクメン」として夫婦共同で子育てをする人が多い一方、独身で両親と暮らし、志を持って、おこがましくも「有権者を代表して国会をウォッチ」している私もいます。

 でも、この1年で感じたのは、「誰かが誰かを知っている共同体」である僕らの仲間は、「誰もが森山を知っている共同体」としてつながっているように思いました。

 民主党衆議院議員(大阪16区)森山浩行さんは1971年4月8日生まれ、私・宮崎信行は1974年3月1日生まれです。そして、それはその人が東京に居ようが、大阪に居ようが、ニューヨークに居ようが、一生変わらない。

 「誰かが誰かを知っている共同体だけど、誰もが森山を知っている共同体」。

 私は学生時代に森山さんと知り合っていて、「森山番長」のイメージが強かったのですが、政権交代後に森山さんを知った民主党秘書会員、新聞記者、同期当選の衆院議員によると、「森山さんはやさしい感じがする」のだそうです。複数の人が言っているのだからそうなんでしょう。ちなみに、彼が21歳の時から知っている私のことを、その1年後に知り合った森山さんの奥さんは「悔しい」と言っています(^_-)

 実は6月の代表選で、森山さんは、私が推した候補者でない候補者を推しており、それは森山さんは国会議員で様々な判断に基づく立場だから当然尊重していますが、そのプロセスを後になってから、報道および「誰もが森山を知っている共同体」のメンバーから知って、その時に私は「そんなスケールの小さい政治家だったのか」「何で記者出身なのにそんな簡単なことに気付かなかったのか」「3ヶ月後に定期代表選があるという政局感に欠けていたのではないか」と激高しました。すると、それはすぐに森山さんに伝わっていました。悪口は本人の前で言うのが私の信条ですが、森山代議士は超多忙ですし、その私の意見というのは、正確に本人に以心伝心で伝わっていたようです。言葉は要りませんでした。

 さて、丈夫そのもののの森山代議士ですが、2010年9月29日、最愛の母、森山由利子(もりやま・ゆりこ)さんが63歳で旅立ちました。子宮頸がんです。国会閉会で少し時間が出来たので、ファイルを整理していたら、2009年9月17日、森山浩行、初登院のときの画像が出てきました。森山さんの家族や後援者のみなさんは早朝に堺を出て、上京し、森山さんと一緒に初登院しました。そして、議員バッジをもらった森山代議士と一緒に国会見学をしたときの写真です。



[写真]そして、代議士になった当日、はしゃぐ森山浩行・衆議院議員の背中をほほえんで見つめる森山由利子さん(2009年9月17日、宮崎信行撮影)。

【追記 2010-12-19】

 お詫びと訂正です。12月6日夜の初投稿から、19日午前中まで、ここに掲示していた写真は他の方の写真でした。森山さんから指摘がありましたので、お母様の写真を探し、訂正しました。お母様、森山事務所にご指摘いただいた支援者のみなさま、森山議員、関係者各位にお詫び申し上げます。【追記おわり】

 「森山浩行を育てる集い in 東京」ということで、39歳の青年代議士を育てる役目は、有権者に引き継がれました。
 「誰かが誰かを知っている共同体だけど、誰もが森山を知っている共同体」は引き続きメンバーを募集しております。

【追記 2010-12-19】

 パーティー当日のもようを写真でご紹介します。(すべて宮崎信行撮影)

 冒頭は会議室で、「藤井裕久先生の講演」。「藤井先生の話なら聞きたいな」とパーティ券をご購入下さった方も多かったようで、営業しやすかったそうです。川端達夫議院運営委員長(前文科相)が真っ先に顔を出された後、開演後も、森山さんが初当選したときの代表である鳩山由紀夫前総理、問責決議をやられてご心労も多いと思われる馬淵澄夫・国交相、松本剛明・外務副大臣も列席しました。

 
[写真]鳩山由紀夫前総理と森山浩行さん(宮崎信行撮影)


[写真]あいさつする国交相の馬淵澄夫さん(宮崎信行撮影)


[写真]1時間たっぷりと財政、税制、経済の見通し、民主党のあり方を語った藤井裕久さん(宮崎信行撮影)

 藤井さんは、「控除から手当へ」の民主党税制(財政)は、個人に直接お金が行くことで、消費を喚起して、経済を回復するものだとしました。また、消費税増税にはまず政治家が身を切る(歳費と定数の削減)が必要だとしました。ドルに関しては、「私は浜矩子さんと仲がよい」として、浜矩子・同志社大学教授が主張している「ドルはもはや国際基軸通貨ではない」とする浜理論の方向性に近いことを示唆しました。


[写真]司会は永江孝子・衆院議員(右)。永江さんは南海放送アナウンサー出身で、関西テレビ記者出身の森山さんと「テレビ局出身」「政権交代チルドレン」という共通点があります(宮崎信行撮影)。

 
[写真]パーティー会場に場所を移して。ここら辺は中締め近くの写真です(宮崎信行撮影)。左の写真は宮崎岳志衆院議員のあいさつ、右は大阪府立三国ヶ丘高校の同級生の方のあいさつです。高校生のころから「将来は総理大臣になると言っていた」とか。司会は羽田次郎さん。写真はありませんが、野田佳彦財務大臣、武正公一さん、西村智奈美さんら多くの国会議員も閉会中なのにかけつけました。

 印象に残ったのは、パーティー会場での藤井さんの話。政権交代前、藤井さんは野党、森山さんは総支部長時代。「そこに後任の(財務大臣の)野田君がいるから言うわけではありませんが、私が応援演説に行ったときに、彼は関西空港まで迎えに来てくれたんですね。でも、むだな時間かも知れません。でも立派な人間だなと思いました」とおっしゃっていました。

 ボランティア・スタッフ30人くらいかな。そして、他の議員の秘書さんの応援は、数人で、要所要所(来賓の案内など)にお願いするだけという珍しい政治資金パーティーでした。中締め後も、1時間前後、立ったまま、話の輪が咲いていました。

【追記おわり】


「衆議院議員 森山浩行を育てる集いin東京」ご案内


菅総理「元気な日本を復活させるのが私の役目」

2010年12月06日 17時58分57秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[写真]第22回参院選での菅直人さん(民主党ホームページ)

 総理大臣で民主党代表の菅直人さんが6日、第176臨時国会の閉会を節目にして記者会見しました。

 年明けに向けた政権安定については、きょうの社民党・福島瑞穂党首との会談を踏まえて、両党政調の話し合いを踏まえて、第45回衆院選での選挙協力と政策協定の枠組みである、民主党、国民新党、社民党が衆議院での3分の2以上の再可決による安定に取り組む考えを示しました。菅総理は記者会見中で「公明党」という言葉を使わず、統一地方選を踏まえて、補正予算に反対した公明党に距離をおきました。

 また、民主党と自民党のいわゆる「大連立」に関しては、含みを残しながらも、否定しました。自民党との大連立を拒否すれば、二大政党デモクラシーを日本に確立した宰相として、「菅直人」の名前は100年先の教科書にも載るでしょう。

 「(第22回)参院選で公約した消費税はどうしたんだい?」との朝日新聞記者との質問に対して、「社会保障と税(消費税)に関する与野党の協議機関をつくるのが望ましい」として、この問題で方向性が一致する野党・自民党と、第45回衆院選で政策協定を結んで協力した与党・民主党、国民新党、社民党の3党などが入る政党間協議機関をつくることを明言しました。消費税上げが必要だ、という考え方は第22回参院選当時と変わらないと強調しました。菅さんは第176臨時国会では、このことに関してとくだんの発言はしていませんでした。

 第176臨時国会中は、本会議代表質問や予算委集中審議など、総理出席のTV入り質疑と、国際会議が重なり、オープンスカイや、ビザの発給など政権の実績を十分にアピールできなかったと反省。

 記者会見には、フリーランスの江川紹子さんが「検察行政のあり方と法相の補充人事について」、ビデオジャーナリストの神保哲生さんが「民主党政権の情報公開と記者会見のあり方」について質問し、神保さんに対して総理は「神保さんも、いい案があったら教えてください」とお知恵拝借をのぞみました。ロイター通信記者など内閣記者会(永田クラブ)以外の記者も多く質問しました。

 顔色も声色も元気そのもので、国会閉会による緊張感からの解放を感じさせました。あれだけ精神力と体力の強い総理でも、ねじれ国会と初めての(補正)予算審議は、タイヘンなプレッシャーだったんだな、と驚きました。菅総理は、予算編成、税制改正と、年明けの第177通常国会に自信をのぞかせ、第46回衆院選までの続投を強調するために、「元気な日本を復活させるのが私の役目だ」と元気に会見を締めくくりました。



そもそも政調って

2010年12月04日 22時29分06秒 | その他

 そもそも政調って、ガス抜きのために設置(復活)したんでしょ。それなのに、政府外議員が予算要望・税制改正要望しているのっておかしくない?

 政調とは、情報収集とストレス発散のためにあるのでは。

 例えば、深夜に米市場で金融ショックがあれば、翌日の財政・金融部門会議に出て、金融庁と日本銀行から最新のデータを資料付きで説明してもらって、先輩議員の鋭い質問とそれへの応答を聞いて、「大塚先輩鋭いなあ、なるほどそれがポイントなのか!」と感じて、もらった資料とポイントを国政報告会や委員会質問などで活用する。そのために政調があるんじゃないの?与党だから、議員立法も基本的にはないし。

 歳出削減圧力があるなかで、予算編成(歳出)に関わろうとしたって、政策は実現しない。要するにガス抜きでしかない。税制改正プロジェクトチームで、話を聞くのは勉強になるだろうからいいけど、税制改正要望、なかんずく租税特別措置(の減税の粗特)の存続を求めたって、たいして票にもならないし、政治献金にもならないように僕には思える。それやって、団体献金が100万円以上もらえそうなら頑張ってほしい、それは肯定的な意味です。

 第一、なんで昨年11月~12月の財務省・総務省政策会議(政府税調政策会議)や、ことし8月の概算要求で何もしていない人が頑張っているんだろう。くどいが、政治資金が100万円以上見込めるんなら、広く薄くやったらいいけど、1年生議員なんて、地元であいさつ回りして、月1万円の銀行引き落としのご支援をいただける会員を獲得して、飲みに誘われなければ、家で本を読んでいた方が連続当選すると思う。

 自民党政調と違って、民主党政調はあくまでもガス抜きだということを理解してほしい。もちろん、国会開会中に自分が所属する委員会のメンバーが衆参と政務三役が一同に情報交換する機会は貴重。それと議連が民主党単独というのも意味がない。議連は超党派でやって、ねじれ国会で意外な人脈で活躍した方が、政務三役入り、政策実現、政治資金パーティー成功はずっと近づく。

 ところで、きょうは島根県浜田市からのアクセスが多いようでありがとうございます。「天然コケッコー」という映画が浜田市でロケをしたもので、とても魅力的な後継でした。早大で4年後輩で、尊敬している和田毅投手(ソフトバンク)の生まれ故郷ですよね。一度、島根県にも脚を運びたいと思います。