龍馬研究者として北海道では名高い「合田一道」氏の講演会がありました。合田氏の講演はいつ聴いても楽しく刺激に満ちています。

※ 講演会は写真撮影禁止ではなかったので、合田氏の写
真を撮影したつもりになっていましたが、資料を繰ることと
お話に夢中になり撮影を忘れてしまったようです。
6月20日(日)、札幌市資料館(中央区大通西13丁目)の教養講座の第一回目の講座として「坂本龍馬がめざした北海道」と題する講演会がありました。
今年は特に龍馬ブームということもあって、会場は満員の状況でした。
合田氏の講演を拝聴するのは今回で3回目でしたが、合田氏はノンフィクション作家らしく、いつの講演においても古文書や年表を提示しながら史実に沿って解説するという手法を用います。
今回も合田氏が直接高知県へ赴いて調べたことなどをもとにして作成した年表と、龍馬がしたためた数多くの書簡の写しをもとに講演されました。
その中から、私の印象に残った話題を二つほど取り上げてみます。
一つは、現在放映されているNHK大河ドラマ「龍馬伝」の中で、土佐藩出身で龍馬の同志である「望月亀弥太」(ドラマでは北海道出身で大泉洋さんの同僚の音尾琢真さんが演じていました)が「池田屋の変」で襲われ竜馬の腕の中で絶命するのですが、史実ではその時龍馬は蝦夷に向かうべく船の中に在ったということですからドラマのようなことはあり得ないことになります。合田氏は「そこはドラマですから…」と話されていました。
さらにもう一つは、龍馬は慶応3年11月15日に近江屋において何者かに暗殺されるのですが、死の4日前の11月11日に当時親しくしていた林謙三宛に「方向を定め、シュラか極楽かに御供可申奉存候」という自身の死を予感させるような書簡を送っていたということです。
演題の「龍馬のめざした北海道」という点については、年表の中に4度に渡って「蝦夷」の名が登場してきます。計画が頓挫したり、計画倒れに終わったりと龍馬は数度にわたって蝦夷行きを試みたようです。それだけ龍馬は蝦夷行きに執念をみせていたようです。
なぜ龍馬が蝦夷にこだわったのかという点について合田氏は、「蝦夷地の豊富な資源を交易の材料として利用しようとしたのだろう」ということでした。この点については残された資料が少ないためそれ以上論及することはできないのだろう、と私は解釈しました。
史実を大切にし、適度なユーモアを交えながらお話される合田氏のお話はいつ聴いても心楽しいものがあります。これからも機会あるごとに聴いてみたいと思わせてくれる合田氏の講演です。

※ 講演会は写真撮影禁止ではなかったので、合田氏の写
真を撮影したつもりになっていましたが、資料を繰ることと
お話に夢中になり撮影を忘れてしまったようです。
6月20日(日)、札幌市資料館(中央区大通西13丁目)の教養講座の第一回目の講座として「坂本龍馬がめざした北海道」と題する講演会がありました。
今年は特に龍馬ブームということもあって、会場は満員の状況でした。
合田氏の講演を拝聴するのは今回で3回目でしたが、合田氏はノンフィクション作家らしく、いつの講演においても古文書や年表を提示しながら史実に沿って解説するという手法を用います。
今回も合田氏が直接高知県へ赴いて調べたことなどをもとにして作成した年表と、龍馬がしたためた数多くの書簡の写しをもとに講演されました。
その中から、私の印象に残った話題を二つほど取り上げてみます。
一つは、現在放映されているNHK大河ドラマ「龍馬伝」の中で、土佐藩出身で龍馬の同志である「望月亀弥太」(ドラマでは北海道出身で大泉洋さんの同僚の音尾琢真さんが演じていました)が「池田屋の変」で襲われ竜馬の腕の中で絶命するのですが、史実ではその時龍馬は蝦夷に向かうべく船の中に在ったということですからドラマのようなことはあり得ないことになります。合田氏は「そこはドラマですから…」と話されていました。
さらにもう一つは、龍馬は慶応3年11月15日に近江屋において何者かに暗殺されるのですが、死の4日前の11月11日に当時親しくしていた林謙三宛に「方向を定め、シュラか極楽かに御供可申奉存候」という自身の死を予感させるような書簡を送っていたということです。
演題の「龍馬のめざした北海道」という点については、年表の中に4度に渡って「蝦夷」の名が登場してきます。計画が頓挫したり、計画倒れに終わったりと龍馬は数度にわたって蝦夷行きを試みたようです。それだけ龍馬は蝦夷行きに執念をみせていたようです。
なぜ龍馬が蝦夷にこだわったのかという点について合田氏は、「蝦夷地の豊富な資源を交易の材料として利用しようとしたのだろう」ということでした。この点については残された資料が少ないためそれ以上論及することはできないのだろう、と私は解釈しました。
史実を大切にし、適度なユーモアを交えながらお話される合田氏のお話はいつ聴いても心楽しいものがあります。これからも機会あるごとに聴いてみたいと思わせてくれる合田氏の講演です。