「久闊を叙する」とは、「久しぶりに友情を温め、ご無沙汰を詫びる挨拶をする」というような意味があるようだ。先日、学生時代に親しくさせていただいた方々と久しぶりに友情を温める機会があった。
「久闊を叙する」などという言葉は、教養のない私の辞書には載っていなかった。この言葉を教えていただいたのはウェブ上で知己を得たY氏が紹介してくれた言葉だった。
先月1月29日(金)、学生時代の友人たちが某ホテルに集まり「久闊を叙する」機会がをもった。札幌に在住しながらも、ふだんはなかなか会えないのだが、「たまあには会おうよ!」と2010年に私が呼びかけスタートした。以来、絶えることなく年に一度の会が続き、今回は第7回目であった。
今回の参加者は10名だったが、今回は幹事の奔走で、今までにない嬉しい出来事があった。
それは、旭川在住のM氏と仁木町在住のK氏が参加してくれたことである。
M氏もK氏も私より1~2学年下であるが、学生時代には親しく付き合わせていただいた方である。およそ半世紀ぶりの再会だったが、どちらもそれなりに渋みは増したとはいえ、元気そうな様子だったのが何よりだった。
対して、いつも参加していたS氏が入院中のため欠席となったことが残念だった。そろそろ、そうしたニュースも周囲から聞こえてくる年代になったことを改めて教えられたような気がした。
この会では、毎回各々の近況報告をするのが恒例となっている。
退職してかなり経ってはいるのだが、未だ職に就いている人もいた。社会から必要とされているということは、それだけで幸せな境遇ともいえる。
また、職を離れて地域社会に貢献され、さまざまな役を担っている人もいた。
さらには、己の趣味に没頭している人も…。(私はここに分類されるかな?)
いずれにしても、それぞれが健康で、生き生きと生活されている様がうかがえて嬉しかった。
私たちの会は、一種の同窓会ではあるが、同じ年代の者だからといって誰にでも声をかけて集まる会ではない。いわゆる気心の知れた同窓が集まる会である。そこが和やかに集える秘訣だと思っている。
これからも、会に集うメンバーが健康であるかぎり集い続けたいものである。