北海道にはイノシシは棲息してはいなかった、というのが学会の定説らしい。ところが、縄文時代の遺跡からはイノシシの骨の遺跡が次々と発掘されるという。果たして真相は??
※ セミナーの後、隣室で開催されていた「赤れんが 北の縄文世界展」を覗いた。
そこに展示されていた著保内野遺跡から発掘された国宝指定の「中空土偶」(レプリカ)です。
北海道、北の縄文道民会議などが主催する「縄文雪まつり」なる催しが、先日の「北の縄文セミナー in 紀伊國屋書店」に続いて、昨日2月11日(木)午後、「北の縄文セミナー in 赤れんが」と称して、道庁赤れんが庁舎で行われ、参加した。
※ 青森県亀ヶ岡遺跡から発掘された重要文化財指定の「遮光器土偶」です。
祝日とあってか、はたまた道民カレッジ連携講座とあってか、大勢の受講者が詰めかけ会場は満員の盛況だった。
セミナーは2部構成で、第1部は「さらにわかった!縄文時代の植物利用~編かご・縄利用」と題して(株)バレオ・ラボの統括部長の佐々木由香氏が講演した。
第2部は「古代人と動物たち~追った・食べた・祭った~」と題して、千歳市埋蔵文化財センターのセンター長である高橋理氏が講演した。
第1部では、およそ1万5000年前から2,300年前とされる縄文時代において高度な編み方によるかごなどが遺跡から次々と発掘されているという話だった。
編みかごなどは植物由来であるから当然現物では発見されない。すでに土化(などという言葉があるのか?)されたものとして発掘される。そのため、時代測定や編み方の技法解明が難しかったらしい。
そこに最近開発されたのが「樹脂包埋切片法」というものだという。この技法(機械)によって顕微鏡用の切片の作成が容易となり、編みかごなどの素材の同定が格段に進歩したという。
さらには、レントゲンを駆使することにより、編み方などの技法の解明も進んだという。
その結果、最古の製品は1万500年前のものが滋賀県粟津湖底貝塚から発掘されたそうだ。
北海道からももちろんたくさんの編み物の製品が発掘されている。
それらの編み方を解明していくと、実に多様な編み方をされていることが分かり、佐々木氏によると現代編まれている技法のほとんどは縄文時代に編まれていたことが解明されているそうだ。
縄文人、恐るべし! 土器や石器だけではなく、高等な編み方の技法を既に身に付けていたとは驚きである。
※ 第1部の講師の佐々木由香氏です。
そして、第2部である。
講師の高橋氏は動物考古学が専門とのことで、まずはさまざまなイントラダクション的講義が展開された。
その中で記すべきこととしては、現在日本の総遺跡数は実に49万5021ヵ所あるそうだ。その中の9,0531ヵ所が縄文遺跡であるという。また、貝塚は全国で約2,500ヵ所、うち北海道には約300ヵ所あるという。
さて、イノシシである。考古学的には縄文時代に蝦夷地にイノシシが棲息していたという考えは否定されているという。ところが、道内の40ヵ所以上の遺跡(貝塚)からイノシシの骨が発掘されているそうだ。
そのイノシシの骨の発掘で、北海道の遺跡には一つの特徴があったそうだ。それは、イノシシの幼獣の骨がほとんど発掘されなかったという特徴である。
このことから、高橋氏は北海道の遺跡から発掘されたイノシシの骨は、必要に応じて本州から運ばれて来たものではないか、と推測した。
※ 第2部の講師の高橋理氏です。
縄文人にとって、貝塚に埋めることは祭る(祀る)ことでもあるという。蝦夷地においては縄文後期から続縄文期にかけてクマ祭りが定着していく。その前はイノシシが祀られていたということになるのだろうか?さらなる解明が望まれるところである。
セミナーの前後には、紀伊國屋書店のときと同じく、茂呂剛伸と「手鼓(しゅこ)」のメンバー6人が縄文太鼓を会場いっぱいに響き渡らせた。
※ 縄文太鼓を演奏する手鼓のメンバーです。右側が茂呂剛伸氏です。