田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

日本の中に息づく縄文の精神

2016-02-08 19:59:34 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連

 いま一つ関心の持てなかった縄文の世界だが、今回の講座を受講し、縄文人の精神が今の私たちに脈々と息づいていることに気付かされた。縄文の精神を大切にすることこそ、今の地球を救う道ではないのか、と思ったのだが…。 

 2月6日(土)午後、北の縄文道民会議などが主催する「北の縄文セミナー」が紀伊國屋書店のインナーガーデンで開催され、参加した。
 会場が狭いこともあったが、満員盛況の人気だった。

 セミナーはまず「縄文太鼓演奏」から始まった。太鼓奏者の茂呂剛伸さん率いる5人が縄文土器の複製にエゾシカの皮を張った太鼓によって演奏された。時に荘厳に、時に激しく太鼓を打つ様が聴いている私たちの心を揺さぶった。

                    
                    ※ 縄文太鼓奏者のリーダー茂呂剛伸さんです。

 続いて、南茅部町や函館市において永らく道南の縄文文化の発掘に尽力され、現在は北海道縄文世界遺産推進室に勤務されている阿部千春氏が「縄文の生活と現在」というテーマで講義された。講義は、私にとってとても分かり易く、内容が整理されたお話だった。

            
            ※ 講義をする阿部千春さんです。

 講義の概要を記すと、縄文時代は最後の氷河期が終わった1万5千年前に始まったとされる。それから、南茅部縄文遺跡群の発掘実績を時系列に並べて説明された。それによると、南茅部周辺では9,000年前、6,500年前、4,500年前、4,000年前、3,500年前と次々と遺跡が発掘されたそうだ。
 その中で特徴的なことは、縄文人が死者を弔うことの意味を遺跡に遺していたこと。さらには、人間だけではなく食した生物の遺骸、生活の道具まで、全てに魂が宿っているとして手厚く葬っていることが、貝塚とか、盛土遺構として表されていると話された。

 3,500年前には南茅部遺跡を一気に有名にした「中空土偶」が著保内野遺跡から発掘されているが、その土偶は男性には黒色が、女性には紅色が施されているそうだ。また、男性の土偶には偶数の、女性の土偶には奇数の模様が施され、縄文人が二項融合の原理に基づく世界観を持っていたのではないか、と説いた。

              
              ※ 講師の阿部千春さんの近影です。

 ことほど左様に、縄文人は高い精神性をもち、自然の中に生かされている命、自然と共にある人間、という崇高な世界観を抱いていたのではないかと阿部氏は強調した。
 あの世界的な作家、アンドレ―・マルローが伊勢神宮を訪れたとき、「日本はアジアの中にあって異質である。特に死生観にそれが現れている。幾度も幾度も立て直す伊勢神宮は大聖堂よりもピラミッドよりも堅牢で力強い」と発言したそうだ。

 日本の歴史は、縄文から弥生、そして青銅へと移っていくが、北海道・東北では敢えてそれを拒否し、縄文から続縄文へと、漁労・狩猟・採集の生活に拘り続けた稀有な地域であるという。
 この日本人の深奥に眠る縄文文化が花開いた北海道・東北の地をぜひとも世界遺産に登録されるよう皆さまの力を借りながら努力したい、と結ばれた。

           
※ 縄文太鼓は文字どおり縄文土器を反響部分に用いた太鼓です。

 冒頭に触れたように、私はいま一つ関心の薄かった縄文文化だが、お話を伺い俄かに興味が出てきた思いである。
セミナー後の質疑で、アイヌ民族だという方が、縄文文化の精神はアイヌに引き継がれているとした。但し、アイヌ文化は形として遺す文化ではなかったが、そのことも忘れず世界に縄文文化の尊さを訴えていってほしいと強調され、阿部氏も大いに同意していた。
 私にとってはアイヌ民族について理解することは私自身の一つのテーマである、縄文とアイヌが結び付いているということになると、なおさらのこと関心を抱かねばならないテーマの一つとなった。

※ なお、今回の原稿は、講義の内容、アンドレ―・マルローの言葉などについて、時間がなかったこともあり十分な裏付けを確かめておらず、私のメモだけによっていることをお断りします。