田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ポーランド映画 152 灰とダイヤモンド

2016-02-07 14:04:47 | 映画観賞・感想

 「下手な鉄砲 数打ちゃ当たる」という諺があるけれど、命中率が悪いと私の場合は困るのである。私のブログは私が体験したことを綴ることをコンセプトとしている。だから私が体験することが思惑と違うと焦ることになってしまう。今回の場合がまさにそのケースだった…。 

            
            ※ 映画「灰とダイヤモンド」のラストシーンです。主人公がゴミの山のところで死んでいくシーンです。

 新聞に北海道ポーランド文化協会が主催する「ポーランド映画会がある」との告知が出ていた。しかも無料で!
 ポーランド映画…。う~ん、深刻な映画かな?ということが頭をよぎったが、エンターテイメントの映画ばかりじゃつまらない、たまあには考えさせられる映画もいいかも、と参加を決めた。

            
            ※ 講義に先立ち、ポーランド文化協会の方が挨拶されました。

 2月5日(金)夜、会場である札幌エルプラザに向かった。
 会場はエルプラザの大して大きくない研修室だった。しかも、スクリーンは移動式の簡易なものだった。うん?いくらポーランド映画と云ってもずいぶん地味な環境、装置だな…と思った。
 新聞の告知では、ポーランド映画に精通する方の解説もある、となっていた。
 机上にはそのレジュメが配布されていた。それを見ると、14項目も項立てがなされたレジュメが置かれていた。えっ?そんなに映画の前に解説するの?という疑問が私の中に広がった。ここで私の中には俄かに不安が広がった。

 不安は見事(?)に的中した。もう一枚、今回のイベントの告知文書に目をやると、文書の片隅に小さく「※映画上映会ではありません」とあるではないか! 参りました…。
 そしてそこには次のような一文も添えられていた。「ポーランド映画『灰とダイヤモンド』について、ポーランド文化研究者・映画通であり、通訳としてワイダ監督とも親交のある久山宏一氏をお迎えして、一緒に語り合いましよう」とあるではないか!

 思惑は見事に外れたが、いまさら帰るわけにもいかない。私は時間中付き合う羽目となってしまった。
 で、講師の久山氏の話だが、私には難解を極めた。それも無理ない話だろう。映画「灰とダイヤモンド」のことも、それを監督したアンジェイ・ワイダ監督のことも私は初耳というのだから問題外なのである。久山氏の話は、そんなことは受講者が常識として備えているものとして話を進めるのだから…。

           
           ※ 講師の久山宏一氏です。彼のマニアックな話には付いていけませんでした。

 映画「灰とダイヤモンド」は1958年にアンジェイ・ワイダ監督によって制作され、世界の映画監督に影響を与えたワイダ監督の代表作だそうである。講座では映画の一部が上映されが、白黒映画で1945年にポーランドがドイツから解放された直後の世情を背景とした映画である。

 久山氏は、アンジェイ・ワイダの特徴として、1) 文体がはっきりしない。構図絶対主義。2) ロマン主義。3) 現代・戦争・文芸が対象。4) 連作性への志向。を挙げたが、私にはまったく理解できない。
 そして久山氏は、ワイダの「灰とダイヤモンド」が日本のヌーベルバーグ(新しい波)監督と称された大島渚や吉田喜重たちに大きな影響を与えたと指摘し、彼らの作品の一部を上映しながら解説した。
 久山氏は、大島渚監督の「青春残酷物語」、「太陽の墓場」、「日本の夜と霧」、吉田喜重監督の「ろくでなし」、「甘い夜の果て」を取り上げ、そのカットの中に「灰とダイヤモンド」の画面に触発された部分があると、映像と共に指摘した。
 確かに指摘されてみれば、その通りであるが、私からみるとあまりにもマニアックな映画の観方であり、重箱の隅を突くような話に思えたのは、私が門外漢ゆえか?

 今回の講座において私は、1950年代にポーランドにおいてアンジェイ・ワイダという監督が「灰とダイヤモンド」と映画でもって世に出、映画界に大きな影響を及ぼしたということだけは知ることができた。しかし、私にとっては受講動機とは思惑の違ったものになったことが残念であった…。