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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

民族衣装を着なかったアイヌ

2016-02-26 20:08:16 | 大学公開講座
 講師の瀧口夕美氏は、アイヌであることにずっとコンプレックスを抱きながら生きてきたという。訥々と語る彼女のこと、そして彼女が語ったことを、私は未だに消化しきれずにいる。彼女の思いに迫ってみたいと思うのだが…。 

                  

 2月23日(火)夜、北大アイヌ・先住民研究センターが主催する「民族衣装を着なかったアイヌ-先住民にとっての伝統と現代」の著者・瀧口夕美氏の講演会があった。
 瀧口氏はアイヌである母親と和人である父親の間に生まれた人である。彼女は幼少から思春期を阿寒湖畔で過ごし、現在は編集グループSUREに属して東京で編集者として暮らしているという。
 
 彼女は阿寒湖畔で土産物屋を営む両親のもとで、アイヌの子として成長した。そこでの日常の生活は他の日本人とまったく変わらないのに、観光地であるということからディフォルメされた形でアイヌが語られることが多く、違和感を持ちながら成長したようだ。

            

 彼女の語ったことを断片的にメモしたものが私の手元に残った。
 それによると、彼女の祖父母や父母のアイヌの人たちは激烈な〈差別〉を受けたがために、そのことを逆に〈誇り〉として生きてきた方たちが多いようだ。対して、彼女たちの世代(彼女は40代?)はそれほどの差別を受けたわけではないので、誇りも育っていない。そのような世代にとって、アイヌの存在って何?と彼女は疑問府を打つ。
 また、母語としてのアイヌ語や、アイヌ文化から離れた人の中に、どうやってアイヌらしさがあるのか、と疑問を呈する。

 そして彼女は「アイヌ」ということで、ステレオタイプに見られることに抵抗感があるともいう。
 また彼女は次のようにも言った。「アイヌは同化されたのではなく、アイヌの側からいかに和人の文化を取り入れていったか」というアイヌの主体性があったのではないか、と…。

 ここまで聞いてくると、瀧口氏は自らがアイヌであることを消し去り、普通の日本人として生きることを望んでいるのではないか、と思えてしまう。
 しかし、コトはそれほど単純でもなさそうだ。
 瀧口氏の著書を読んでいないので何とも言えないが、彼女は著書を著すに際し、親戚をはじめとするアイヌの人々、樺太の少数民族ウイルタの老女など、さまざまな人から話を聞いている。
 そこで語られたアイヌへの差別の実態、そしてそれをばねとして自分たちの誇りを語る先輩たちの話を聞くことで、彼女の意識に変化が出てきたようだ。

              

 そこから先の彼女の話に私は付いていくことができなかった。というのも、関係するさまざまな外国の文献を紹介するのだが、その文献の中で語られていることが彼女にどう影響したのか、について明確に語られたとは思えなかったからだ。

 ウェブ上で彼女の著著「民族衣装を着なかったアイヌ-先住民にとっての伝統と現代」は、評価が高いようだ。しかし、少なくとも今回の講演において、私は彼女を思いを消化できずに終わってしまった感がある。
 そこで早速、図書館に彼女の図書を予約した。彼女の思いをもう少し汲み取ってみたいと思う。