田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

龍馬は蝦夷渡航を4度試みた?

2015-11-22 23:49:11 | 講演・講義・フォーラム等
 確かに講師はそう言ったはずだ!? 講師は龍馬研究においては北海道の第一人者の一人であるはずだ。その講師が言ったのだから…。かし、一方で彼(講師)は有名な詩人でもあった。 

 11月20日(金)午後、札幌市社会福祉総合センターで札幌市主催の札幌シニア大学が開講され参加した。講座は「坂本龍馬と北海道」と題して詩人で劇作家でもある原子修氏が講演した。
 たくさんのシニア層が参加していたが、私はシニア大学に登録はしていないので、いわばテーマに興味があってのスポット受講である。

               
               ※ 札幌大学名誉教授でもある講師の原子修氏です。

 この講座は私にとっては三重苦を味わいながらの講座だった。それというのも、会場の音響設備が劣悪である。講師の原子氏が高齢(83歳)のため発音が明瞭でない。その上、私の聴力にも少々問題がある。という中での受講だったため、原子氏が話すことの半分程度しか理解できないという辛いものだった。
 したがって本レポは、かなり不明確なものであることをお断りしておきたい。

 講師の原子氏は、龍馬の蝦夷行きを企図したことについて非常にコンパクトにまとめた資料を用意してくれた。それを提示しながら、テーマについて考えてみたい。
 提示されて資料はつぎのとおりである。

 坂本龍馬は、終生、蝦夷地(北海道の古称、以下北海道とします)渡航を夢見て、果てました。「一滴の血も流さず世直ししたい」という理想に燃えていた龍馬は、日本の将来を“平和の業(わざ)”としての海外通商に托しておりました。彼の理想は、北海道を海外通商基地とし、箱館港を基点に世界にうって出る、という誠に壮大なものでした。
 生まれ故郷の高知で米国帰りのジョン万次郎らを通して世界にめざめた龍馬は、江戸で勝海舟塾に入門して塾頭となり、神戸海軍操練所創設に関わり、長崎でスコットランド生まれの英国人豪商グラバーと知り合って、世界通商国家の道を歩み出します。海舟の協力のもと幕船黒龍丸で北海道をめざしますが、京都で池田屋事件が起り、惜しくも挫折します。
 神戸海軍操練所も廃止され、龍馬は江戸で外国船による北海道渡航を模索した、という話もありますが、本格的な計画は薩摩藩の家老小松帯刀とグラバーらの協力でカンパニー亀山社中を長崎に創設し、洋帆船ワイルウェフ号を購入し、北海道に渡ろうしたのです。しかし、無念にもその船は嵐で沈没し、又もや龍馬の夢は絶たれます。
 海外通商国家の前提は国情の安定です。龍馬は薩長同盟・大政奉還を実現へと導き、一方で、大極丸を購入し、長崎では土佐海援隊を設立して隊長となり、北海道渡航実現を図りますが、船中八策の創案・新政府綱領八策等で新政権樹立に奔走中、暗殺の刃に倒れます。(以下、省略)


 この資料からは、幕船黒龍丸、洋帆船ワイルウェフ号、大極丸、と3度船を替えて渡航しようとしたと読み取れる。しかし、講師は確かに4度試みた、と私には聞こえた。とすると、池田屋事件の後、「江戸で外国船による北海道渡航を模索した」というものも数えたのだろうか?

 一つ疑問が残るのは、合田一道氏の講義では大きく取り上げられた龍馬率いる土佐海援隊が大洲藩から借用した「いろは丸」のことに全く触れられていないところである。合田氏の講義ではむしろ「いろは丸事件」がなければ、もしかして北海道渡航が叶ったのではないか、と私は考えたのだが…。
 まあ、歴史というものは時間の経過と共に、後の者たちがさまざまな解釈することがありがちなので、時として何が真実なのかが曖昧となってしまう場合が多々あるようなのだが…。

               
               ※ 初めて受講したシニア大学だが、多くのシニアが受講していた。

 リード文で、私は講師の原子氏が詩人であることに触れている。それは、原子氏が講義の中で、「龍馬はいつ覚醒したのか?」という解説の段になって、氏は龍馬の祖母が彼に坂本家の家訓を説いたのではないか、という仮説のもとに、その場面を詩人らしく臨場感いっぱいに再現してみせたのである。
 それはほとんどが史実にもとづいたものではなく原子氏の創作なのである。詩人とか、小説家はその作品が必ずしも史実に忠実である必要はない、というようなことを原子氏も話していた。

 そうなると、龍馬が企図した蝦夷行きは4度だったの?それとも3度だったの?

ブリリア会反省交流会

2015-11-21 21:50:19 | ボランティア
 すてきなお便りをいただいた。それは私たちの思いを代弁してくれるような慈愛に満ちたものだった。今年のボランティア活動を締め括る反省交流会は素敵なお便りを読みあげながら幕を開いた。 

              

 拙ブログでも時おり登場する「近美を愛するブリリアの会」の今年のボランティア活動も冬を迎え、先日10月30日に第14回目の活動で今年の活動に終止符を打った。
 その活動の反省交流会を11月19日(木)、近所のフレンチレストランでランチを兼ねて行った。
 日程が折り合わず全員参加とはならなかったが、9名の方の参加があった。
 参加の意思がありながら日程が折り合わなかったI様からお手紙と共に「皆さまと分けてください」と菓子折りをいただいた。
 I様からのお手紙には次のような言葉がしたためられていた。

 何時も、美しい花壇に囲まれ、掃き清められた道を眺め乍ら皆様の御苦労を偲び、感謝の思いで一杯でございます。「トントントンカラリと隣組♪」と昔、歌っていました。かつてあった周りの方々との絆が、このマンションの中に、ほのぼのと感じられ、有難く、幸せを頂き、誇らしく思っております。○○様、皆々様、くれぐれも御身を大切になさってくださいませ。 I(署名) 

 I様は会員の中でも最も高齢な方で、足腰もすっかり弱られて活動に参加することはとても無理なのだが、いつも私たちの活動に思いを寄せられ、温かい言葉をかけてくれている方である。今回の慈愛に満ちたお手紙に一同感激しながらランチへと移っていった。
 少々のワインを介してのランチに皆さんの舌の滑りも良くなり、活動のあれこれについて、感想や提言が相次いだ。

              

 曰く、自分たちのやっていることは細やかだけれど、少しは地域に貢献できていることを実感できるのが嬉しい。
 曰く、活動を一緒にすることで会員の中に親近感が生れ、マンションマの内外でお会いしたときに、親しみを感ずることができる。
 曰く、「Salon du Brillia」の輪を会員以外にも広げましょう!

 等々…、会員の方々からたくさんの提言やお考えを伺うことができた。
 会員の提言にもあったが、今年新たに会員間の交流の場「Salon du Brillia」を起ち上げ、2ヶ月に一度のペースでこれまで3度開催してきたが、これが意外に好評である。冬季に入って戸外の活動は終了したが、こちらの「Salon du Brillia」の方は冬季間ももちろん開催していくことにしている。

 会員の高齢化もあって、毎回の活動の参加者の減少傾向がみられ、次年度以降の活動に不安要素もあるのだが、会を主宰する私としては、できるかぎりこの活動を続けていきたいと考えているし、会員の方々にも訴えていきたいと思っている。

東京五輪文化教育委員に聞く

2015-11-20 16:48:18 | 講演・講義・フォーラム等
 富良野メセナ協会の代表を務める篠田信子さんが2020年の東京オリンピック・パラリンピック文化教育委員に選出され、これまで数度の会合に出席してきたという。篠田さんの活動、そして会合の様子を聴いた。 

 札幌大学の公開講座「オリンピック・パラリンピックから考える~文化・生きる力・マネジメント~」の第2講が11月18日(水)にあり出席した。
 テーマは「文化が果たす役割」と題して富良野メセナ協会代表の篠田信子さんの話を聴いた。

               
               ※ 講義をする篠田信子さんです。

 まず「メセナ」という耳慣れない言葉についての説明があった。それによると「企業や個人が芸術文化を支援する」ことを指す言葉だという。つまり、富良野メセナ協会は企業や個人の篤志を財源として、主として学校に対して上質な文化・芸術を届ける活動を続けているとのことである。

 同時に、篠田さんは脚本家・倉本聰さんが所有していた喫茶店「北時計」が閉鎖され、富良野市に寄贈された建物を活用して「喫茶・ギャラリーあかなら」の代表を務め、そこでも数々の個展やコンサートを催しているともいう。

               
               ※ ログハウスで出来た「喫茶・ギャラリーあかなら」の外観です。

 さらにはそれ以前に、富良野市に演劇専用工場(劇場)が建てられたときに、その運営を担う「富良野演劇工房」設立に参加し、中心的役割を担い、1990年全国で最も早くNPO法人の認証を得て、運営が軌道に乗ったのを機に、運営の第一線からは退いたそうだ。

               
               ※ 富良野演劇工場の外観です。

 そうした活躍ぶりが何らかの経過を辿り中央にも聞こえた結果、今回の「東京五輪文化教育委員」に選出されたようである。
 文化教育委員とは?いろいろと検索した結果、五輪組織委員会はメディアからの問い合わせに次のように答えている。「文化・教育の分野で、専門的な識見に基づく助言を得るために設置されるものです。委員の選任は関係団体の協力を得ながら、伝統芸能から芸術、メディア文化、また教育は小中学校、特別支援学校、大学など幅広い分野から深い見識、豊かな経験に富んだ方々にお願いしました」

 選出された21名の委員の名簿を篠田さんはスライドに写しだしてくれたが、メモができなかったのでネット上で検索してみたが叶わなかった。ただ、ネット上では歌舞伎俳優の市川海老蔵や「EXILE」のHIROが入っていることが話題となっていた。その他ではデザイナーのコシノジュンコさん、狂言師の野村萬斎さんなどが名を連ね、委員長は東京藝大の宮田学長が務めるとのことだった。
 その他の方々もほとんどは全国的に名が通っていたり、全国組織の長が名前を連ねたりする中、地方から選出されたのは篠田さん一人のようであった。
 このメンバーを見るだけで、篠田さんも薄々気づかれているようだが、私は組織委員会のアリバイ作りのような気がしてきた。つまり、組織委員会の作ったシナリオを追認するだけの組織ではないかと…。
 だから、これまで数度開かれたという委員会に出席された篠田さんから、委員会の討議の具体的な様子はほとんど聞かれなかった。

 ということで、私の関心は東京五輪文化教育委員のことより、富良野市への転入人である篠田信子さんが生き生きと活躍する姿の方により関心を抱いた。
 講演後、私は「素晴らしい活躍をされる篠田さんのバックボーンは何ですか?」と問うた。すると「何もない」という。学生時代や独身時代に特に文化活動に取り組んだ経験もないという。夫の転勤に伴い富良野に転入したときには4人の子どもの子育て真っ最中だったそうだ。その子育てが一段落ついたときにPTA役員を引き受けたのが始まりだった、という。
 ただ彼女の中では「富良野の自然は素晴らしい!」という強い思いから富良野に関わりだしたという。さには、どちらかというとのめり込むタイプだという自己分析をしてみせた。

                   
                   ※ 篠田信子さんの笑顔をネット上から探しました。

 篠田さんの話を聴いていて、私は以前に聴いた話との共通点を思い出していた。
 帯広発の雑誌「スロウ」の編集長・萬年とみ子の話のことである。萬年氏もずーっと東京暮らしだったのが夫の転勤に伴い帯広にやって来て、十勝の自然に魅せられ今や北海道を代表する自然讃歌の雑誌を出しながら地域づくりに関わっている。
 こうした方々の話を聴くと、どうやら地域の魅力を発見し、それを地域の財産として地域づくりに生かしていく人材は、他からの転入人にあるのではないかと思えてしまう。
 もちろん地域に生れ、地域に住み続けている人たちが自らの地域づくり懸命に取り組んでいる人がたくさんいることも知っている。
 そうした方々は、転入してきた方々の視点や考え方を柔軟に取り入れていく姿勢が求められているような気がしてならない。

 今講座の趣旨とは、違ったところに私の関心が移ってしまった講座だった。

最後の詰めを誤った侍ジャパン

2015-11-19 23:31:15 | スポーツ & スポーツ観戦
 う~ん…。あまりにも酷すぎる逆転負け…。大谷投手の快投が露と消えた対韓国戦の敗戦はショックが大き過ぎる。侍ジャパンはこのショックから立ち直れるのか?!

             
             ※ 大谷投手の胸のすくような快投に酔いしれていたのだが…。

 スポーツ好きの私は侍ジャパンの戦いを欠かさずテレビ観戦してきた。しかし、そのことをブログで投稿しようとはしていなかった。しかし、今夜はあまりにもショックの大きかったこの一戦を取り上げないわけにはいかなくなった。
 別の投稿を準備しながら観戦していたが、急遽差し替えることにした。

             
             ※ 今日の試合でも大活躍だった中村選手と共に勝利インタビューを受けるはずだった小久保監督

 9回の韓国の攻撃を迎えて3対0での日本のリード、「勝利は間違いなし」と思われた。事実、テレビの解説者もすっかり勝利ムードだった。
 それが一転、9回の抑えを任された楽天・則本投手が韓国打線の猛打を許してしまった。
 おそらく、ネット上や後々発表される評論家たちからは小久保監督の投手起用について是非論が姦しく語られるのではないか。

 というのも、8回からマウンドに立った則本投手は8回を完全に抑えた。現代野球ではふつう救援投手は1イニングでお役御免の場合が多い。ところが、小久保監督は則本投手を9回も継続してマウンドに送った。
 この判断がどうだったのだろうか?敗戦後のインタビューで監督は「9回は則本で行くと決めていた」と言った。そして、その後の継投策については自らの責任と語った。
 しかし、「決めていた」という判断がどうだったのだろうか?ここのところが問われるのではないか、と私は思うのだが…。

 「9回は則本で行くと決めていた」という判断は、はたして8回にマウンドに上がる則本投手に伝わっていたのだろうか?あるいは、則本投手としては緊張のマウンドで8回を無事に抑えてホッとしてベンチに帰ったとき「もう1回行くぞ」と言われたとしたら、自らをもう一度奮い立たせるのが大変だったのではないか、とも想像するのだが…。

 9回、則本投手が連続ヒットを打たれ、そしてタイムリーで1点を失い、さらに死球で無死満塁となり、その後に出た松井投手、さらには増井投手の救援陣は完全に韓国の勢いに飲みこまれ、アッという間の4点献上劇だった…。

 今夜の韓国戦、先発した大谷投手は前回の韓国戦同様に素晴らしいピッチングで韓国打線を寄せ付けず、7回1被安打11奪三振という文句のない快投だった。韓国ベンチは声も出ないほど沈んでいたのに…。

 勝利が手の届くところまで来ていながら、そこからのあまりにも衝撃的な敗戦を喫してしまった侍ジャパンは、はたしてこのショックから立ち直れるのだろうか?
 少しの時間が必要かもしれないなぁ……………。

札幌グルメ紀行 19 六花亭 真駒内六花亭ホール店

2015-11-18 21:34:19 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 グルメというにはちょっと相応しくはないが、洗練された建物に興味がありランチを兼ねて訪れてみた。そこには期待どおりの空間が広がっていて、リーズナブルなランチもそれなりに楽しめた。 

 過日、真駒内に所用があったので「真駒内でランチを!」ということになった。「さて、どこへ?」と考えたとき、いつも真駒内公園の横を通る真駒内通り沿いに気になる店があった。
 それが「六花亭 真駒内六花亭ホール店」だった。菓子店の店舗のイメージからはかけ離れた全面ガラス張りの建物の中はどうなっているのだろう?との興味を抱いていた。

               
               ※ 全面ガラス張りのショップエリアです。ここがコンサートホールも兼ねているようだ。

               
               ※ エントランスの所に犬の彫像が置かれているところも六花亭らしい。

 店内は入ると、右手が吹き抜けのように高い空間を作ったショップエリア、左手にカフェコーナーが作られていた。
 昼どきとあって、カフェコーナーのテーブルはほとんど埋まっていた。
 菓子店のカフェコーナーだけあって、メニューのほとんどはケーキ類なのだが、ランチの代わりになりそうなのが、十勝強飯定食、ピザ各種、それにホットケーキ、お汁粉・ぜんざいといったところである。
 そこで私は「栗入りぜんざい」(570円)を、妻は「ピザセット」(マルゲリータ+コーヒー 850円)をオーダーした。(まるでグルメとは言えない)

               
               ※ ショップエリアの天井の高さに注目ください!

               
            ※ この写真はウェブ上から拝借した。赤と白の簡略化したデザインがライトな印象を与えます。

 さっそく運ばれてきた「栗入りぜんざい」はほどほどの甘さに栗と餅がマッチしていて美味しくいただけた。私は辛党なのに、時に甘党にも変身する。食いしん坊なのである。
 ピザの方の1/4カットの分もいただいたが、まあ平均的な味というところか?

               
               ※ 甘い栗ぜんざいに塩昆布が合いますねぇ~。

               
               ※ ちょっと小ぶりのマルゲリータです。

 建物内部で興味を抱いたのが、二階へ通ずる螺旋階段である。いったいショップとカフェ以外に菓子店に何があるのだろうと思った。見ていると時々階段を行き来している人がいる。

               
               ※ 二階部分に通ずる螺旋階段ですが、こんなところにもこだわりが見て取れます。               

 食事を終えた私は好奇心の赴くまま二階への螺旋階段を上った。すると、そこにはなぁ~んとトイレがあったのだ。それもとてもスタイリッシュなトイレなのである。
 特に私がひぇーっ!と思ったのが、手洗い部分である。どこの手洗い場にもあるような水受けのタンクが見当たらないのだ。蛇口の下には一枚のガラスが敷かれているだけだった。良く見ると、そのガラス板が斜めに傾いていて水受けになっていたのだ。高級レストランでもないところで、ここまでのこだわりには驚いた。
 そして妻がしっかりと取材してくれていた。10年前に建設した当時、このシステムは日本で最初だったそうだ。
 トイレ以外にもさまざまなところにこだわりが感じられる六花亭真駒内ホール店だった。
 店の片隅には「赤れんが建築賞」の受賞を記念する表示がさりげなくされていた。

               
               ※ このようにオシャレな男子トイレは時々見かけますが…。

               
               ※ こちらの手洗い場はまったくの初体験でした!

 建物を見るだけでも価値がある。もちろん菓子も買って(我が家はジャムを購入した)、カフェで寛いで…。一度は行ってみたい「六花亭真駒内ホール店」である。

【六花亭 真駒内六花亭ホール店 データー】
北海道札幌市南区真駒内上町1-15-16-2 
電  話  0120-12-6666
営業時間  9:00~18:00(但しランチは10:30~17:30) 
定休日   第3水曜日
駐車場   有(店舗前に大きな駐車場)
座 席   40席前後?(テーブル席)
入店日   ‘15/11/16

オリンピックの影響力を考える

2015-11-17 16:13:05 | 大学公開講座
 オリンピックは世界同時生中継されるビックイベントとして、単なるスポーツイベントの枠を超え、社会的にも大きな影響を与えるコンテンツとなった。2020年の東京オリンピックを前に、その影響について考える講座だった。 

 平成27年度の札幌大学公開講座として、「オリンピック・パラリンピックから考える~文化・生きる力・マネジメント~」という4回講座が開催されると札幌大学から連絡があった。生憎私はうち2回は会議がバッティングしていたのだが、問い合わせたところ2回だけでも出席可との回答をいただいたので、第1回目に出席した。

 11月11日(水)午後、札幌大学において「オリンピック・パラリンピックから見える社会の変容」と題して、札幌大学の瀧本誠樹教授が講義した。

               
               ※ 講義をする瀧本教授です。

 オリンピックが世界に与える影響力、それを最初に利用したのが1936年のベルリンオリンピックがナチス・ヒトラーの宣伝に利用されたのは有名な話である。以来、オリンピックはしばしば政治に翻弄されてきたことは誰もが記憶するところである。
 最近では2014年のソチ冬季オリンピックにおいて、ロシアの人権問題などを非難し、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど西欧主要国の首脳が開会式の参加を拒否した。(日本の安倍首相は出席)
 また、ソチパラリンピックにおいては、ウクライナ選手団がロシアへの抗議の意味を込め、表彰台でメダルを隠すようなパフォーマンスもみられるなど、オリンピック・パラリンピックが政治的プロパガンダに利用されることがあった。

 一方でオリンピックはその影響力の高さから、国力を世界に誇示する場ともなる。そのため開催国は、競技会場はもちろんのこと、インフラ整備に莫大な予算が投じることが繰り返されてきた。
 前回の東京オリンピックで東京の街が劇的に変容したことは有名であるし、1972年の札幌冬季オリンピックでも、札幌の街は地下鉄の運行をはじめ周辺道路の整備が一気に進められた。
 2014年のソチ冬季オリンピックも、莫大な経費をかけて雪がほとんど降らないようなロシアの保養地ソチに冬季オリンピックの舞台を築き上げてしまった。

               
               ※ ソチに造られたオリンピック施設群です。

 莫大な経費をかけたことが、その後に良い影響を与えるのなら、それはそれで意義のあることである。最近流行語のように語られる「オリンピックレガシー」である。
 しかし、豪華な施設を造ったものの、その後の活用が図られずに、国の負担だけが重くのしかかる、いわゆる「負のオリンピックレガシー」が問題ともなっている。

 また、冬季オリンピックは広大な自然が競技会場となるため、自然保護や環境問題との関連も難しい。札幌冬季オリンピックのときは、適当な滑降コースがなかったために、冬季オリンピックだけのために恵庭岳の森林を切り拓いてコースを造成したが、現代ではとても許されることではないだろう。

                    
                    ※ 札幌オリンピック時に造られた恵庭岳滑降コースです。

 すでに決定した2020年の東京オリンピック・パラリンピック、2026年の冬季オリンピックの開催地に立候補を検討している札幌市。ともにその影響力の大きさからあらゆる面に配慮しながら開催に向けての準備を進めることが求められている。
 なあ~んだか、つまらない結論になってしまった。札幌市は果たして正式に立候補を表明するのだろうか?


札幌グルメ紀行 18 ダニーズ・レストラン

2015-11-16 17:14:05 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 ガレットとクレープの世界ではかなり有名なフランス人シェフが経営するという情報を得て自宅近くのレストランに足を運んだ。色鮮やかなガレットは食欲を誘ったのだが…。 

               

 久しぶりのグルメ紀行である。調べてみたら9月3日以来だった。
 過日、「札歩路(さっぽろ)」というフリーペーパー(?)が道新と共に配布された。
 それを見ると「外国人店主のレストラン」というのが特集されていた。その中の最初に紹介されていたのが「ダニーズ・レストラン」だった。

 紹介文では「ガレットとクレープの専門店。フェック・ダニーさんは、本国フランスでコンクール受賞歴や講師経験を積んだガレットとクレープの第一人者で、北海道の食材にほれ込んでお店を始めました」とあった。しかもお店は我が家から直ぐのところにある。

               

 「これは一度行ってみなくては!」と11月13日(金)の午後、この日は私一人でお店を訪れた。店は大通りの仲通に建つビルの一階に入居していた。
 店内は意外と広く、カウンター席の奥にテーブル席がゆったりと配置されていた。店内のディスプレイは明るくまとめられ、まるで南フランスの保養地のようなところにあるレストランといった雰囲気だった。

               

 席に着くと、シェフの奥さまだろうか?日本人の女性がオーダーをとりにきた。このとき私はオーダーミスを犯してしまったようだ。奥さまはランチセットを勧めてくれたのだが、オムレツとガレットの組み合わせては私には重いと思い、情報紙で人気メニューと出ていた「ベジタブルガレット」(1,296円)を単品でオーダーした。
 入店したのが、ランチ時を避けて13時過ぎに入店したので店内には話し込む二人の女性以外はいなかった。

 ほどなくしてオーダーした「ベジタブルガレット」が配膳された。道産野菜を中心に8種類の野菜が載せられたガレットは見た目にとても美しい。野菜をチェックしてみた。アスパラガス、シメジ、パプリカ、ナス、ピーマン、ニンジン、ホウレンソウ…、う~ん、もう一種は判別がつかなかったが、それらが道産そば粉100パーセントで焼き上げられたガレットに上に載っかっていた。

               

               

 さて、肝心の味の方であるが、正直に告白しよう。私くらいの歳になると、どうも新しい味を受け付けないようだ。少なくとも私にはその美味しさが伝わってこなかった。野菜は丁寧に茹でられて載せられている。しかも薄味なので、野菜の旨さを味わってほしいというシェフのアイデアなのだろうと思われるが、それがどうも…。
 誤解のないように伝えねばならないことは、この店のネット上での評判はなかなか良く、私の舌にはあんまり…、ということである。

 お客さんが少なくなった時間帯だったからだろうか?シェフのダニーさんが直接私の席に挨拶に来てくれた。とてもフレンドリーな方で好感を抱いたのだが、果たして再訪することはあるだろうか?

               
               ※ 写真をお願いすると気軽にポーズをとってくれたダニーさんだった。

 オーダーミスを犯したと記したが、ドリンクの注文も取りに来たので「食後にホットを」とお願いした。おそらくセット料金なのだろうと思って…。ところがコーヒー代もしっかり請求されてしまった。都合、税込みで1,836円と私にとってはかなり贅沢(?)なランチとなってしまった。(ランチセットはおそらく1,000円前後と思われる)

【ダニーズ・レストラン データー】
北海道札幌市中央区大通西18-2-5 小島ビル 1F
電  話  011-615-4420
営業時間  ランチ 11:30~15:00 
ディナー  18:00~22:30
定休日   月曜日
駐車場   有(専用2台)
座 席   40席(カウンター席、テーブル席)
入店日   ‘15/11/13

春高バレー北海道大会を観戦

2015-11-15 23:53:28 | スポーツ & スポーツ観戦
 男女ともに決勝戦はフルセットに持ち込む接戦だった。スポーツのことについてはそれなりに知識があると思っていたが、春高バレーの規程が変わっていたことを知らなかった…。 

          
          ※ 会場に掲げられた大会名を写した。その下には東海四高の応援団が陣取っています。

 今日(11月15日)はいろいろな講演や講座があったのだが、時にはスポーツ観戦もいいかなとの思いから、「きたえーる(北海道立総合体育館)」で開催されている春高バレーを観戦することにした。
 12日から開催されていた北海道大会は、本日が最終日で、準決勝戦、決勝戦が行われることになっていた。男女で行われているから、全試合観戦するとなると全6試合になる。
 朝9時30分から始まって、最終の女子の決勝戦が終わったときには午後7時を回っていた。

          
          ※ 何度も挑戦し、唯一スパイのシーンをものにできた写真です。

 準決勝戦に残っていたのは、男子が東海四高、釧路工業、とわの森三愛、尚志学園の4校、女子が旭川実業、江陵高校、札幌大谷、札幌山の手の4校だった。資料によると、この男女の4校は夏の高校総体道予選のときのベスト4と全く同じだった。というのは、近年の道内高校バレーの勢力図はこれらの高校によって占められているのかもしれない。

          
          ※ こちらはブロックのシーンです。何度も写した中の良い出来(?)の一枚です。

 試合結果を記すと、

 ◇男子準決勝第一試合 東海四高 2(25-17 25-11)0 釧路工業

 ◇男子準決勝第二試合 とわの森三愛 2(25-16 20-25 27-25)1 尚志学園

          
          ※ 尚志学園の応援団ですが運動部の生徒が自主的に応援に来たのでしょうか?野球部と卓球部の人たちかな?

 ◇女子準決勝第一試合 旭川実業 2(25-12 25-20) 0 江陵高校

 ◇女子準決勝第二試合 札幌大谷 1(15-25 25-15 21-25) 2 札幌山の手


          
          ※ こちらの写真はスパイクというより、フェイントをかけたところのシーンかな?

 選手にしてみると、この準決勝戦が最も緊張する試合ではなかったかと思われる。というのも、北海道からは全国大会にそれぞれ2チームが出場できる規程となっているため、準決勝を勝ち進めば全国大会に駒を進めることができるからだ。
 だから、男子の第二試合は3セットに入って、しかもジュースまでもつれ込み、どちらが勝ってもおかしくない試合だった。しかし、選手にとっては勝ちと負けでは天国と地獄ほど違いだったろう…。

          
          ※ 僅差で全国大会出場を逸し、沈む尚志学園ベンチです。

 ところで大会規程の話である。以前の春高バレーは「全国高等学校バレーボール選抜優勝大会」と称して、2年生以下の選手が出場して3月に開催される大会だった。
 ところが今日観戦しているとたくさんの3年生選手が出場しているのだ。調べてみると、先のような選抜大会は2010年で終止符が打たれ、代わって2011年から3年生も出場できる「全日本バレーボール高等学校選手権大会」を1月開催で創設されたということだ。そしてその大会をこれまでどおり「春高バレー」と称するようにしたそうなのだ。私はまったく知らなかった。

 準決勝戦に続いて、男女の決勝戦が行われたが、非常に見どころが多かった。まず結果を示すと、

 ◇男子決勝  東海四高 2 (25-20 21-25 30-28) 1 とわの森三愛

 このスコアを見ていただきたい。特に第3セット。 30対28で試合が決したということは、実に5度のジュースが繰り返された末の決着だった。その上、記憶が曖昧なのだが、確か東海四高は21-24でマッチポイントを握られてから懸命にしのいで延長に持ち込んだ試合だった。まさにどちらに転ぶかまったく分からない大接戦で、観戦していて本当に興奮する試合だった。
 この試合で、一つ特徴的だったのは東海四高の監督さんの指揮ぶりだった。選手交代やタイムを取るのはもちろん監督がやっていたのだが、タイムの際に選手の輪に加わらないのだ。まったく選手任せで、私が見ている限り一度も輪に加わらず、指示らしきことも出していないようだった。選手の自主性を重んずる監督さんの方針なのだろうか?

          
          ※ 優勝を決めた瞬間の東海四高の選手たちです。

 ◇女子決勝  旭川実業 1 (23-25 25-21 21- 25)2 札幌山の手

 この対戦は、準決勝の戦いぶりや選手構成から見て「旭川実業がやや有利かな?」と私は見ていた。
 ところが第1セット、あれあれという間に山の手の上手い試合運びに足をすくわれる形で取られてしまった。しかし、第2セットは実力を発揮して取り返した。その時アクシデントが発生した。旭川実業の得点源であるエースの廣瀬選手が第2セットの後半足を引き摺りはじめたのだ。それまでの試合を見ていると彼女のスパイクは他の選手とはレベルが違い、ほとんどがエースとなって得点を挙げていた。そのはずである。彼女はU20の日本代表なのである。無理してもコートに立ち続けようとした彼女を監督が制した。
 廣瀬選手を欠いた旭川実業は片肺飛行をする飛行機のようだった。なすすべなく山の手の軍門に下ってしまった。

          
          ※ ベンチの後ろで懸命に治療を施した廣瀬選手でしたが…。

          
          ※ 喜びの輪が崩れ、コートに横たわる札幌山の手の選手たちです。

 マッチポイントを握りながらも優勝に手が届かなかった「とわの森三愛」、エースを故障で欠き涙をのんだ「旭川実業」、優勝した二つのチームと共に1月に行われる全国大会では調整を十分にして活躍してほしいものである。

 一日いっぱい、久しぶりに高校スポーツを堪能した。若さが弾ける様を間近で見るのもいいものですねぇ…。

※ それにしてもバレーボールのプレーを写真に収めるのは難しいですね。何度も何度も試みましたが、上手く撮れません。人に見せるほどの出来映えではありませんが、記録としたいと思い掲載しました。了承ください。

フィルム・インスパイアード・ツーリズム

2015-11-14 21:46:29 | 大学公開講座
 今、映画に触発されて、物語の舞台になった地を訪問する旅の形態が盛んになっているという。北大講座「記憶をめぐる観光論」の最終講座はフィルム・インスパイアード・ツーリズムの実態についての話を聴いた。 

 北大観光学高等研究センター主催の「記憶をめぐる観光論」の第7講(最終講座)が11月12日(木)夜に開講された。今回は「映画の記憶がもたらす観光現象――フィルム関連アーカイブとの関係性」と題して観光学高等研究センターの内田純一准教授が講師を務めた。

               

 フィルム・インスパイアード・ツーリズム(film inspired tourism)とは、先述したように映画に触発されてロケ現場などを旅する観光形態を指す言葉である。
 言葉は別にして、こうした旅の現象が起こっていることについて私はかなり前から認識していた。

 映画「ラブ・レター」が韓国で大ヒットし、ロケ地だった小樽市に韓国人観光客が大挙押しかけたとか、道東地方をロケした中国映画「狙った恋の落とし方」が中国では三人に一人が観るほど大ヒットとなり、道東地方は中国人観光客が溢れるような状態になったと聞いていた。ちなみに私はこの両方のフィルム(映画)とも過去に観ることができた。

                   

                   

 映画とは異なるが日本においてテレビドラマ「冬のソナタ」大ヒットし、日本人女性が大挙して韓国のロケ地に押しかけたこともフィルム・インスパイアード・ツーリズムの一つだろう。

                   

 一方、観光客を受け入れる側も関連のフィルムの保存に努めるなど、フィルム関連アーカイブに力を入れているという。
 北海道を例にとると、札幌の「北の映像ミュージアム」、「渡辺淳一文学館」、旭川の「三浦綾子記念文学館」、富良野の「『北の国から』資料館」などなど…。

 内田准教授はこうした事例とは別に、メディアがイメージを創り、そのことで観光現象を起こした例を紹介した。それは「ハワイ」である。ハワイを南国の楽園かのようなイメージを創り上げたのはアメリカのメディアだという。
 アメリカ政府は1894年にハワイ共和国を樹立させ(これはアメリカ化の政策だったそうだ)、アメリカ人の観光保養地化を進めたそうだ。
 そのためにハリウッドでハワイの映画を作り、音楽も本国で作られたそうだ。一方、ワイキキの浜には大量の砂を運び込み、現在のような浜辺を創出したそうだ。こうしてハワイはいわばメディアが観光現象を作った例だという。

 この講座で今回の「記憶をめぐる観光論」の全7講座が終了した。
 講座の副題は「アーカイブ構築とアイデンティティ形成」というものだったが、この意味するところは、地域の観光資源に気付くことと、そしてそれを記録として残していくことによって、地域の観光産業が隆盛し続けることに繋がるという趣旨の講座だったと理解した。

映画 143 始終点駅 ステーション

2015-11-13 22:58:38 | 映画観賞・感想

 「終点駅」はやがて「始発駅」になる。誰の人生のなかにも終点と起点があり、終わりだと思っていた場所が始まりの場所になる──。釧路駅はそのようなシュチエーションにぴったりな駅なのかもしれない…。 

                    

 このところの拙ブログは、講演・講座の受講レポが大半を占め、立ち寄って下さる方々も食傷気味だったのではないだろうか?そこでお口直しの意味も込めて、久々に映画をレポートすることにした。
 今日(13日)の午後、ユナイテッドシネマに出向き直木賞作家の桜木紫乃原作の「始終点駅 ステーション」を観た。何故この映画だったかというと、実は昨夜の北大講座「記憶を巡る観光論」(この講座のレポは後日に)中で、原作通りの地で撮影した映画として封切られたばかりのこの映画が紹介されたからだった。
                    
 映画は原作の力と、主演の佐藤浩一の演技力の確かさもあって予想以上に見応えのある作品として仕上がったように思われる。
 旭川地方裁判所の判事の完治(佐藤浩一)の前に、学生時代に恋人だった冴子(尾上真知子)が被告として現れる。彼女との愛を貫けなかったことへの悔悟の念と、家庭を壊したくないという狭間に揺れながらも、完治は冴子との愛を選択する。しかし…。

               
               ※ 映画のワンシーンです。佐藤の背が曲がって見えるのは初老の弁護士を演ずる役作り?

 釧路駅はけっして始発駅でもなければ、終着駅でもない。線路は根室まで伸びているのだ。しかし、作者(桜木紫乃)の中では日本の最果ての地という思いがあるのだろう。
 その釧路の地で裁判官を辞し、独り身の国選弁護士として務める完治にとってそこは人生の終着駅という思いだったのだろう。
 ところがその地でのある出会いが、彼にもう一度生きていこうという思いを抱かせたのだった。それは彼にとっての始発駅になるのでは、との思いを観客に抱かせながらエンディングとなる。

 原作の釧路でのロケが多用された映画だったが、はっきり釧路と分かるのは釧路駅、裁判所への坂道、和商市場、そして幣舞橋あたりである。完治と冴子が再出発のために立ったホームは明らかに釧路駅ではない。私には釧路市郊外の遠矢駅か別保駅ではないかと思えたのだが…。
 
                    
※ ロケ現場を訪れた原作者の桜木紫乃氏です。(
左から二人目)

                  
 この映画における主たる出演者は、主演の佐藤浩一、昔の恋人役の尾上真知子、そして佐藤の弁護を受ける新進の本田翼である。
 私には前述したように佐藤の熟達した演技力が印象に残ったが、映画の前半にしか登場しなかった尾上真知子の確かな演技も印象的だった。対する本田翼は後半の展開において重要な役回りではあったが、まだこれからの人という感じだった。

 ポスターを見て、11月7日(土)が全国封切日だと知って少し驚いた。「最近、あまりいい映画ないねぇ」と嘆いているあなた、この映画はお勧めですよ!