今日の朝日新聞を夜見直していたら、・・【絶滅危惧趣味】その二十六 ユースホステル 連帯求め歌い踊る・・という一段の記事が目に留まりました。
≪ユースホステル≫懐かしい言葉です。その昔(また、また昔々の話になってしまいます)若かりし頃はよくユースホステルを使いました。何しろ安く泊まれるから、いろいろ煩わしいことがあっても利用しました。
ユースホステルを利用するには会員登録が必要で、確か学生の頃県庁のどこかの課にいって登録した記憶があります。教育委員会の体育振興課みたいなところだったかもしれません。
学生時代から社会人の初めまでよく利用させてもらいました。50泊か100泊(随分違いますが)しまして、銀のバッチを貰ったことがあります。
この調子で書いていったらいつ終わるか分かりません・・・・・。
記事によると、1972年には63万人の会員が、2006年には7.5万人まで落ち込んでしまったということです。高度成長期には2食付で1泊1000円程度の宿泊費で泊まれました。
だから北海道や九州を2週間かけて一周したりもできました。当時の旅行(きざに「旅」といいたいところですが)はユースホステルと国鉄(懐かしいですね)の周遊券があって成り立っていたと言ってもいいのではないでしょうか。
記事の最後に「毎晩2時間以上、歌って踊るという北海道・礼文島の『桃岩荘』」云々とありました。私が学生時代に泊まったユースの名前が桃岩荘だったかどうかは全く定かではありません。違うような気が強いです。
学生時代、いわゆる「蟹族」として北海道を一周したことがありましたが、そのとき礼文島にも行きました。稚内からフェリーに乗って行った訳ですが、私は三半規管がとくに敏感なのか船には弱いのです。船に限らずバスや電車にも弱かったです。こちらは過去形でいいのですが、船は現在進行形です。
稚内の湾内は静かだったのですが。その前にフェリーに乗り込むときに、こんなこと初めてだったのですが、ビニール袋を2枚渡されました。あっこれはやばいかも!?と思いましたが、今更どうしようもありません。
少しでも酔わないようにするためには、船内にいるよりは甲板にいて海風に当たっていた方がいいと考えてデッキにいましたが、秋のオホーツク海は粗かった、荒かった!!たちまち酔ってグロッキー、2枚のビニール袋を使ってしまいました。そのお陰か?その後はぐったりして船室で横になっていました。本当に船酔いは辛い。
礼文島の何という港だったかはすっかり忘れましたが、港に着いたときは嬉しかった。とはいってもまだふらふらでした。ありがたいことに、泊まることになっていたユースから車が来ていて、その車に優先的に?乗せて貰ってユースまで連れて行ってもらいました。
それからは少し元気になり、ユースの周りを散策したり出来ましたが、礼文島はメノウがとれたというか、メノウの島として有名でした。ユースのお風呂はメノウの石で出来ていたことを覚えています。
それとオホーツク海に沈む夕日がとっても綺麗だったことも覚えています。夕日は沈む前のほんの一瞬パッと明るくなるのですね。砂浜ならぬ小石の浜で見た沈む夕日、感じやすく鋭敏な神経を持っていた悩み多い若かりし頃の自分、そういう一時期があったことは確かなことで、今思い出すとビールではないほろ苦さで胸がチクリと痛みます。
国内の島巡りみたいなこともしまして、北は礼文島から(利尻島は行かず)佐渡島、隠岐の島、対馬と日本海側の島に行ったことがあります。今となってはいい思い出です。「旅」は全て一人旅です。これがよかった。
何というのか書くのが好きというか、書かないと気がすまないのか旅行記みたいなものを書いていましたので、それを見ればいろいろ書けるのでしょうが、まあ見なくても、苦労して自分の足で行った所のことは意外と覚えているものです。
旅行中はいろんなことがありますので、やはり書き出せばキリがありません。今日はとりあえず北海道の中でも最北端の島である礼文島について、新聞記事に触発されて書いてきました。
写真はかなり前のことと感じますが、みちのくYOSAKOIまつりの二日目、一番のメイン舞台市民広場でのひとコマです。踊り終わったら、手前の方に降りてきます。