鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

1972年(その2)

2007-10-31 22:28:03 | 思いつくまま

 写真は、日中共同声明が調印された後の日中双方の首脳が一堂に会したときの写真です。

 田中首相、大平外相のほかに、二階堂進内閣官房長官も出席しています。3人とも既に鬼籍に入られました。

 でも改めて当時のことを思い出してみると、いろいろな評価はあるとしても、あの頃の政治家は大物というか、いかにも政治家らしい政治家、本物の政治家といっていいのかもしれません。

 とくに、小泉や安倍というどうしようもない日本国の恥としか言いようのない首相と比べてみると、比べることさえ憚れます。

 どうしてこんなにも無責任で軽佻浮薄の人間が政治家(といえるのであれば)になったのでしょうか。国民が選んだんじゃないかといわれればそのとおりではありますが、・・・、やはり国民が国民だからだということになるのでしょうか。

 であれば国民も政治家もともに衰退しているのではないかと思うのは思い上がりでしょうか。そう思う私がおかしいのでしょうか。

 35年後の世界を見てみると、人類は文明は進歩、発展していますか。自信を持ってそういえますか。

 相変わらず殺し合いをやっている人間に未来はあるのでしょうか。


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1972年(その1)

2007-10-31 22:13:15 | 思いつくまま

 玄米を仕舞っておく1階奥の小さい部屋は書庫も兼ねていて昔の本や雑誌が一杯溜まっています。

 玄米を置くために床を綺麗にしていたら目に留まったのが、古くなって色が褪せてしまった雑誌や書類でした。

 手にとって見たら、写真の「人民中国」が出てきました。つい懐かしくなってパラパラとめくって眺めてしまいました。

 「人民中国」という日本語の月刊誌は今も発売されているのかどうかは分かりませんが、若いとき購読していたことがありました。

 1972年11月号は特別号で、それは日中国交回復がはかられたためで、「中日関係史の新たな一章」と題して別冊がついていました。

 田中首相と周恩来首相が握手をしているほうが別冊となります。

 1972年9月29日に日中共同声明が調印されたわけです。

 署名は日中それぞれ二人ずつで、首相と外相、日本は田中角栄総理大臣と大平正芳外務大臣、中国は周恩来国務院総理と姫鵬飛外交部長です。

 あれから35年が経過してしまいましたが、その後の日中関係はどうだったでしょうか。お互いに交流、人的な交流や経済的な交流は大幅に増加しましたが・・・・・。


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