きょうは9月17日月曜日。 敬老の日です。 かっては敬老の日と言えば9月15日だったのに、何とかマンデイとかで祝日が移動することになりました。
人間とは誠にもっていい加減かつ勝手な生きもので、現役の時は連休が増えることは嬉しかったのですが、毎日が”それなりに忙しい日曜日”となってしまった今となっては、祝日は固定してもらった方がありがたいと思います。祝日を設けた意味があるわけで、それはたかが経済効果等のために変更させられたりするものであってはいけません!
なんてことはまあどうでもいいのですが、今日の新聞等によると、『65歳以上、初の3千万人台』 とのこと。これは今年1947年生まれ・昭和22年生まれのわれわれ団塊の世代が65歳に達してしまうからです。 今後2,3年は増え続けるでしょう。 われわれは団塊の走りですから。
でも、私はまだ達していません。再来月に到達します。 信じられないというのが、正直な感想です。 自分が65歳なんて!!ありえない!といってもいいくらい、信じられない、他人事のような感じがします。 気分はまだ50代、いや40代かな、笑わないでください。あくまでも””気分は””ですから。
日本の将来を真面目に考えたら、高齢者を何とかしないと成り立って行かないでしょう。どこまで生きたらいいのか? 寝たきりになっても生きていいのか? あくまでも健康寿命の延伸ということで、健康で長生きなら生きてもいいよ!という世の中になるのか?
社会に迷惑(と思うこと自体、長生きするということをマイナスに捉えているということでしょう。)を掛けたくはないし、とくに子どもたちには負担を掛けたくはないし、病気になっても長期入院はできないし、長期のリハビリもできない仕組みが出来上がっている日本社会では、介護保険には期待できず、これから待っているのは、残念ながら、しかし自死しかないのかなあと思ったりします。
これからは自分の寿命は自分で決める、それこそ究極の自己決定・自己責任ではないのか? そのためには後期高齢者となった75歳の誕生日にすべての国民にカプセル入りの青酸カリとかを支給する必要があるでしょう。 もっともその保管方法は厳重にしないといけませんが。 死んだら社会がそれなりに供養をすることは絶対条件でしょうね。
簡潔に言えば、日本社会としての「自己責任に基づく姥捨て山制度」の確立ですね。
ただそれだけではもったいないから、いざという時には、国難の時には真っ先に戦場に駆けつける、戦闘員として特攻精神でお国のために戦う、お国に身を託すという行為が必要でしょう。 同じ死ぬなら、国のために死んでくれということです。靖国神社がお出でお出でをしています。活気を取り戻し、首相等も堂々と胸を張って参拝できるでしょう。
残念ながら今日本の周りはとてもきな臭い。 ロシア、中国、韓国との間での領土問題が深刻さを増していますし、今度首相が自民党から選出されるかもしれないという淡い期待で、自民党の総裁選に5人もの議員が立候補しています。 その中にはとても勇ましいことを言っている若い人たちがいます。 断固として自衛隊を派遣して戦わなければならないというような雰囲気を漂わせています。私にはそう感じます。
まあ、潔く?戦うということばかりではなく、姥捨て山に該当する人たちを中心に、かれらが問題となっている島に勝手に上陸し、そこで死ぬまで自然生活をする。殺されても追い返されても、数に物を言わせて上陸を繰り返す、もう相手(敵)がいやというまで繰り返す、そういう行動はどうでしょうか? 上陸するための船は漁船等の廃船でかまいません。 北朝鮮の密航者たちの船を思い出せば、何も問題はないでしょう。
そうか、ここまで書いて来て気が付きました。 姥捨て山の場所は領土問題が起きている(燻っている)、歯舞国後色丹島、尖閣列島、竹島が相応しいですね。方向性が見えてきました。 これも船中八策に加えてはどうでしょうか。
でもあれだなあ、全共闘世代としてはアメリカ帝国主義も打倒の対象だったし、傲慢・偏屈な鼻っぱしを粉砕しなければいけません。イスラム社会との共闘が必要かと思います。
最後にオスプレイは是非とも長州へ、岩国が望ましい。安倍の選挙区こそが相応しいと思います。
(妄想はどんどん膨れていきました。明るくは書けませんでした。)